第27話パン・ガブリエラ ミストラル:人生のさまざまな思い出が蘇る
ガブリエル・ミストラルの「パン」を読みました。
『双書・20世紀の詩人ガブリエラ・ミストラル詩集』田村さとこ・篇/訳(小沢書店)に掲載されている一篇です。
ガブリエラ・ミストラル(一八八九年-一九五七年)は南米チリの詩人。教育者で外交官でもあります。一九四五年にノーベル文学賞を受賞して「ラテンアメリカの母」と慕われている女性です。
私は最近まで存じ上げなくて、ネットでこの「パン」という詩を知って読んでみたくなり、詩集を探しました。
田村さとこ氏訳の詩集は今は絶版で、書店では買えなかったのですが、古本で入手することができました。
今はまだこの「パン」という詩しか読んでいないのですが、この一編を読めただけでも、詩集を手にした甲斐があったと感じます。
私がこの詩をぜひ読みたいと望んだのは、冒頭部分がきっかけでした。
「テーブルの上に置きさらされたひとつのパン
半分 焦げていて 半分 白く
てっぺんがつまみとられていて
純白の中身がのぞいている」
何気ないこれだけの描写で、それ以降の詩がどう続くのかもわからなかったのですが、魅了されました。
日本人がご飯を主食として育つように、南米の人々はパンを命の糧として育つのですね。そこには、子供の頃からの色々な思いが詰まっているのです。
「半分 焦げていて 半分 白く」焼けたパンは、かまどの火が均一でなかったためでしょう。普通の家の台所の道具は完璧とは言えなかったのでしょうけれど、母が毎日焼いてくれる、なつかしいパンなのです。
「てっぺんがつまみとられている」のが、ほのぼのとして、なんだか心があたたかくなりました。
誰がつまみ食いをしたのかわかりませんが、焼きたてほかほかのパンがテーブルの上に乗っていたら、誰でもちょっと味見してみたくなります。
おそらく私の焼いたパンだったら、「なんでてっぺんを食べたのよ、端っこから食べてよね」と怒るでしょうね(笑) でも、つまみ食いする方は、そんなことにはお構いなしなんですよね。思い当たります。
テーブルの上に乗っているパンをながめることによって、詩人の思いは巡ります。母のお乳の匂い、これまで暮らしてきた土地の匂い。
この詩を書いている詩人は、年取っているのだけれど、このパンと向き合うことで、幼い頃の自分、若い頃の自分と向き合っているのでしょう。
実のところ、一~二回読んだだけでは深い思いまでは理解しきれないのですが、おだやかでやさしくて、軽い薄絹のベールをかけたような詩人の心が感じられます。
(記;2016-08-13)
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