第12話 りつ子さんと息子彰人との確執

 やはり、家族に一人、犯罪者がでるとすべてに影響する。

 だから俺は、家族にぬくもりを求めない。ぬくもりは、あくまでうまくいってるときだけに生じる感情であり、そうでなくなったら、これだけ世話をしたのに裏切られたという思いで、氷のような冷徹さへと変化するものだから。

「しかし、その息子の弟がなんとホストにスカウトされたというのは、大笑いでしょ」

 ということは、結構男前だったりしてな。

 まあ、少年院出身の俳優、ボクサーもいるし、ナンバー1ホストも存在していることもあるし、身内だからといって、少年院出を差別するのは間違っているとは思うが・・・

 一寸先は闇という言葉があるが、そういう俺も一歩間違えれば犯罪者になっていたかもしれない。

 だいたい、統一教〇にしても、いい家庭のごく普通の子が狙われる時代である。

 友人まがいに近づいてきて「あなたは能力のある素敵な人」などとおだて上げ、印鑑や壺を買わそうとする。

 一度入会したら、脱会は難しいというが、真面目で従順な人ほどひっかかりやすいという。

 多くの金を払ってくれる人を、くじらやまぐろというそうである。

 昔は原理運動と呼ばれ、友情を求める若者ほどひっかかりやすく‘とういっちゃんと呼ばれたこともあるが、もしかして一歩間違えれば俺もひっかかっていたかもしれない。


 りつ子さんは真顔で話を続けた。

「実は、私の次男がここで、働いているという噂だから、確かめにきたの。

あっ彰人じゃない」

 りつ子さんは、今日入店したばかりの新人ホスト彰人を呼んだ。

 彰人は一瞬、驚愕したような顔をしたが、すぐに他人行儀になった。

「あのう、お客様、僕は今日、入店したばかりの彰人です。

 あなたとは、初対面の筈です」

 実母のことを「あなた」とは、ずいぶん冷徹である。

 りつ子さんは、呆れたような、追いすがるような口調で反応した。

「ちょっと、親にむかってなんて口をきくの。これでも、彰人を心配して来たんだよ」

「なんなんでしょうか? あなたに心配されるほど、僕は落ちぶれていません。

 僕はヘルプで忙しいんです。では、これで失礼します」

 りつ子さんは、悲しそうな表情を浮かべ、ため息をついた。

 俺には、彰人の気持ちがわかる気がする。

 自分の実のおかんが、不倫をしたなんて、そのDNAが自分に遺伝しそうで怖い。

 それになんだか、おかんが純粋な信頼の対象にならなくなってきている。

 こういう場合は、そっとしておくのがいちばんだった。


 りつ子さんのオーダーしたウーロン茶、俺も珍しくアルコールではなく、ウーロン茶で、税込合計六千八百円。

 まあ、あまり売上にはならないが、女性客に気を使い、言葉を選びながら酒を飲まされるより、喫茶店感覚で気楽におばさんの相手になれそうである。

 俺は、りつ子さんが第二のおかんに思えてきた。

 若い子だと、こちらも気を使わねばならない。

 ちょっとでも、話を外したりすると、それから後が続かなくなる。

 しかし、こういったおばさんだと、逆にフォローしてくれるから、かえってやりやすい。

 とにかく、おばさんというのは、若い男と接したがっているものなのだ。

 それにより、若いパワーを蓄えようと思っているのだろう。

 これで、おばさんを最低三か月は、来店させ引っ張ることができると、俺は安堵感を感じた。


 しかし、どうしたものだろう。

 りつ子さんに、るみさんを会わせるべきなのだろうか?

