第55話芝の芽・土田耕平:詩人の原風景、あの頃は何にでもなれた
土田耕平の「芝の芽」を読みました。
青空文庫で読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001179/card45148.html
底本は日本児童文学大系第九巻(一九七七年ぽるぷ出版)です。
土田耕平は、一八九五年(明治二八年)生まれの歌人。童話作家。一九一一年に嶋木赤彦に師事して歌詩「アララギ」に投稿。編集にもかかわっていました。
一九二一年頃病気のため伊豆で療養生活をおくっています。その後は故郷の長野へ帰り、県内を転々としながら、信濃毎日新聞の歌壇選者を務め、短歌、童話の創作活動をしました。一九四〇年に心臓病で亡くなっています。
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芝の芽
土田耕平
芝の芽の萌えるころは
ふるさとの丘を思ひだす
ゆるやかにふわふわと雲り浮かんだ
あの丘山を
犬ころが走り
凧があがり
ぼくらは寝そべつてゐたっけが
「どこへ行かうかな」
「大きくなつたら」
「海へ__空へ__遠いところへ__」
誰やかれやみんな叫びあつた__
芝の芽の萌えるころは
ふるさとの丘を思ひだす
ゆるやかにふわふわと雲の浮かんだ
あの丘山を
ああ誰もかれも
みんな大きくなつただらうな
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冬の間茶色く縮こまっていた芝の芽が芽吹くのは春、4月ころからです。
暖かい日差しを浴びて、子供たちはふんわり白い曇の浮かぶ丘山に集い、思い思いに遊んでいるのです。
それが大人になった詩人の原風景、子供の頃のふるさとでの楽しい想い出なのですね。当時は世の中のことは何も知らなくて、将来は希望に満ちていました。
社会に出て色々な経験を積んでから、あの頃のことを考えると、どこまでも、ひたすらに走って行けそうに感じていた、あの頃の自分が愛おしい。
そして、そう考えている自分と同じように、あの頃一緒に将来を考えた子供たちも、みんな大人になっているのでしょう。どんな大人になっているのかな、なつかい気持ちでいっぱいになります。
(記:2016-10-24)
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