第3話 白いお尻はノーカウント

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 電車を降りて見た景色は、はじめて見るのに懐かしい景色だった。

 背の低い瓦屋根の家が立ち並び、古い映画でしか見たことのないトタンの看板が壁のあちこちに貼られている。

 車がすれ違えないほどの細い路地には乾物屋、土産もの屋、駄菓子屋などが並び、遠くには湯煙が立ち込めていた。


「硫黄の匂いがするな」


 どうやらここは温泉街みたいだ。

 隣を見ると目をキラキラさせた日沖さんが立っていた。


「こんばんは」


 まだ日が高いのに日沖さんはそう言った。


「こんばんは。また会えたね」


 僕も夜の挨拶を返す。


「ここは温泉地でしょうか?」

「そうみたいだね」


 過去二回は冒険的なものだったが、今日はのんびり旅をする夢のようだ。


「なんかワクワクしますね」

「ほんと。こういう平和な夢だと安心だよね」


 日沖さんは店先を覗いては嬉しそうに笑っていた。

 学校でもいつもにこやかな彼女だけれど、今日はそれとはまた違う無邪気な子どものような笑顔を見せていた。


 これが素の日沖さんなのだろうか?

 近寄りがたいと思っていたけど、案外親しみやすそうな人だ。


「あ、鰐淵くん、射的がありますよ! やりませんか?」

「いいねー」


 景品はいったいどこで売っているのかと思う見かけないお菓子とか、プラスチック製の子どものおもちゃというレトロな感じだ。


「あー駄目です。全然当たりません」

「射的っていうのはコツがいるんだよ」


 僕は大きなぬいぐるみに狙いを定めて撃つ。

 こういうところでは普通びくともしない目玉景品だがあっさりと落ちる。


「すごいです!」

「まあ夢の中だからね。やろうと思えばなんでも出来るよ」

「そういう興醒めな発言は禁止です!」


 日沖さんはムッとして頬を膨らませる。


「ごめん、つい」

「しょせん夢とか、夢ならなんでも出来るとか、そういう言動は禁止ですからね」

「了解」

「じゃあ私も!」


 日沖さんの放った弾丸はおもちゃに当たり、跳ね返ってお菓子を落とし、次々と跳ねて横一列の景品を倒していく。


「ひでぇ! 日沖さんの方が夢を悪用してやりたい放題じゃないか!」

「ふふ。実力ですよ」


 日沖さんはいたずらをした子どものように笑っていた。射的屋のおじさんは唖然としていた。


「はい、これ」


 射的で取った熊のぬいぐるみをあげると日沖さんは目を輝かせた。


「くれるんですか!?」

「そのために取ったからね」

「ありがとうございます!」


 日沖さんはパチもん臭の激しい熊のぬいぐるみをギュッと抱き締め、気持ち良さそうに目を細める。

 こんな日沖さんの姿を見るのも、もちろんはじめてだ。

 大人しくて感情を表に出さない人という印象から気さくで親しみやすい人へとどんどんアップデートされていく。


 細い路地を歩いていくと、いくつもの温泉が現れる。

 土産もの屋の店先では地下熱を使って饅頭やら卵を茹でる蒸気が上がっていた。


「湯上がりソフトクリームなんてのがあるよ。食べる?」

「いいえ。それはお風呂上がりに食べるものですよ。まずは温泉に入りましょう」

「お風呂に入るの?」

「当たり前じゃないですか。私たち、温泉旅行に来てるんですよ」


 日沖さんは「ふふふんふふん」と独特な鼻唄を刻みながら弾む足取りで『幻界の湯』という暖簾のれんを潜っていく。


 小さな入り口に見えたけれど中に入るとまるで巨大なお寺のような広さだった。

 奥には巨人が叩くようなデカさの太鼓が置かれていて、高い天井付近には無数の提灯がぶら下がっている。

 なんだかお祭りでも始まるような感じだ。


「わぁ、素敵なところですね」

