第25話私の前にある鍋とお釜と燃える火と・石垣りん

石垣りんの「私の前にある鍋とお釜と燃える火と」を読みました。

『永遠の詩5 石垣りん』(小学館eBOOKS)掲載の一編。


詩集『わたしの前にある鍋とお釜と燃える火と』(一九五四年)に掲載されています。初出は『銀行員の詩集』伊藤信吉・野間宏・選(一九五二年)


石垣りんは一九二〇年生まれ。二〇〇四年に八四歳で亡くなっています。

十四歳で銀行に就職し家族を支えて、定年まで勤め上げた働く女性でした。


 祖母も母も、そして自分、主婦の前には代々お鍋やお釜、そして、調理するための火がありました。


 働く女性詩人はそれを否定していません。むしろ「愛や誠実の分量」をそそぎ、朝昼晩の食事を作り続けている行為を「無意識なまでに日常化した奉仕の姿」と表現しています。


  家族を「あたたかい膝や手」と書いていることにも魅かれます。

それらの人たちがいるからこそ、毎日毎日食事を作り続けることができるのです。


 かつて私は、父の闘病生活を助けるために、それまでしていた仕事を辞め、専業主婦になりました。


 当時、近所の人や知り合いから「今は何をしているの?」と問われた時。「専業主婦」だと答えるのか、なんとなく恥ずかしいような気がしました。


 まわりの同年代の女性のほとんどは、お勤めをしていましたので、なんだか家で何もせずに遊んでいるような気がしたためです。


 確かに、お勤めよりも自由な時間が増えましたけれど、決して遊んでするわけでもなかったのですが、家事は仕事ではない、やって当然なこと、というような昔からの認識が残っていためなのかもしれません。


 でも、この詩の前半部分を読んで、少し救われたように感じました。

良いのだ。家族が居るからこそできる家事は、ちゃんとした仕事だと誇ってもいいのだと思いました。


 ただ、詩人は詩の後半で、そういう主婦も家の中のことばかりでなく、「政治や経済や文学も勉強しよう」と勧めています。


 狭い家の中だけが女性の世界のすべてではいけない、家庭の視点から世の中の様々なことを見、聞き、知って世界を広げることが大切なのですね。


  女性が単なる夫の付属ではなく、ひとりの人間として自立して生きて行くために、知識を増やし、自分を育てて行くべきなのです。

(記:2016-08-10)

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