第37話足跡・蔵原伸二郎:きつね詩人が残したかったことは何だろう

蔵原伸二郎の「足跡」を読みました。

青空文庫で読めます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001821/card56986.html

底本は『近代浪漫派文庫29大木惇夫 蔵原伸二郎』(二〇〇五年新学社)


蔵原伸二郎(一八九九年~一九六五年)は詩人、作家。阿蘇神社の直系の家系で、父親は神官。母は医学者北里柴三郎の妹でした。

大学在学中、萩原朔太郎の影響を受けて詩を書き始めました。


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足跡


      蔵原伸二郎


ずつと昔のこと

一匹の狐が河岸の粘土層を走っていつた

それから

何万年かたつたあとに

その粘土層が化石となつて足跡が残つた

その足跡を見ると、むかし狐がなにを考えて

走つていつたかがわかる


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  詩人の作品には狐を詠んだ詩がいくつかあって、きつねの詩人とも呼ばれるそうです。

この詩は短い詩ですが、なぜかとても印象的でした。淡々と書いているようで、とても強いエネルギーを感じました。

 後で知ったのですが、詩人の絶筆になった作品なのだとか。


 狐は、エサを求めて走ったのでしょうか、それとも、伴侶を求めて走ったのでしょうか。いつものようにただ走っただけなのに、地層の中にその瞬間が切り取られました。


 まさか何万年後の未来に、その目的が取りざたされるとは、思ってもみなかったでしょうね。


 同じ狐が走っても、そこが粘土層の上でなければ消えてしまっていました。後世にその存在が残るのは特別な1匹なのかもしれません。


でも、 はっきり見えなくても、何万年も先に残らなくても、誰の後にも足跡が残ります。


 残したかったものがそのまま残る場合と、意図しなかったものが残る場合とがあって、思うままに残せるとは限りませんが、その人の生き様は足跡となって、周囲の人の記憶に刻まれるのです。


 詩人が最後に残したかった足跡は何だったのでしょう。そして、私はどんな足跡を残すのでしょう。 最期の時に満足した足跡が残せるかどうかは、生き方次第なのですね。

(記:2016-09-01)

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