「こんな不思議で立派な温泉、はじめて来たよ」


 チケットを購入し、僕たちはいそいそと脱衣場へと向かう。

 もちろん混浴ではないので男女別々だ。

 素早く服を脱いで湯殿に行くと、露天風呂だった。


「へぇ。絶景だなぁ」


 高い山の上にあるらしく、眼下には街が広がっている。

 しかもこんなに広いのに客は僕以外誰もいない。


 壁を隔てた女湯から例の「ふふふんふふん」という独特な鼻唄が聞こえてくる。


「うわぁー、きれい!」


 日沖さんの歓声が響く。


「絶景だよね」

「あ、鰐淵くん。そちらからもこの景色が見えているんですね」

「もちろん。温泉も気持ちいいし、最高の気分だよ」

「ええ。本当です」


 夢の中だから感じないはずなのになぜか少しポカポカと温かい気がする。

 脳が温泉に入ってると思うと、感覚にも多少影響を及ぼすものなのかもしれない。


「こんなに広いのに女湯は私一人なんです。貸切状態です」

「男湯も僕一人だ」

「ラッキーですよね!」


 しばらくするとバシャバシャっと水飛沫の立つ音が聞こえた。

 もしかしたら泳いでいるのかもしれない。

 いや、いくら誰もいないからといって、あのお淑やかで礼儀正しい彼女がお風呂で泳ぐ訳が……

 バシャバシャバシャ……

 いや、でも絶対泳ぐ音だよな、これ……


 っていうか、今お風呂だから当然裸なんだよな……


 今さらそんなことに気付いて顔が熱くなる。

 想像しそうになり、お湯で顔をザブザブっと洗って邪念を振り払う。


「んぁー。きもちいいですねぇ」

「ほんとだね」

「脚がつるつるだし、全身すべすべになる気がします」


 意識しないようにすればするほど、壁の向こうの景色を意識してしまった。


 そして次の瞬間──


「へ?」

「ッッ!?」


 男湯と女湯を隔てていた壁が、スッと溶けるように消えた。

 僕と日沖さんの視線がピタッとぶつかる。

 予想通り日沖さんは泳いでいて、白いお尻の一部がぷかっと浮いていた。

 一秒の静寂ののち──


「きゃああああっ!」

「な、なんで壁が……」

「見ないでください!」

「ごめん!」


 慌てて潜ると顔を蹴られた。


「潜ったらもっと見られちゃうじゃないですか!」

「目を瞑ってたから!」


 日沖さんは両腕で身体を隠し、首までお湯に浸かって僕を睨んでいた。


「ほんと、ごめん!」


 いたたまれなくなって逃げるようにお湯から上がる。


「きゃあっ! い、いきなり立ち上がらないでください!」


 全身から火が出るくらいの羞恥を感じながら脱衣場へと駆け込んでいった。


 着替え終わってロビーで待っていると気まずそうな顔をした日沖さんが帰ってきた。


「あの、さっきは、その……」

「忘れましょう。あれはなかったことに」

「……はい」

「顔を蹴ってしまい、すいませんでした」

「平気だって。ほら、これは夢だし」

「そ、そうですよね。肌を見られたのも、その、こちらが見てしまったのも、すべてノーカウントですよね!」


 このときばかりは日沖さんも『夢だから』という言葉を否定しなかった。

 僕たちは誤魔化すように笑い、全てを夢の出来事とすることにした。



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 夢の中は変なことを想像するとその通りの展開になってしまうから危険ですね!

 鰐淵くんもひとつ学ぶことが出来ました。


 それにしても前から思ってましたが露天風呂の男湯と女湯の仕切りってなんだか頼りないというか、あざとく緩いですよね。

 昔ならいざ知らず、今はもっときっちり仕切れると思うんですが。


 そこがロマンなんですね、きっと。




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