第8話 鰐淵くんのためのステージ
みんなの前ではリーダーらしく弱音を吐かなかった日沖さんだけれど、みんなが控え室から出ていき、僕と二人きりになると急に涙目になった。
「どうしましょう、鰐淵くん。私ダンスなんてバレエしか出来ません。歌もあまり歌えませんし」
「バレエが出来るならそれなりに踊れるでしょ。バレエの身体の使い方は全てのダンスの基本になるし、シャッセとかアラベスクとかバレエから派生しているステップも多いんだから」
なんかの漫画に書いてあったことの受け売りだけど、日沖さんは「そうですね」と頷いた。
ていうかバレエ習ってたんだ。
さすがはお嬢様。
「歌だってカラオケで歌うでしょ?」
「それが友達に連れられて一度だけ行ったことあるのですが、歌い方が合唱コンクールみたいと笑われて、それ以来苦手なんです」
「そんな奴の言うこと気にすることないよ。思いっきり歌ってきたらいい。これは夢の中なんだ。恥ずかしがったり、失敗を恐れる必要なんてない」
「夢の中って言うの禁止です。白けちゃうじゃないですか」
僕を注意しながらも日沖さんの表情は確実に和らいでいた。
きっと彼女も今日ばかりは夢だと割ることにしたのだろう。
夢の恥はかき捨てである。
「僕もここでモニター越しに応援するから」
「えー? 駄目です。ちゃんとステージの前で見てください」
「プロデューサーの席なんてないでしょ」
「いいえ、あります。ここは夢ですよ! 関係者席はステージ最前列にあります」
「夢っていうの禁止じゃなかったの?」
日沖さんは笑いを噛み殺して聞こえない振りをする。
これも学校では見ることの出来ない彼女の顔だろう。
ファイブリップスは順調に予選を勝ち抜き、決勝の舞台へと進んだ。
ステージ上の日沖さんは恥ずかしがっていたのが嘘のように元気に踊り、楽しそうに歌っていた。
振り付けも実にアイドルっぽかった。
これは家で練習とかしていたに違いない。
(恥ずかしがっていたけれど、実はアイドルに憧れているでしょ)
思わずにやけてしまうほど、ステージ上の日沖さんはノリノリだった。
決勝前のバックステージではみんな緊張しつつも明るく笑っていた。
ただ一人、日沖さんを除いて。
日沖さんは硬い表情で何度もダンスの練習を繰り返していた。
「日沖さん、大丈夫?」
「鰐淵くん……」
「決勝も今の調子で行けば問題ないよ」
「はい……でも失敗するんじゃないかと怖くて」
これは夢の世界である。
失敗しても実生活には問題ないという利点もあるが、ハッピーエンドであるという保証はないというデメリットもある。
映画や漫画ならハッピーエンド、もしくは失敗したとしても納得のいくラストが待っているものだが、夢はそんな都合よくいかない。
殺されて目覚めるとか遭難して目覚めるなんてこともざらだ。
いくら実害がないとはいえ、怖かったり悔しい思いをしては目覚めが悪いのも事実だ。
出来れば成功して終わりたいと願うのは当たり前である。
「僕も応援してる。心配しないで」
「じゃ、じゃあ手を握ってください」
「分かった」
細い指を握ると震えているのを感じた。
きっとうまく行くよ。
精一杯やればいいんだよ。
結果よりも楽しむことが大切だ。
色々な言葉が頭に浮かんだけれど、どれも違う。
もっと素直に、思ったことを伝えるべきだ。
「僕は日沖さんが踊ったり歌ったりするところを見るのがみたい。ステージの上で楽しそうにしている日沖さんを見ると、僕も嬉しくなるんだ」
日沖さんはキョトンとした顔になり、次第に笑顔になって大きく頷く。
「ありがとうございます。じゃあ鰐淵くんのためにも頑張りますね!」
吹っ切れた顔を見て、もう大丈夫だろうと確信した。
決勝戦のステージ。
日沖さんは予選よりも溌剌とステージの上でパフォーマンスを見せていた。
ラストの瞬間、日沖さんは「君に届いてー!」という歌詞と共に僕を指差し、パチッとウインクをした。
ダンスの振りと分かっているのに心臓を掴まれたような衝撃を受ける。
アイドルに惹かれる人の気持ちが一瞬で理解できた気がした。
「優勝は──」
司会の声でドラムロールが鳴る。
ステージ上の少女たちはみんな手を重ね祈るポーズをしていた。
日沖さんもギュッと目を閉じ、祈っていた。
「ファイブリップスです!」
うわあああぁという歓声で会場が揺れる。
僕も手を叩いて「っしゃー!」とガッツポーズをした。
「やりました、鰐淵プロデューサー!」
日沖さんはステージから駆け降りてきて僕に抱きつく。
「わっ!? ちょっと、日沖さん」
もしこれが現実の世界ならアイドルとプロデューサーのスキャンダルだ。
「やりました! やりましたよ、鰐淵くん! 応援してくれたお陰です!」
「日沖さんが頑張ったからだよ」
「私、コンクールで一等賞を獲るの、はじめてなんです」
日沖さんは心底嬉しそうに笑っていた。
そんな彼女を見ているとこっちまで嬉しくなる。
けどおっぱいが潰れるくらい身体を密着してくるのはちょっと勘弁して欲しい。
柔らかさがなんとも気まずい。
きっと興奮して我を忘れているんだろう。
その日の朝の登校途中。
僕は日沖さんとばったりあった。
珍しく回りに人はおらず、一人の状態だった。
夢であっているので二時間ぶりくらいの再開である。
優勝したときの興奮した彼女の姿はまだ僕の頭の中に鮮明に残っていた。
「おはよう、日沖さん」
「あ、お、おはようございます……」
あれほどテンションが高かったのが嘘のように恥ずかしそうにうつ向く。
さすがにはしゃぎすぎたと反省しているのだろう。
夢では結構大胆なくせに、現実世界ではずいぶんと慎ましい。
そのギャップがまた可愛らしいとしみじみ感じていた。
────────────────────
夢と現実のギャップはまだ埋まらない日沖さん。
本当の姿は鰐淵くんが夢の中だけで出会えてます。
さりげなく手を握りあった二人は薄々お互いの気持ちに気付き始めたみたいです!
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