第92話孫娘とふたりで・蔵原伸二郎:過去と未来の長さの対比を感じる

蔵原伸二郎の「孫娘とふたりで」を読みました。「五月の雉」の中の一篇です。

底本『近代浪漫派文庫29 大木惇夫 蔵原伸二郎』(新学社)より。

青空文庫で読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001821/card56982.html


蔵原伸二郎(一八九九年~ 一九六五年)は、熊本県出身の詩人で作家。評論家でもあります。母親は北里柴三郎の妹に当たるそうです。

学生時代に『三田文学』『コギト』に作品を投稿。仲間達と同人誌『雄鶏』を創刊しました。詩集『東洋の満月』岩魚』他。


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孫娘とふたりで


        蔵原伸二郎


あかるすぎる九月の夕暮

だれもいない丘の石に

二人はこしかけていた

ぼくが何を考えているかも しらない孫娘は

はしやいだ声でいつた

「おじいちやんの髪の毛 雲みたい」

その時 ぼくは ばくぜんと

「死」について考えていたのだ


なるほど 丘のむこう 暮れなずむ

 とき色の空に

白髪のような雲がひとかたまり

光つていた


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 丘の上に座っている、孫娘と祖父。

孫娘は無邪気に、今を楽しんでいて、祖父は漠然と、未来の死を考えている。そんな対比が感じられる詩です。


 孫娘の過去はわずかしかなくて、未来は遙か彼方まで広がっている。一方、祖父はたくさんの過去を持っていて、未来は少なくなっている。


 この一時期、孫娘と祖父の今が重なって、こうして一緒に生きている不思議を感じました。


 もしかすると、いつか、孫娘は成長して、この丘へ登る日くるかもしれません。その時は、傍らに伴侶が一緒かもしれません。

丘の上で、雲を見上げて、「おじいちゃんの髪みたいな雲だった」と、思い出すかもしれません。


 さらに時が過ぎ、孫娘の過去が増えて、未来が少なくなって来たとき、彼女もまた、孫と一緒に丘の上に座っているかもしれません。


丘の上の風景は変わらないけれど、そこに座る人の姿は、時とともに変わって行く。

そんなことを、勝手に想像して読みました。

(記:2022-02-09)

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