第60話港にはいる汽船・桜間中庸:緩と急の変化が面白い港の美しい光景
桜間中庸の「港にはいる汽船」を読みました。
青空文庫で読めます
https://www.aozora.gr.jp/cards/001604/card53855.html
底本は『日光浴室 桜間中庸遺稿集』(1936年ボン書房)
早稲田大学在学中に童謡研究会に所属して、友人とともに「早稲田童謡」を創刊しました。一九三四年大学在学中に亡くなっています。
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港にはいる汽船
桜間中庸
みなとの海は
みどりのびろうど
テープル掛けのやうな
白い船がはいる
汽笛はふくれてみなとにあふれる
みんなデッキで
こちらをみてる
空からひらりと
ハンケチ落ちた
ちがふあれだよ
白いかもめよ
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汽船が入ってくる港のようすを詠った詩です。
海の色は日の光によって、その時の状況によって違って見えたりしますが、この時は緑のびろうどのような滑らかな海でした。
そんなびろうどの上を、しずしずと入ってくるのは、テーブルかけのような白い船。船の比喩にテーブル掛けというのは、面白い発想だなと思います。
フリルのついたレースのテーブルクロスでしょうか、それだと、なんとなく船の窓が並んでいるように感じるかもしれませんね。
汽船は蒸気船のこと、詩人の時代は明治ですから、黒船来航以来開国してからさまざまな西洋文化が入って来て、日本人の生活が変わりつつあった時代。
でも、汽船はまだ珍しかったのではないかと想像します。港には汽船見物の人がたくさんいたかもしれません。
もの珍しく眺めていると、ボーッと大きな汽笛。「汽笛はふくれて」は、印象的な表現です。
汽笛のボーッは、耳のあたりにしばらくとどままって、あたり一帯に広がっていくような音です。あの感覚が「ふくれて」なのだなと感じました。
船から目をそらせずにずっと眺めていると、ふいに視線の隅に白いハンカチのようなものが、ひらりと見えました。よく見ると、空を飛んでいるカモメ。
「ちがふあれだよ」が、わからなかったのですが、もしかすると、「違うアレだよ」なのかなと気づきました。
以前取り上げた「金魚は青空をたべてふくらみ」の詩の時も感じましたが、ゆったりと静かな状態でいる時、最後にサッと急な動きが表現されているのが、変化があって面白いです。
(記:2016-11-11)
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