第23話八月六日・峠三吉:現実にあったことなのです

峠三吉の「八月六日」を読みました。

青空文庫に公開されている一篇です。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001053/card4963.html

底本は『原爆詩集』(一九五二年青木書店・刊)


峠三吉は一九一七年(大正六年)生まれ。一九四五年(昭和二十年)八月六日に爆心地から三キロメートルの広島市翠町で被爆しました。


 最初の原爆詩集はガリ版刷りで五〇〇部制作された自家版でした。当時の社会情勢によって、出版社が発売禁止を恐れて出版拒否したためだそうです。


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八月六日


      峠 三吉


あの閃光が忘れえようか

瞬時に街頭の三万は消え

圧しつぶされた暗闇の底で

五万の悲鳴は絶え


渦巻くきいろい煙がうすれると

ビルディングはけ、端はくず

満員電車はそのまま

涯てしない瓦礫がれきと燃えさしの堆積たいせきであった広島


やがてボロ切れのような皮膚を垂れた

両手を胸に

くずれた脳漿のうしょうを踏み

焼け焦げた布を腰にまとって

泣きながら群れ歩いた裸体の行列


石地蔵のように散乱した練兵場の屍体

つながれたいかだいより折り重なった河岸の群も

灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり

夕空をつく火光かこうの中に

下敷きのまま生きていた母や弟の町あたりも

焼けうつり


兵器廠へいきしょう糞尿ふんにょうのうえに

のがれ横たわった女学生らの

太鼓腹の、片目つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の

誰が誰とも分からぬ一群の上に朝日がさせば

すでに動くものもなく

異臭いしゅうのよどんだなかで

かなダライにとぶ蝿の羽音だけ


三十万の全市をしめた

あの静寂が忘れえようか

そのしずけさの中で

帰らなかった妻や子のしろい眼窩がんか

俺たちの心魂をたち割って

込めたねがいを

忘れえようか!


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今年の八月六日は、七一回目の原爆の日、原爆忌でした。(二〇一六年現在)

アメリカ軍によって広島に原子爆弾が落とされた日です。そして、八月九日には、長崎にも落とされました。


 通学途中の子供達が、武器を作る作業に動員されていた女学生が、仕事場へ向かおうとしていた男女が。


いつもと変わらぬ日常を暮らしていた普通の人々が、その一瞬で、なすすべもなく地獄絵図の中に放り込まれてしまう。


 死んでしまった人は地獄、生き残った人はさらに地獄。そして、七一年たってもなお苦しんでいる人がいます。


 その日を実際に経験した詩人の描写は生々しく、思わず目を背けてしまいたくなります。でも、目を背けてはいけないのです。


 のんきに日常を生きている私には、想像もできないようなことが、現実にあったのだと、衝撃を受けることが必要なのです。

(記:2016-08-08)

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