第10話 俺はどんな世界へと流れていくのだろう

「おい、和希。もうるみさんとは関わらない方が身のためだぜ」

 めずらしく、しゅん先輩がロッカールームで客のうわさ話を始めた。

 普段は、客の話などしたことのないしゅんさんが、こんなことを言うとは過去に店側になにかヤバいことでもあったのだろうか?

「そうですか? なにか危険なことでもあったんですか?」

「うーん、それは俺の口からは言えない。でもとにかく、お前の手に負える相手じゃないぞ」

 俺は一瞬ひるんだ。

 しかし、どうしたわけか、俺は恐怖以上にるみさんを思う気持ちの方が強かった。

「しゅん先輩にご心配して頂けるとは、光栄です。今後の参考にさせて頂きます」

 無難な返答をしておいた。


 るみさんは、いつも週二回は来店してくれる上客である。

 この頃は、シャンパンばかり注文しては酔っている。

 まるで、人生をシャンパンの泡に溶かそうとしているみたいである。

「るみさん、こんなこと、俺が言う筋合いでもないけれど、自分を守るのは、自分しかいないよ」

「私は自分の心を守るために、自分の体を傷つけてるの。リストカットと同じよ」

 そう言って、黙って飲んでいる。

 この頃は、口数も少なく沈黙ばかりが続く。

 よほど人に言えない悩み、いや恐怖を抱えているのかもしれない。

 ただ、安心できる誰かがそばにいてほしいんだろう。

 言葉はいらない。共通の話題などあるはずもない、お互い他人の俺たち。

 きっと、母親に抱かれている赤ん坊のように、無条件で自分を受け入れてくれる相手が欲しいのかもしれない。


 るみさんは、きっと俺など想像もできない孤独の檻のなかに、閉じ込められてるだろう。

 この頃の俺は、るみさんに笑顔を見せたり、ウインクや投げキッスをして、笑わせるだけ。

 しかし、るみさんは充分満足気だった。

 まず、るみさんの精神を安定させることが先決である。


 午前零時、店が終わって久し振りにうどんを食べていこうと信号を渡ったときだった。

 急に黒い車が俺の真横に停車した。

 そして中からチンピラ風の少年が出て来た。

「あなたが、シャインの和希さんですね。お話があるんですけど、お時間頂けませんか」

 やたら丁寧な物言いだが、目つきは鋭い。

 俺は有無をいわさず、車に連れ込まれた。


 運転手の顔をみようとしたが、サングラスをかけているので、はっきりとはわからない。

 でも、人相の悪いチンピラという風体ではない。

 まあ、この頃のアウトローは大学を卒業しているので、法律の知識は弁護士顔負けの豊富さがあるらしい。

 警察も、民事不介入というし、暴力事件にでもならない限り、手をだせないらしい。

 なんだか、出口のない迷路に迷い込んだみたいだ。

 心臓がドックンドックンと音を立て、鳥肌がたっている。

 身体中に、血が駆け巡るようだ。

 アウトローはいつ殺されるか、いつ拳銃で撃たれるか、そればかり考えているというが、今の俺はその百分の一の恐怖感を味わってくる。切羽詰まった気分だ。


 連れていかれたところは、駅からかなり離れたマンションの一室だった。

 なんと、玄関先にライオンのはく製がでんと飾られてあったのには、思わずあとずさりしそうな威圧感と奇異な違和感を覚えたものである。

 畏怖感を与えるための、小細工なのだろうか。

 しかし、窓から差し込む日光に、かすかな救いのような安堵感を感じた。


「さあさあ、こちらへ」

 部屋から出て来たのは、紋付袴のいかにも親分風のいかついおじさんなどではなく、インテリ風のイタリヤ製のスーツを着た、三十歳くらいの男だった。

 一見、商社マン、銀行マン、はたまた教師のような風体のいかにもインテリの匂いのする上品そうな男である。

 Vシネマなどで見る、いかつい体格をした威圧感のあるアウトローとは全く違う。

 まあ、ああいったものはフィクションだとわかっているが、それにしても、現実とはあまりにもギャップがありすぎる。

「まあ、お座り下さい」

 俺は豪華な革張りのソファに、腰かけた。

「いきなり、お呼びだてすみません」

 俺は、返す言葉がなかった。

 強引に車に拉致したかと思うと、今度は丁寧な挨拶。

 びびらせて思考力を鈍らせたあげく、蛇ににらまれたカエルのように、言いなりにさせようとしているのか。

 ワルが素人を手先に使う、一手段である。


 急に男が土下座をした。

「すまん。俺の妹がまた、あなたに迷惑をかけたらしいな」

 俺はあっけにとられて、開いた口がふさがらない。

「あ、あのう、どういったことでしょうか。僕にはわかりかねます。

 とにかく、お顔を上げて下さい」

 男は、名刺を差し出した。

 ‘花田興業 代表取締役社長 花田ひろき’

