第71話あるるかんの死・森川義信:映画のラストシーンのようなイメージ
森川義信の「あるるかんの死」を読みました。底本は『増補 森川義信詩集』(国文社)一九九一年刊。
青空文庫で読みました。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001652/card54347.html
森川義信は大正十八年(一九一八年)香川県生まれの詩人。中学時代から詩を書き、詩誌に投稿していました。
昭和十二年「LUNA」に参加。ここで知り合った鮎川信夫、中限雅夫らとともに昭和十四年「荒地」に加わりました。
昭和十七年(一九四二年)二五歳の若さで、ビルマの戦地で病死しています。
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あるるかんの死
森川義信
眠れやはらかに青む化粧鏡のまへで
もはやおまへのために鼓動する音はなく
あの帽子の尖塔もしぼみ
煌めく七色の床は消えた
哀しく魂の溶けてゆくなかでは
とび歩く軽い足どりも
不意に身をひるがへすこともあるまい
にじんだ頬紅のほとりから血の色が失せて
疲れのやうに羞んだまま
おまへは何も語らない
あるるかんよ
空しい喝采を想ひださぬがいい
いつまでも耳や肩にのこるものが
あっただらうか
眠るがいい
やはらかに青む化粧鏡のなかに
死んだおまへの姿を
誰かがぢつと見ているだらう
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映画のラストシーンを見るような美しい詩だと感じました。
なぜか、フランスの古い映画「天井桟敷の人々」を、思い浮かべました。
アルルカンはフランス語。
イタリアの喜劇コメディア・デラルテの道化役。または、単にピエロ、道化師を指してして言う場合もあります。イタリア語でアレッキーノ、英語ではハーレクインと呼ばれます。
この詩のあるるかんの仕事場がどのようなところだったのかはわかりませんが、私は小さな古い劇場をイメージしました。あるるかんは死の直前まで舞台の上で演じていたのではないかと想像します。
体調が悪かったのかもしれません。それでも観客にはそんなことを、みじんも感じさせずに動きまわり、笑いを振りまくのでした。
やがて幕が下り、アンコールの拍手がまだ響いている中、あるるかんは高揚感で息を弾ませながら、楽屋へ戻るのです。
そして、突然の死。誰に看取られることもなく、化粧鏡の前で、命の炎が燃え尽きます。
そんな想像を巡らせながら、この詩を読みました。
道化師は観客に笑いを振りまいて、面白おかしい演技をしますが、その姿は同時に、なぜか悲しさや苦しさも感じさせます。
喜劇の裏には同時に悲劇が隠されているのかもしれません。
(記:2017-11-22)
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