第67話クリスマス・萩原朔太郎:華やかな西洋文化への憧れ
萩原朔太郎の「クリスマス」を読みました。
青空文庫で読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000067/card53653.html
底本は『萩原朔太郎全集第三巻』(一九七七年筑摩書房)
萩原朔太郎は一九九六年(明治十九年)生まれの詩人。日本近代詩の父と言われています。
北原白秋の雑誌「
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クリスマス
萩原朔太郎
クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましさに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙の輝く星星。
我にも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
冬の夜幼き
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この詩が書かれたのは大正時代なのか、当時はまだ西洋の行事、クリスマスは知られていなかったのでしょう。
「隣の子の羨ましさに」とありますので、子どもの気持ちになって書いた詩でしょうか、クリスマスが何かはわからないけれど、なんとなく特別なことだと感じられたのだと思います。
隣の家の窓をこっそりのぞいてみると、キリスト教徒のその家の部屋は、見たこともないような飾りや、キラキラ輝く銀紙の星で華やかに飾られていたのでした。
日本にはなかった新しい文化や習慣を目の当たりにして、カルチャーショックを感じたのでしょう。でも、その時の涙を流すほどの羨ましさや、我が家にも欲しいというあこがれは、のちのちの日本文化にも大きく影響して、現代のクリスマスに繋がっているように思います。
考えてみると、日本のクリスマスは、宗教的な部分は取り除かれて、見た目の華やかさや、楽しさを中心に取り入れられているように思います。
つまり、「西洋」という家の外から、少年が窓を通して見たあこがれを、現実化したもののようのに感じるのです。
キラキラしたイルミネーションや、賑やかなパーティ、プレゼントやケーキ、ご馳走の数々。街でも家庭でも、色んな形でクリスマスを楽しむ人が多いですよね。
でも、キリスト教徒が、なぜお祝いするのか、本当の意味をさほど強く考えることなく、お祝いの雰囲気だけを楽しんでいるのですね。
それが悪いわけではありません。八百万の神を信仰する風土。どんな神様でも受け入れてしまうのが、日本ならではの大らかな文化なら、それはそれで良いのでしょう。
(記:2016-12-05)
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