第97話幸福が遅く来たなら・生田春月:皮肉か、あきらめか、それとも?

生田春月の「幸福が遅く来たなら」を読みました。日本の詩歌 26 近代詩集(一九七〇年中央公論社)

青空文庫で読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000227/card60961.html

底本は、『霊魂の秋』(一九一七年新潮社)


生田 春月(一八九二年~ 一九三〇年)は、鳥取県生まれの日本の詩人。ハイネなどの外国文学の翻訳者です。


小学校を中退しましたが、一七歳の時、生田長江の書生となり、文学とドイツ語を学びました。昭和五年、三八歳の時、大阪から別当へ向かう船の上から投身自殺して、亡くなりました。


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幸福が遅く来たなら


     生田春月


『幸福』よ、まちで出逢であつた見知らぬ人よ、

お前の言葉は私に通じない!

冷たい冷たいこの顔が、私の求めてゐたものだらうか?

お前の顔は不思議なしたしみのないものに見える、

そんなにお前は廿年、遠国をうろついてたんだ、

お前はもはや私の『望』にさへ忘れてしまはれた!

よしやお前が私の許嫁いひなづけであつたにしても、

あんまり遅く来た『幸福』を誰が信じるものか!


私はあをざめた貧しい少女の手に眠る、

少女よ、どんなにお前はやはらかく、

まくらのやうに 夜毎よごと痛むかしらをさゝへてくれるだらう!

少女よ、お前の名前は何と云ふ?

もしか『嘆き』と云やせぬか?

そんなら行つて『幸福』に言つてくれ、

お前さんの来るのがあんまりおそいので

もはや私があの人のお嫁になりましたと!


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 誰でも幸福でありたいと望むものでしょう。

詩人が求め続けていたのに、幸福という許婚は、廿年(二十年)もの間、遠くにいて、近寄ってきてはくれなかったようです。


 あまりに来るのが遅かったので、それが実際に目の前に来た時には、信じられなくなっていたのでしょうか。


 目の前を猛スピードで通り過ぎたときに、急いで捕まえないと、逃がしてしまうのは、確か「幸運」だったと思いましたが。


 幸福もまた、目の前にある時に、手を伸ばして抱きかかえないと、ふらふらと、どこか、他の人のもとへ行ってしまうのかもしれません。

そんな詩人に寄り添ってくれるのは、『嘆き』(かもしれない)少女。


 詩人のどんな人生が、こんな詩を書かせたのかわかりませんが、思うようにいかない、嘆くことの多い暮らしだったのかもしれません。


 皮肉のような、あきらめのような、どう解釈すればいいのかわかりませんでしたが、でも、綴られている言葉は、なぜか、温かみのようなものも感じられて、不思議な詩だなと思いました。

(記:2022-09-23)

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