第26話レモン哀歌・高村光太郎:愛する人を看取る

高村光太郎の「レモン哀歌」を読みました。

『高村光太郎全集』(電子書籍) 智恵子抄に掲載の一篇です。青空文庫でも公開されています。

https://www.aozora.gr.jp/cards/001168/card46669.html


智恵子は、一八八六年(/明治十九年)生まれの洋画家、紙絵作家で、高村光太郎の最愛の妻でした。

結婚後に総合失調症を発病し、一九三八年(昭和十三年)に肺結核で亡くなりました。

智恵子が亡くなってから三年後に発表されたのが、高村光太郎の詩集『智恵子抄』です。


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レモン哀歌

        高村光太郎


そんなにもあなたはレモンを待ってゐた

かなしく白いあかるい死の床で

わたしの手からとつた一つのレモンを

あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ

トパアズいろの香気が立つ

その数滴の天のものなるレモンの汁は

ぱつとあなたの意識を正常にした

あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ぶ

わたしの手を握るあなたの力の健康さよ

あなたの咽喉のどに嵐はあるが

かういふ命の瀬戸ぎはに

智恵子はもとの智恵子となり

生涯の愛を一瞬にかたむけた

それからひと時

山巓さんてんでしたやうな深呼吸を一つして

あなたの機関はそれなり止まつた

写真の前に挿した桜の花かげに

すずしく光るレモンを今日も置かう


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愛する妻の臨終を詠った詩です。

昭和十四年二月の作となっているので、十三年に亡くなって、少ししてからの作品だと思われます。


 智恵子さんは死の床でレモンが食べたかったのですね。間に合って良かった。


 私の祖母が亡くなる時に、スイカが食べたいと言ったので、父と私とでお店を探しまわったことがありました。十一月の末のことでした。


 そんな時期にスイカが売っているはずもなく、やむなくメロンを買って帰りましたが、食べられずに逝ってしまいました。


 それが今でも気に掛かっているので、詩の内容とは関係ないのですが、思い出してしまったのです。


 詩人は「トパアズ色の香気」が病んでいた妻の精神を、一瞬正常に戻してくれたように感じられました。

 最後の命の輝きが、詩人にその愛を伝えているかのように、智恵子の握る指が力強く訴えていました。


 私はこれまで、祖父母と父を看取りましたが、亡くなる直前には、回復したように感じる一時期があるものなのです。

覚悟はしていても、このまま良くなってくれるのではないかと信じたいのです。


 それでもやはり、「その時」は来てしまうのです。「昔 山巓さんてんでしたやうな深呼吸を一つして」妻はその時を迎えます。


 詩からは、静かでやすらかな死であったように思われます。

一秒前には生きて詩人を愛していた人が、次の一秒でもう亡くなってしまっている。とても不思議で厳粛な時間です。


  妻を亡くした詩人の喪失感はいかばかりであったのか、計り知れません。

でも亡くなって少し時間が経ってから、この詩が書けるようになった時期には、少しは気持ちが落ち着いてきたのかもしれません。


あの日病室で妻が噛んだレモンを、写真の前に供えて、静かに妻をしのぶ詩人の背中がイメージされました。

(記:2016-08-12)

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