第66話山茶花・岡本かの子:愛憎を超えて夫婦関係を冷静に語る
岡本かの子の「山茶花」を読みました。
青空文庫で読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000076/card4543.html
底本は『愛よ、愛』(一九九九年パサージュ叢書・メタローグ)
岡本かの子(一九九〇年~一九三九年)は、日本の小説家、歌人、仏教研究家です。
少女の頃から和歌を詠んで、新聞の文芸欄などに投稿していました。十七歳で与謝野晶子に師事し、雑誌「明星」「スバル」に作品を投稿しました。小説家となったのは晩年です。
跡見女学校卒業後、漫画家の岡本一平と結婚しました。長男は画家の岡本太郎。夫の放蕩や、二人の強い個性がぶつかり合って結婚生活は破綻していて、互いの了解のもとで恋人と同居生活をしたり、奇妙な結婚生活を送ります。
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山茶花
岡本かの子
ひとの世の男女の
行ひを捨てて五年夫ならぬ夫と共に
今年また庭のさざんくわ
夫ならぬ夫とならびて
眺め
夫ならぬ夫にあれど
ひとたびは夫にてありし
つまなりしその昔より
つまならぬ今の語らひ
今年また庭のさざんくわ
ならび居て二人ながむる。
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岡本かの子と言うと、奔放で大胆な女性というイメージがありましたが、やはり波瀾万丈な人生を歩んだようです。
この詩に書かれているのは、「夫ならぬ夫」。夫との奇妙な関係を詠っています。夫の岡本一平とうまくいかなくなったのは、夫の放蕩が大きな理由のようですが、親や親戚との確執など、複数の原因があったようです。
明治大正時代は、今以上に家との結びつきが大きく、親、親族に気に入られない嫁は、苦労したであろうことはよくわかります。
やがて、夫にも愛人がいて、かの子にも若い恋人ができ、夫の了解を得て同棲を始めるという状況にもなります。「夫ならぬ夫」という関係は、そういう状態を指しているのでしょう。
それでも離婚することなく、五年も一緒に住み、ともに並んで、庭の山茶花を眺めている。夫婦とは不思議ものだと感じます。
詩は生々しい感情ではなく、他人事のように淡々と書かれています。もはや愛憎を超えてしまって、同志のような関係なのかなと想像しました。
二人とも心の平安を宗教に求め、親鸞の『歎異抄』に感化されて、仏教研究をはじめたと聞きます。
仏教によってなだめられた激しい心が、客観的に自分たち夫婦を眺めているのかもしれません。
(記:2016-12-02)
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