第8話 もしかすると親父の敵の娘は目の前にいるるみさん
どうしてだろう?
ふとそのとき、まるで稲妻のように俺の脳裏に閃いた予感があった。
それが当たっていなければと内心、戦々恐々としながらも、目の前のるみさんにある想像をめぐらしていた。
俺が中学二年のとき、自営業をしていた親父は先輩としたっていた中年男性の保証人になり、行方をくらましたのだった。
そのおじさんは、十年ぶりに会った親父の高校のときの野球部の先輩で、親父と商売上の取引をしたいと申し出てきた。
なつかしがった親父は、高校時代の昔話に華を咲かせ、ビールに酔いながらも寿司の出前をとり、喜んで取引を承諾した。
ところがその翌日、そのおじさんは親父に一通の書類を見せた。
それは連帯保証人の書類だったが、保証人の額はいわゆる三十万円と明記されていたので、親父は三十万円くらいという気軽な気持ちで、保証人の実印を押してしまったのだった。
のちにわかったことだが、それは保証人のなかでも、根保証という種類のタチのよくない連帯保証人であったのだった。
三十万円という明記された保証人の額は一千万円のうちの三十万円であったのであり、残りの9,700,000円とそれに伴う利子が親父の肩にずっしりとのしかかってきたのだった。
親父の自営業の経済状態は、資産などまったくなく、いつも黒字ぎりぎりでかつかつ状態だったので、9,700,000円など払える筈もなく、債権者から俺たち家族を守るために、行方をくらましたのであった。
親父が行方をくらまさなかったら、おかんのところすなわち俺たちの家族に強引な借金取りがきていたところだったのだった。
中学二年だったその当時の俺は、保証人や実印の意味はうっすらとしかわかっていなかった。
関西のお笑いタレント坂田利〇氏や、間寛〇氏が、保証人になって億単位の借金を負ったこと、特に坂田利〇氏は歩くハンコと呼ばれ、平気で実印を押すという悪評をたてられていたこと。
男性の保証人になった島倉千代〇が、債権者から逃れるために逃亡し、着物のすそをはだけ、車道を赤信号で渡っているところ、あわよく車にぶつかりそうになった細木数子に助けられて、家まで避難され、細木数子が島倉千代子の借金の肩代わりになったことを聞かされ、保証人も実印も怖いものだとうっすらとは思っていた。
しかし、まさか親父が保証人になるとは想像もしていなかった。
俺からみれば、高校の野球部の先輩だったというそのおじさんは、親父を保証人という借金の落とし穴にはめた「復讐すべき敵」となった。
できたら、おじさん及びその家族に復讐してやりたいという欲望の炎が燃えたぎるようになった。
そんな回想に浸っていると、目の前にいるるみさんはおじさんに目元が似ている。
女性は父親に似るというが、ひょっとしておじさんの娘なのだろうか?
そんな予感が俺の脳裏を駆け巡った。
親父が逃亡してからというもの、おかんは自営業を廃業し、自宅を改造してスナックを開業するようになった。
一階がカウンターだけの小さなスナック、二階が俺たちの自宅になった。
俺が学校から帰ると、おかんは夕食をつくりながら、なぜかキリスト教の聖書の話を聞かせてくれた。
夕方4時55分になると、スナック用のラメやスパンコールのついたドレスを着て、一階のスナックで客の相手をし始める。
それより前に、俺はいつもコンビニでおかんの化粧品ー少々派手目の口紅やチークーを用意していた。
おかんから「敵を愛せ。迫害する者のためにこそ祈れ」(聖書)を聞いたとき、おじさんへの復讐心も燃えていた俺の心は不思議さと反発を感じ、爆発しそうだった。
そろそろ日が沈む夕暮れ時、おかんのスナックの出勤前でもある。
そのとき、俺はちょうどドレスに着替えた母親の背中のファスナーを上げている最中だった。
敵を愛せか。そんなことできるわけがない。もしそれが実現すれば、世の中から犯罪など無くなるだろう。
迫害する者のためにこそ祈れか。まあ、確かに自分を迫害する者を敵対視することから、差別が始まるかもしれない。
半グレは外国残留孤児が多いというが、最初はいじめ、差別を受けた者同士が集まって食事をしていたというが、そのうちに半グレになってしまった。
もっともその半グレも、今やアウトローの準構成員であり、上納金を治めねばならない立場だというが。
しかし、なぜか「敵を愛せ。迫害する者のためにこそ祈れ」の聖書の御言葉が、俺の脳裏に焼き付いて離れなかった。
それは、親父を借金まみれの保証人へと陥れたおじさんへの復讐の炎と相反していた。
復讐からは何も生まれないーこんなことはわかっている。
世の中は、ウクライナのようにロシアの犠牲になっている国もあるくらいである。
それに比べれば、俺の不幸などちっぽけなものかもしれない。
るみさんがおじさんの娘かどうか、思い切って聞いてみようか?
