第32話野分に寄す・伊東静雄:嵐の一夜を過ごす心の高ぶり
伊東静雄の「野分に寄す」を読みました。
詩集『夏花』に掲載の一篇。青空文庫で読めます。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001197/card45279.html
伊東静雄は一九〇六年(明治三九年)生まれの詩人。京都帝国大学卒業後高校教師になり、地方公務員として生涯教鞭をとりながら詩を書き続けました。一九五三年(昭和二八年)に肺結核で亡くなっています。
===================
野分に寄す
伊藤静雄
野分の夜半こそ愉しけれ。そは懐かしく寂しきゆふぐれの
つかれごころに早寝入りひとの眠りを、
空しく明くるみづ色の
木々の歓声とすべての窓の性急なる
真に独りなるひとは自然の大いなる
恒に覚めゐむ事を
わが屋を揺するこの疾風ぞ雲ふき散りし星空の
まつ暗き海の
柳は狂ひける女のごとく逆しまにわが毛髪を振りみだし、
摘むまざるままに腐りたる葡萄の実はわが
ことごとく地に叩きつけられけむ。
いま
あはれ汝らが
こころ賑はしきかな。ふとうち見たる室内の
野分よさらば駆けゆけ。目とむれば草紅葉すとひとは言へど、
野はいま
===================
昨日から台風が三つも日本に襲いかかって、(二〇一六年八月現在)事故や被害が起こっています。
北関東の我が家でも、強い風雨が吹き付けて家はガタガタ大揺れですし。雨漏りまでする始末。心配な一日を過ごしました。
そんな中で読んだのがこの詩でした。
文語体の詩は現代の言葉に慣れた身には、なんとなく理解できるような、できないような、もどかしい気もします。
その一方で古い言葉ならではの独特のリズムや趣があって魅力的です。
冒頭が「野分の夜半こそ愉しけれ。」ですから、なんとのんきなことを言っているのかと思いましたが(笑)
後に続く言葉からは、もしかすると皮肉な意味で言っているのかもしれないなとも思いました。
疲れて夕方早く寝た詩人の眠りを、朝まで続かせないために、木々は歓声を上げ、窓を激しくノックして目覚めさせるというのですから、大きな台風だったのでしょうね。
「柳は狂ひける女のごとく逆しまにわが毛髪を振りみだし」は、風の強さを非常に良くイメージさせてくれます。
詩人は庭の暗い隅に植えてある菊や薔薇の花がどうしているのかと気になりますが、それでも、この野分で散ってしまうのをあわれとは思わないというのです。
みんな最後の季節を選んで咲いているのだから、その誇り高い姿には憐れみはふさわしくないと言うのでしょう。
ふと燈火が照らす鏡に視線を移すと、「いきいきとわが双の
確かに、いつもと違う特別な環境、風雨が激しく暴れまわる気配に、いつになく気持ちが高ぶることはあります。
もしかすると冒頭の「野分の夜半こそ愉しけれ。」は、こういう気持ちに通じているのかもしれません。
(記:2016-08-23)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます