第10話 迷い猫、逃げる

 毛繕いに夢中の迷い猫に、二人で挟むようにゆっくりと近付く。

 あと一歩で手が届く。

 そんな距離まで近づいた瞬間──


「ああっ!」

「待て!」


 迷い猫はものすごい素早さで飛び上がり、ビルとビルの隙間を走り抜けていく。

 追いかけようにも狭すぎて入れない。


「早く捕まえて鼻を押さないと」

「鼻を押す?」

「はい。あの子は鼻を押されると元のサイズになり、大人しくなるんです」


 頭上から「にゃあ」という声がして見上げると、ビルの屋上から迷い猫が僕らを見下ろしていた。

 心なしか嗤っているように見えた。


「いつの間にあんなところまで」

「こら! 待ちなさい!」


 日沖さんはぴょんっとジャンプしてビルの屋上まで飛んでいく。

 すっかり夢の中で縦横無尽に立ち回るコツを掴んだようだ。

 まあ、スカートを穿いた状態でハイジャンプするのはどうかとは思うけど。


 僕もすぐにジャンプしてビルの上に跳び上がったが、既に迷い猫はビルからビルへと跳び移っていくところだった。


「早くしないと大変なことになります!」

「でももうどこに行ったのか分からないよ」

「あの子は迷っている人が集まる場所に行きますので先回りしましょう」


 迷っている人が多くいるところはどこなのだろう?

 そう考えているうちに日沖さんはアメコミヒーローのようにビルからビルへと跳んでいく。

 僕も慌てて後を追った。


 パチンコ店、病院、レストラン街、様々なところに迷い猫は現れ、見るたびに大きくなっていった。

 山猫サイズからチーター、虎、熊サイズへと巨大化していく。


 そんな巨大な猫が現れるものだから街はパニックに襲われていた。

 巨大になっても無邪気なままの迷い猫はビルの壁を爪研ぎでズタズタにしたり、車をパンチして転がしたり、電柱を咥えて走ったりとやりたい放題だ。


「このままじゃまずいです。町が破壊され尽くされてしまいます」

「くそっ。どうすればいいんだ」


 大きくなってもすばしっこいので追い付くのも難しい。

 さすがは日沖さんの天敵であるヘッド博士の飼い猫だ。

 見た目は可愛くても凶悪で手強い。


「アオォーン」


 迷い猫は目を細め、僕たちの方へと近付いてくる。


「まずいです! あの子、私たちの迷いを食べて最終形態まで大きくなろうとしてます」

「マジか……」


 もはや象よりも大きくなっているが、更に巨大化するらしい。

 間近で見るとファンタジーの世界の魔物のような迫力である。


「どうすれば……」

「迷いを消してください。いま頭にある迷いを全て払えば、食べるものがないから大きくなりません!」

「なるほど」


 迷い猫は日沖さんに顔を近付けてスンスンと鼻を鳴らす。

 日沖さんはぎゅっと瞼を閉じ、眉間にシワを作って耐えていた。

 しばらく鼻をスンスンさせていたが、やがて諦めたように今度は僕の方を向く。


 迷うなっ……

 迷っちゃ駄目だ!


 しかし迷うなと思うほど、迷いについて考えてしまう。

 迷い猫は嬉しそうに鼻先を僕に近付けてくる。

 無になれない僕の脳裏に、先ほどの日沖さんとの喧嘩がフラッシュバックする。


 本当は真正面から日沖さんの絵を描きたいか?

 夢の中以外でも日沖さんと仲良くしたいのか?


 ……僕は日沖さんに特別な感情を抱いているのか?


 全てにイエスと答えて迷いを断ち切る。

 迷いが消えた瞬間、迷い猫はビックリした顔になった。


「今だ!」


 勢いよくジャンプして迷い猫の鼻をブニュッと押すと、みるみるうちに小さくなっていった。


「やった!」

「すごいです、鰐淵くん!」


 日沖さんは満面の笑みを浮かべ駆け寄ってきた。

 迷い猫は元の子猫に戻り、僕たちを見上げて「ミャアミャア」と鳴いていた。


「見事に迷いを断ち切りましたね!」

「うん!」

「どんな迷いを断ち切ったんですか?」

「それは、その……断ち切ったから忘れた!」


 苦しい言い逃れで誤魔化す。

 すると日沖さんははにかんだ顔で僕の目を見詰めてきた。


「私はもっと鰐淵くんと仲良くなりたいって願いました」

「そうなの?」

「迷惑をお掛けしてるのかなって悩んだんですけど、それでも仲良くなりたいって」

「迷惑なんかじゃないよ」

「本当ですか?」

「もちろん」

「嬉しいです」


 ドキドキして視線を逸らしそうになるけれど、迷いが出たら迷い猫が復活しそうなので堪える。


「まずはこれから空也くんって呼びます。空也くんは私のことを鏡華って呼んでください」

「し、下の名前で!?」

「はい。夢の中だけでも構いませんので」

「きょ、きょう、か、さん」

「自動音声じゃないんですから、もっと滑かに言ってください、空也くん」

「鏡華……さん」

「はいっ!」


 僕と鏡華さんのはじめてのケンカはこうして仲直りを向かえた。

 街中をパニックに陥れた迷い猫だったけど、今はほんの少し感謝していた。



 ────────────────────


 迷い猫は迷える二人を嗅ぎ付けてやって来たのでしょう!

 迷いを断ち切って打ち勝ってよかったですね!

 それにしても猫というのは本当にすばしっこいし、街のあちこちを知り尽くしてる感がありますよね

 捕まえるなんて至難の業です





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