第68話サーカス・中原中也:言葉の感覚に身震いする

中原中也の「サーカス」を読みました。詩集『山羊の歌』の一篇です。

青空文庫で読みました.。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000026/card894.html


中原中也(一九〇七年~一九三七年)は、日本の詩人。歌人。ランボオの詩の翻訳も手がけています。三十歳で亡くなっています。


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サーカス


      中原中也


幾時代かがありまして

  茶色い戦争ありました


幾時代かがありまして

  冬は疾風吹きました


幾時代かがありまして

  今夜 此処ここでのひと殷盛さか

    今夜 此処ここでのひと殷盛さか


サーカス小屋は高いはり

  そこに一つのブランコだ

見えるともないブランコだ


さかさに手を垂れて

  汚れ木綿の屋蓋やねのもと

ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん


それの近くの白い灯が

  安値やすいリボンと息を吐き


観客様はみな鰯

  咽頭のんどが鳴ります牡蠣殼かきがら

ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん


屋外やぐぁいくら くらくら

夜は劫々こふこふと更けまする

落下傘奴らっかがさめのノスタルヂアと

ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん


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 サーカスの支配人か、または道化師が口上を述べているような、独特のリズムのある詩です。


 まずは、一行目の「茶色い戦争ありました」に衝撃を受けました。

戦争を茶色と色で表現するなんて思いもつきません。でも、今ではない過去にあった戦争のイメージがわき起こってきます。私は茶色というより、セピア色に色あせた古い写真を想像しました。


 私の子供の頃にはまだ旅まわりのサーカス一座があって、祖母に手を引かれて見に行ったことがあります。町の空き地にテントを建てての興業です。

子供心には華やかな舞台に見えましたが、今思い出すと、かなり手作り感満載の作りだったように感じます。


 詩人の目の前に繰り広げられていたのも、そんなサーカスだったのかもしれません。キラキラしたスパンコールの衣装に身を包んだ女性の、空中ブランコを見ているのは、鰯のように口を開けて、こぞって天井をを眺めている観客たち。ユーモラスなような、皮肉っぽいような感じです。


「ゆあーん ゆよーん ゆあゆよん」は、ブランコが揺れるようすですが、ブラブラではなく、ブラーン ブラーンではなく、ゆあーん ゆよーん なのがすごいところ。


 詩人が創作したオリジナルな言葉だと思いますが、ここでは「ゆあーん ゆよーん」以外の言葉はないと感じます。


一度読んだら忘れられないフレーズ。どんな脳がこんなオノマトペを生み出すのだろうと驚いてしまいます。


 サーカスって華やかで楽しくて賑やかで、明るいメージですが、同時に、何か暗く湿っぽく影のあるような、もの悲しさも感じられます。


この詩も表向きユーモラスでリズミカルですが、裏側には皮肉っぽい、何か秘めた心があるように感じます。

(記:2017-09-15)

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