第93話寒中の木の芽・内村鑑三:淡々と生きる

内村鑑三の詩「寒中の木の芽」 を読みました。

底本・内村鑑三全集31894-1896(岩波書店)/親本・「国民之友」(明治二九年)

青空文庫で読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000034/card1215.html


内村鑑三(一八六一年~一九三〇年)は、キリスト教の思想家、文学者。日本独特の信仰の考え方である、無教会主義の提唱者です。


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寒中の木の芽


    内村鑑三


春の枝に花あり

夏の枝に葉あり

 秋の枝に果あり

 冬の枝に慰なぐさめあり


二、

花散りて後に

 葉落ちて後に

 果失せて後に

 芽は枝にあらは


三、

嗚呼ああ憂に沈むものよ

嗚呼不幸をかこつものよ

嗚呼ああ 冀望きぼうの失せしものよ

春陽の期近し


四、

春の枝に花あり

夏の枝に葉あり

秋の枝に果あり

冬の枝に慰あり


===================


 春には花が咲き、夏には葉が生い茂り、秋には実が実り、そして、冬には春へ向けての休息がある。


 花が咲くから、次に葉が生えそろい、葉が茂るから光を取り込んで実が育つ、休息の冬は根に命を蓄え、春になると、また花が咲く。


 こうして、季節は巡り、人は生きて、子供から青年へ、大人から老人へと成長して行き、やがて永遠の休息の時が訪れる。


自然の摂理、季節も人の人生も、淡々と流れていく。


 だから「憂に沈むものよ」「不幸をかこつものよ」「望(きぼう)の失せしものよ」と作者は呼びかけます。

今は苦しくとも憂えることはない。行く手には春への希望が待っているのだと。


 淡々とした言葉なのに、内側に強い意志を感じるような気がします。

作者はキリスト教徒で、指導者ということで、神様の意志を代弁しているかのような詩だと感じます。

(記:2022-06-22)

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