 現実を見たら、りつ子さんは、二十年間の夢を壊されたみたいで、がっくりくるかもしれない。

 しかし、りつ子さんが、本当にるみさんを愛しているなら、救ってあげたいと思うだろうが、単に好きという感情だけでは、去っていくかもしれない。

 でも、俺はりつ子さんのるみさんへの愛に賭けていた。

 この二人を再開させる必要があると、俺は決心した。

 無謀かもしれないが、現実をお互い知らしめる必要があると思った。


 俺は彰人に、りつ子さんのことを聞く必要があると思った。

 といっても、もちろん、りつ子さんと彰人の親子の仲を取り持つ気はない。

 そんなものは、他人である俺の出る幕ではないが、りつ子さんのことは把握している必要がある。


 俺はりつ子さんのような年齢の人でも、決しておばさんといった目で見ない。

 陰で、おばさんと言ったらその気持ちがやはり相手に伝わるからである。

 あくまで、お客さんは可愛い妹か、俺より人生経験のあるお姉さんといった気持ちで接している。

 りつ子さんは俺にとって、人生の良き先輩。

 今後、俺の人生に、りつ子さんのような人が現れるかもしれない。

 今のうちに、接し方を勉強しとかなきゃな。


「おい彰人、たまには食事、おごるぞ」

 彰人は、怪訝そうな顔で答えた。

「和希先輩、りつ子さんのことが気になってるんでしょう。

 いいですよ。あの女のことを、今ここで洗いざらい暴露しちゃいましょうか?」

「いやあ、そういうわけでもないんだけどさ、こういう仕事って結構、気疲れするだろう。俺も最初は、もう冷や汗かきっぱなしだったなあ」

 彰人は、意外そうに言った。

「えっ、信じられない。今や飛ぶ鳥を落とす勢いのナンバー2の和希さんでも、そういう時代があったんですね」

 俺は、しみじみ答えた。

「俺はまず、先輩と客との空気を壊さないように努力したよ。

 そして、客を無条件に愛するように努めたよ。

 そりゃ俺だって人間だから、こういう人は理解できないと思う人はいくらもいるよ。しかし、好きになるんじゃなくて、俺たちホストは、特定の客を好きになる必要はないんだ。

 だって、好きになってしまえば、どうしてもその客だけひいき目で見てしまうし、それ以外の客と比較してしまうだろう。

 こんなえこひいきは、仕事人としては失格だよ」

 彰人は、納得したように聞いていた。 

「好きになるのではなくて、無条件に愛するんだ。

 この愛というのは、アガペーの愛、こちらから相手に与える愛だ。

 ドンペリを入れてくれるから好きになったという、条件付きの愛だったら、それ以外の客は好きになれないということになってしまう。

 そうしたら、どんどん指名客は離れていくんだ。人の心理は敏感に伝わるんだよ。特に、ホストクラブの客は、心に癒せない傷と埋められない空白感から逃れられない人が多いから、自分がどう思われているかということに、すごく敏感だ」

「そうですね」

 彰人は、初めてポツリと口を開いた。

「俺、ホストという仕事を誤解してました。その場限りの適当なお世辞を言い、ドンペリさえ注文させれば一丁上がりだと思っていたが、そういうものじゃないんですね。だいたい、今のご時世でそう金を落としてくれる人なんていやしないし、一回こっきりじゃ商売になりませんね」

「その通りさ。キャッチセールスのように、展示会があるとかと言って、騙して客を連れて行き、原価五万円の商品を百万円のローンで購入させて、後は野となれ山となれじゃダメなんだ。金儲けとしては、それで通用しても絶対に、人生のつけがまわってくるよ」

「そうですね。悪銭身につかずといいますものね。

 だいたい、騙したり恐喝したあと、心臓ドキドキバックンバックン状態になり、それを紛らわすために大酒や麻薬に走ったりするといいますね。

 なんだか、和希さんの話を聞いていると、この仕事って保険の外交員に似てますね」

 俺は生命保険に入ったことはないので、怪訝そうな顔をした。

「俺の親戚が生命保険の外交員だったんですよ。今はもうネット生命の出現のおかげで、流行らなくなったけれどね。

 この仕事、信用が大切。一度信用を失うと、それを取り戻すためにはそれまでかかった十倍の時間と労力が必要、いやそれでも信用を取り戻せるという保証はどこにもないって、ホストの仕事もそれと似てますね」