しかし、それがわかったところでどうなるわけでもない。
たとえ、るみさんがおじさんの娘であったとしても、復讐など許されないことである。というよりも、もうるみさんは世間で辛い立場で生きているいわゆる同情すべき人間なのである。
もしるみさんが、俺よりも健康、金銭、人間関係の面で恵まれた立場であったならば、俺は復讐を実行していたかもしれない。
しかし、現在のるみさんは、自殺未遂を図ってもしかたないほど哀れで苦難に満ちている。
やっぱり、親父を騙した憎むべきおじさんの存在は心に封印しておこう。
るみさんはいきなり口を開いた。
「私って悪い女なの。今日は私の過去を洗いざらい白状しちゃうわ」
るみさんはため息をつきながらも、次の瞬間、決意をしたかのような、きりっとした顔つきをした。
「母は、私が六歳のときに亡くなったの。二度目の母は、私より十歳年上なの。そりが悪かったわ。もう亡くなったけどね。
私、繁華街をぶらついているとき、悪い男にだまされ、その男の命令で恐喝まがいのことをやってたのよ」
ふーん、苦労したんだな。
でも、世間には孤児もいるし、里子もいるので、継母だからうまくいかないという決めつけはできない。
「塾で知り合った金持ちの子を脅してね、金をせしめようとしたの。
最初はその子とは友達だった。ところが社交性もない私はその男から『その子が君の本当の友達かどうか確かめろ。そのための手段として、金銭を持ち出そう。
もしその子が、君を本当の友達だと思っていたら、君に金を払ってくれるはずだ』という口車に乗せられ、友達のあまりいなかった私は、その男の強引な誘いに乗せられる形で、いわゆる恐喝まがいのことをやらかしたの」
そうかあ。犯罪の陰に女、いや男ありといい、女囚の全員は男がらみ、半数は既婚者というが、やはり女の犯罪は男が裏で糸を引いているケースが多い。
あるときは猫なで声でなだめすかし、そしてあるときは脅される形で。
るみは話を続けた。
「シャープペンシルを貸してやって、相手が返すとき、傷が付いてたじゃないか。実はこのシャープペンシルは先輩からの借り物で、十万円相当するブランド品なんだ。せっかく親切で貸してやったのに、恩を仇で返すとはなにごとか!
私は先輩から怒られ、十万円弁償しろと凄まれてこまってるのよ。責任取ってもらうわよ。なんなら親御さんに弁償してもらうということも考えられるわ」
そう言いながら、るみさんは右手で相手の胸倉をつかみ、左手では灰皿を頭に振りかざし、相手を殴る真似をした。
実際に殴ると、傷害ということになるので殴ったりはしない。
あくまでも、精神的にビビらせ、蛇ににらまれたカエルのように、相手を自分の意のままに動かすだけだろうと推察できる。
「相手は一瞬ビビったような顔をしたわ。私は良心の呵責を感じてしまった。
とそのとき、急に相手は強気にでて、ボイスレコーダーを持ち出し『今までの会話録音させてもらった』というのよ。
私は思わず『今のはジョーダン。あっ私劇団員だから、劇団の練習をさせてもらった。名演技だったでしょう。勘弁して下さい』と言ってその場で土下座をして逃げだしたの。まあ、相手はそれ以上何も言ってこなかったけど、もちろんこれで友達関係は崩れ、私は同性の友人を失くすことになった」
俺は思わず納得した。
ワル男というのは、まず利用する相手に悪事をやらかし、身近な友人や家族から引き離し孤立させる。
困った人というのは、現在進行形で困っている最中の人だというが、弱い立場の困った人は、同情の手を差し伸べたくなるが、一度でも悪事を働くと鬼畜となり、途端に「鬼は外」の如く避けようとする。
そして悪者扱いされた相手を操り人形のように、自分の意のままにさせる。
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