 なんだ、若手演歌歌手みたいな名前だ。

「俺の妹がまた、たかりまがいのことを、やらかしたんじゃないかと思って、これ以上警察沙汰になることをすると、俺の立場がやばいんだ」

 男は、少々困惑したかのような口調であるが俺は返答した。

「あのう、僕は確かにるみさんのことを、本人の口からお聞きしています。

 でもそれはあくまでも、ホストと客との関係であり、それ以上でもなければ、それ以下でもありません」

 俺は、るみさんとの関係を、正直に告白するしかないと思った。

「えっ、あんたホスト? 女をたぶらかす、あのカラスみたいな黒づくめのスーツを着た、とうもろこしのような茶髪のチャラホストなのかい?

 女から金をせしめることしか考えていない、口先だけのホスト」

 俺は、一瞬返答に困った。

「僕は、るみさんも含めて女をたぶらかすなんという、ふざけた意識は微塵ももったことはありません。第一、そんな心がけでは、仕事に挑めないですよ。

 僕は世の中の恵まれない女性の心を、救いたいと思っているんです。それは犯罪防止にもつながります」

 花田は、鳩が豆鉄砲をくらったようなキョトンとした表情で、まじまじと俺を見つめた。

「それもそうだな。まあ、俺の見たところ、あんたはそういったチャラ男の部類には見えない」

「僕は、まだ新人ホストですが、しかし、るみさんは、僕に過去のことまで話してくれました。もちろん、僕はるみさんに直接何らかの力になることはできません。

 しかし、話を聞いたり一緒に考えたり、るみさんに聖書の言葉を与えたりして、るみさんに生きる力を与えたいんです。

 僕と接することで癒されるのなら、それは有意義なことだと思っています」

 花田は、急に頬を緩め安心しきったような顔をした。

 急にソファに置いているテディベアのぬいぐるみを抱きしめた。

 いかつい風貌の男がまるで、幼児園児に戻ったようだ。

「俺は嬉しいよ。人見知りでいじめられっ子タイプだったるみにこんないい友達ができて」

 花田は、昔を懐かしむように目を細めた。

「るみはもともとは悪い奴じゃないんだ。ちょっぴり気が弱くて、主体性がなくて、お人良しでさびしがり屋の、まあありふれた女なんだ。

 それがいつの間にか、俺の手の届かないところにいっちまいやがった」

 そういって、花田はフーッとため息をついた。

「俺とるみとは、たった二人の血を分けた兄弟だが、親の都合で俺が十八歳のとき、引き離された。それ以来、一度も対面していない。

 ただ陰ながら様子を見るだけだ」

「素敵な関係ですね。いくら離れていても、心配できる相手がいるなんて。

 僕にはそういう人はいませんからね。うらやましい限りです」

 花田は、ほころんだような顔をして、俺を車に乗せ子分に命令した。

「おーい、干し柿もってこい」

 一分ももたないうちに、子分はほうじ茶と干し柿を、盆に乗せてうやうやしく差し出した。

「これは、俺の子供の頃からの大好物でね。昔はるみと一緒に食べたものだよ。

 俺の家は貧乏でね、遠足のときも弁当はなくて、クラスの女子におにぎりを分けてもらったが、そのときの味が未だに忘れられないんだよ」

 花田はしみじみと、昔を懐かしむように言った。

 まるで演歌の世界である。

「おう、和希さんだったね。これからもるみを頼むよ」

 花田がそう言い終わらないうちに、部屋に宅配便の制服を着た、サングラスの男が入ってきた。

 ジャンパーの懐から拳銃を取り出し、ダダダーンとすごい勢いで、花田を打ち始めた。

 花田の首に、拳銃の弾丸が貫いた。

 子分と思われる男がとっさに、110番して警察と救急車が同時に駆け付けた。

 俺はこの白昼堂々の突然の射撃に言葉がでず、まるで別世界のアクシデントの如く、ただポカンと口を開けて眺めているだけだった。


 その日の晩のニュースでわかったことだが、花田はやはり暴力団組長だった。

 首を貫通しただけなので、命には異常なかったらしい。

 しかし、いかついとか柄が悪いとかそういった風体には見えないところが、インテリヤクザの不気味さである。

 まあ見る人が見ると、100m先から背中を見た瞬間だけで、やはり異様感が漂うという。

 花田は、俺の前では紳士だった。

 るみを頼みたいという殊勝な気持ちもあっただろうが、アウトローになる前に人間らしい気持ちに戻ったのかもしれない。

 そのスキを突いたかのように、敵は命を狙ってきたのだろう。


 相変わらず、ホストクラブの店は休むわけにはいかない。

 しかし、るみさんは当分来店していない。

 たぶん、兄である暴力団花田を見舞っているのだろうか。

 連絡すらもない。

 しかしこのことを機会として、るみさんの人生が変わることを期待していた。

 






 


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