「まあ、そうだな。この店は客の売掛金は、自らホストが回収するのではなく、経理部が回収することになっているが、客はそういう制度もなくて、大変だったよ」

「じゃあ、売掛金が払えなかったら、ホストが払うんですか?」

「今でも、似たようなものだよ」

 俺はため息をついた。

 だから俺は、つけにはできるだけしないように心がけている。

 目先のドンペリに目をくらまされているようでは、ホスト失格だ。

 客が一括払いで払ってくれれば問題はないが、そうでなければ、ホストが自腹を切らねばならない。


 いっけない。俺は、肝心のりつ子さんのことを聞くのを忘れていた。

 ふと、彰人の方から言い出した。

「ねえ、和希さん。俺の隠れ家の焼き鳥屋があるんですよ。

 小さな店だけれど、味は保証しますよ。焼き鳥、苦手ですか?」

 俺はすかさず答えた。

「とんでもない。大好きだよ。特にチューリップなんて最高」

 彰人もそれに同調した。

「俺も茶色の焦げ目のところが、香ばしくてたまりませんね。

 よかったら、今から行きませんか?」

「いいね。レッツゴー」

 俺と彰人は、彰人推薦の焼き鳥屋に直行した。


 のれんをくぐると、焼き鳥の煙の臭いがかすかに鼻をくすぐる。

 築三十年くらいの古びた店である。

 客は、中年のカップルがカウンターに腰掛けてるだけ。

 俺と彰人は、ボックス席に腰掛けて、焼き鳥二人前と俺の好きなチューリップを注文した。

「今日のところは、俺がおごるよ」

 彰人は遠慮したかのように言った。

「いや、今日は俺がおごらせて下さい。でも一つだけ、条件があります。

 絶対に口外しないという約束で、俺の家庭の話を聞いてくれますか?」

「ああ、いいよ。俺、水商売らしく口は堅い方だから。

 でも聞くだけで、何もしてあげることはできないよ」

「もちろん、ただ聞いてくれるだけで心が落ち着くんです。

 なんだか和希さんと話してたらほっとして、心が和んで小学生の頃の自分に戻ったみたいで」

 俺は意外だったと同時に、ちょっぴり人助けをしたような気持ちだった。

「えっじゃあ、俺って癒し系? まあ、人の心を和ませるのはいいことだよな」

 俺たちは、ウーロン茶と焼き鳥盛り合わせを二人前注文した。

「和希さん、今日だけは僕におごらせて下さい」

「いいってば。でも彰人の話次第では、おごってもらおうかな」

 俺と彰人は、同時にクスリとして、急に和やかなムードになった。

「俺は、母親ながらもりつ子という女を、憎んでるんですよ」

 和やかなムードをひきずったまま、彰人は隠していた感情を、ふりしぼるように話し出した。

「親子の確執というわけだな。特に母と子は命でつながっているだけに、母が子を愛するのは当たり前。だから余計に始末に悪い。

 まあ、赤の他人だとただのおばさんだが、それが母と子となると、確執が憎しみに変化する。でも、いくら母親でもいつかは命果てるときがくる。

 いつまでも母親に頼るわけにはいかない。早く、母親の呪縛から逃れて、自立した方がいいよ。

 人の命なんていつ果てるかわからない。もしかして今日、果てたりしてな」

「でも、兄貴が悪くなったのは、りつ子のせいなんですよ。

 確かに、兄貴は子供の頃から勉強もスポーツもダメな奴だったけど、正直さだけが取り柄だった。ところが、りつ子が浮気してから、家庭がおかしくなっちゃったんだ。まあ、母親が浮気すると家庭崩壊するというのは、世間でよくあるパターンですがね」

 彰人は、昔を懐かしむように語り始めた。

「りつ子が、浮気したことが発覚したのは、あの女がラブホテルから出て来た現場を俺の親父が目撃したのが、きっかけだった。

 それ以来、親父は兄貴に八つ当たりするようになった。

 お前がこんなに出来が悪いのは、俺のDNAじゃなくて、他の男の子からだろうなんて、根拠のない被害妄想的なことを言い出し、兄貴を殴り始めたの」

 だいたい、女が浮気するとろくなことはない。

 女は大地の母のようなものであり、大地が揺るぐと大地震が起こる。


 

 

 

 

 


 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る