第42話飯・千家元麿:ご飯の本当のおいしさを忘れてました

千家元麿の「飯」を読みました。初出は詩集『自分は見た』(一九一八年玄文社)

青空文庫で読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000617/card48569.html

底本『日本現代文学全集54千家元麿・山村暮鳥・佐藤惣之助・福士幸次郎・堀口大學集』(講談社)


千家元麿(一八八八年~一九四八年)は、出雲大社宮司で貴族院議員の千家尊福せんげたかとみの庶子として、画家の小川梅崖との間にまれました。

武者小路実篤の弟子として雑誌「テラコッタ」「麦」などを創刊、詩作を続けました。


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        千家元麿


君は知ってゐるか

全力で働いて頭の疲れたあとで飯を食ふ喜びを

赤ん坊が乳を呑む時、涙ぐむやうに

冷たい飯を頬張ると

餘りのうまさに自ら笑ひが頬を崩し

目に涙が浮かぶのを知ってゐるか

うまいものを食ぶ喜びを知っているか、

全身で働いたあとで飯を食ふ喜び

自分は心から感謝する。


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 甘い、しょっぱい、酸っぱい、熱い、冷たい。味が無い……

年取って子供に返りつつある実母ははは、食事を一口食べた後に必ず文句を言います(笑)


 老齢のため味覚が変化しているのかもしれません、それとも、私の味覚がおかしいのかな? 少しでも美味しく食べて欲しいと作った食事に、毎回クレームがつくので内心ガッカリします。


  なぜ文句が出るかと考えた時、実際に味が気に入らないこともあるでしょうけれど、それ以前に「お腹が空いていない」のが第一の問題なんだと思うのです。


 ほぼ一日をテレビを見て過ごす老人のこと。ちょっとお腹が空けば、お茶を飲んだりお茶菓子を食べたりしますから、キリキリ胃が痛むような空腹になる暇がないのです。


 それは、私自身も同じです。今の時代、家事はボタンひとつで簡単になって、重労働することはなくなりました。仕事で疲れ切って、空っぽのお腹にご飯を掻き込むことなどありません。


 一日三回、食べることが当たり前で、食事を作っている私本人さえ、ご飯のおいしさに感動することが無くなっていたのです。


この詩を読んでハッとしました。


 しっかり働いて快い汗を流した後、夕飯のおかずは何かなと、ワクワクしながら帰宅。お腹ペコペコでようやくご飯を口に入れたときのおいしさ、感動。

もう長いこと忘れていました。贅沢な話です。


 ホカホカのご飯とお味噌汁。お漬け物があれば。基本的にはそれでじゅうぶんに満たされます。


 健康な体を維持するには、バランスの良い食事は必要ですけれど、満腹状態に馴れすぎてしまうと、ご飯の本当のおいしさがわからなくなってしまうのですね。


 美味しいご飯をを食べるためには、仕事や運動した後の快い疲れと空腹、そして、安らげる食卓が必要なのです。

(記:2016-09-15)

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