第57話秘やかな楽しみ・梶井基次郎:ひとつの檸檬が心の鬱を吹き飛ばす

梶井基次郎の「秘やかな楽しみ」を読みました。

青空文庫で読めます

https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card56504.html

 底本は『梶井基次郎全集 第一巻』(一九八六年・ちくま文庫)


 梶井基次郎は、一九〇一年(明治三四年)生まれの作家。

詩情豊かな文章表現で二十余り短編を残して、一九三二年(昭和七年)、三一歳で肺結核で早世しました。作品は死後に評価が高まり、多くの作家たちから賞賛を受けています。

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密やかな楽しみ


       梶井基次郎


一顆の檸檬を買い来てそをもてあそぶ男あり、

電車の中にはマントの上に、

道行く時は手拭タオルの間に、

そを見 そを嗅げば、

嬉しさ心に充つ、

悲しくも友に離りて

ひとり 唯独り 我が立つは丸善の洋書棚の前、

セザンヌはなく、レンブラントはもち去られ、

マチス 心をよろこばさず、

独り 唯ひとり 心に浮かぶ楽しみ、

秘めやかに檸檬を探り、

色のよき 本を積み重ね、

その上にレモンをのせて見る、

ひとり唯独り数歩へだたり

それを眺む、美しきかな、

丸善のほこりの中に、一顆の檸檬澄みわたる

ほほえまいて またそれをとる、冷たさは熱ある手に快く

その匂いはやめる胸にしみ入る、

奇しことぞ、丸善の棚に澄むはレモン

企みてその前を去り

ほほえみて それを見ず


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  丸善は、京都の三条通麩屋街にあった、本や文具などを売る店でした。二〇〇五年に一度閉店しましたが、二〇一五年に復活しています。


 お店が閉店した時には、小説『檸檬』に出てくるように、本棚の上に檸檬を置いて帰る人が続出したそうで、梶井基次郎ファンにとっては聖地的な存在になっています。


 この詩は丸善の棚に檸檬を乗せて去るという、小説『檸檬』と同じテーマで書かれています。小説は青空文庫でも読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/card424.html


 若くして病を得て、鬱々とした日々を過ごしていた作者でした。友人の部屋を転々としていたようで、心身共に不安定な生活だったのでしょう。


 そんな時、通りがかった八百屋で、鮮やかな色の檸檬が目にとまります。

当時の食生活の中で、檸檬は珍しい果物だったのかもしれませんね。色彩も香りも味も西洋のハイカラな息吹が感じられたのです。


 また、熱っぽくてだるい体には、檸檬の爽やかな香りが癒やしでもあったのかもしれません。


 作者は一つの檸檬を慈しむように持ったまま、丸善の洋書棚の前に立つのでした。

セザンヌやレンブランド、マチスなど西洋美術の本がお気に入りだったのでしょう、でも、その時は「心をよろこばず」だったようです。


 そこで、棚の本を重ねて、その上に檸檬を置いて眺めてみると、心動かされる光景があらわれました。

ちょっとしたイタズラ心だったのかもしれませんが、レモンの爽やかさが、分厚い洋書の重苦しさを、吹き飛ばしたように感じられたのでした。


 最後に「企みてその前を去り」とありますが、小説でも、そのまま檸檬を置いて立ち去ります。そして、檸檬が金色に輝く爆弾だったらと想像するのでした。


 小説に書いて、さらに詩にも書いているということは、「丸善の書棚に檸檬を置く」という行為が、作者にとっては、とても重要な意味を持つことなのだと思います。


 病気や悩みなど、作者が抱えている重苦しいものを一時的にでも吹き飛ばしてくれる、起爆剤のようなものなのかもしれません。


 私の理解力では、作者の複雑な胸の内までには踏み込んでいけませんでしたが、この詩も、小説もとても心惹かれるものがありました。

(記:2016-10-31)

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