第41話うつくしいもの・八木重吉:究極の美を求める詩人の想い

八木重吉の「うつくしいもの」を読みました。

『定本八木重吉詩集』(弥生書房)の「秋の瞳」に収載されている一篇です。

青空文庫でも読めます

https://www.aozora.gr.jp/index_pages/person13.html

 底本は『八木重吉詩集1』(1988年ちくま文庫)


八木重吉は一八九八年(明治三一年)生まれの詩人。高等師範学校卒業後英語教師となりました。クリスチャンで信仰に関する詩も多く書いています。結核のため一九二七年(昭和二年)二九歳で早世しています。


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うつくしいもの

          八木重吉


わたしみづからのなかでもいい

わたしの外の せかいでも いい

どこか「ほんとうに 美しいもの」は ないのか

それが 敵であっても かまわない

及びがたくても よい

ただ 在るといふことが 分かりさへすれば、

ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ


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 それが美しいかどうかは主観的なものです。

私は美しいと思っても、あなたは違うかもしれません。世界中のほとんどの人が美しいと感じても、私ひとりは、そうじゃないかもしれません。

誰もが美しいと思うような普遍的な美は、果たしてあるのかどうか、わかりません。


 それでも、詩人はそれを求めたいと願っていたのでしょう。

自分の目で確かめられなくてもいい、それが、この世にあることさえわかれば、手が届かなくても、自分の敵であっても構わないというのです。


 芸術をとことんまで突き詰めて行く詩人の心は、そこまで求め続けているのですね。


 でも、張り詰めてばかりいては心が病んでしまうような気もします。

最後の一行「ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ」で、私は少しホッとしました。


 疲れていいのですよ。ひとすじの道をひたすら追求することは、美しいことではありますが、ふと立ち止まって周りを見渡す余裕は欲しいもの。


 もしかすると、詩人が意図した詩の意味とは違うかもしれませんが、そんなことを考えました。

(記:2016-09-12)

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