第6話 るみさんを助け出すことが俺の使命

 詐欺師や不倫男のいいところは、相手に対して本気でないので、常に優しい言葉でまみれ、逆に相手が何をしても叱ったり「こういう所はダメだよ。辞めた方がいいよ」と注意しないところである。

 相手に対して本気なら、叱ったりすることもある筈である。

 何をしても怒らないというのは、相手に対して本気になってしない証拠でもある。


 るみさんは話を続けた。

「私は今、風俗をしているのもそのときの報いよ。何度も自殺未遂も図ったわ」

 俺は、聖書の「罪の報酬は死です」という御言葉が浮かんだ。

「悪いのは、るみさんだけじゃない。るみさんはある意味、被害者である。

 いちばん悪いのは、るみさんを利用いや悪用して金儲けをした元塾講師である」

 るみさんは、驚いたように、まじまじと俺の顔を見つめた。

「アダムとイブの話、知ってる? イブは蛇に騙されて、神から禁止されていた禁断の実を食べただろう。その末裔が俺たち、人間である」

 俺が思うに、人間は罪を犯すから罪人ではなく、もともとエゴイズムという罪をもっているものである。

 犯罪を犯したことのない人は、たまたまラッキーな恵まれた環境、特に家庭環境にガッチリと守られていただけである。

 そして、犯罪防止の役割として法律、規則、マナーが存在するのである。

 恵まれない人への寄付も、大きな犯罪防止になりうる。

 

 しかし、目の前にいるるみさんはまぎれもなく前科者なのだ。

 俺は、正直いって少々うっとうしいことに直面したと思った。

 しかし、前科者には立ち直ってほしいというのが、俺の願いだ。


 それから、るみさんはシャンパンを注文した。

 シャンパンコールは断ったが、シャンパンをがぶ飲みするるみさんを見て、俺は心が痛んだ。

「ちょっと、ちょっとるみさん。しっかりして。これから俺たち二人で、るみさんの将来の道を考えよう」

 るみさんは、少々酔っているようだ。

「無理よ。私は親や親せきにも見放された女よ。他人のあなたに何ができるというの?」

 怒ったように、絶望したように叫ぶるみさんを、俺は必死で説得した。

「血縁関係のない他人だから、できることもあるよ」

 るみさんは、まだ若い、心身共に正常である。

 俺はるみさんを、なんとか更生させたい、いや更生させるべきであると思った。

 一寸先は闇というが、女性はいやこの頃は男性でもであるが、一歩間違えると風俗の世界に身を沈めることになりかねない。

 坂口良子の長女でもまさにそうであったではないか。

 もちろん、なりたくてなったわけではない。善人が好かれ、悪人が嫌われるといった法則などないが、いわゆる周りと合わすことができない人が、そうなっていくのであろうか。

 

 考えてみれば、人生なんてほんの紙一重の差でどう転ぶかわからない。

 コロナ渦も含めて、予期せぬことが起って襲ってきて、健康、金銭、人間関係が立ち行かなくなり、それに負けて犯罪を犯す人もいる。

 先日の阿部元首相銃殺の件でもそうだが、犯人は自衛隊出身で、派遣業務をしていたが、ドライバーとトラブルになりこれを機に、派遣切りにあっているという精神的ショックと行き場のなさ。

 また派遣というきわめて不安定な立場から生ずる将来に対する不安と絶望から、世間のリーダーである阿部元首相に刃を向けたのだろう。

 もしかして世間のリーダーを倒せば、世間が変わると思ったのかもしれない。


 病気と貧困は人間の畏れる不幸であるが、最も怖いのはそこから生ずる孤独と絶望である。それに付け込む詐欺師や新興宗教はあとを絶たない。

「世の終わりには、偽預言者が現れるであろう。

 彼らは、一見従順な羊の皮をかぶっているが、内実は貪欲な狼である」(聖書)

 現在は、世の終わりに近づきつつあるが、いくら環境が変わっても精神だけはしっかりと保っていたい。

 幸い、俺にはキリスト信仰という確固としたものが大きな救いとなっている。


 俺は、自立自援施設出身だが、高校と併設した調理師学校や美容師学校を卒業して、社会人として立派に活躍している奴もいれば、アウトローの末端チンピラに成り下がった者もいる。

 半グレというのは、中国人残留孤児が多く、日本語も話せない、学校ではいじめにあうといったなかで、初めは励ましあっていたが、次第に悪の世界にズブズブはまっていったという。

 まあ外国人のなかには、日本語を勉強して、日本人以上に日本で活躍している人もいるが、やはり周りの環境が当人を受け入れるか否かで決まってしまう。


 なんでも、反社会的勢力になり下がった奴は、小さい時から母親が夕方になると働きに行くので、寂しさから反社の子分の成り下がったという。

 周りはみな「そりゃあ俺たちは勉強のできる優等生でもないし、バイト経験もないが、反社だけはやめとけ」と止めたが、本人は俺はこの親分についていくと心に決め、喜んで入ったという。

 しかし俺ももし、環境にいれば、寂しさからそうなってたかもしれない。

 だから、俺は常に罪を犯した人間が社会的に抹殺されたり、死刑になったりするよりも、立ち直って人生をやり直してほしいと思っている。

 イエスキリストは、人類の罪の身代わりになって、十字架に架かられ、三日目に復活されて天へと帰っていった。

 人に尽くし、病人を癒し、面倒を見ていた弟子にまで裏切られ、銀貨(現在の貨幣価値にすると三十万ほど)で売られ、十字架にかけられた。

 十字架から降りようものなら、いくらでも降りることができた。

 しかし、あえてそれをせず、人類の罪のために十字架に架けられた。


「主である神は仰せられる。私は、たとい罪を犯した者であっても、その人が死ぬことを喜ぶだろうか。彼が悔い改めて、生きるようになることを喜ぶ」

(エゼキエル18:23)


 俺はひょっとして、るみさんを更生に導くチャンスが与えられたと思った。

 そのためには、まず精神を平静に保つ必要がある。

 るみさんの行動まで、口出しすることはホストという職業上、不可能である。

 しかし、俺はるみさんにいろんな知識と希望を与えることは可能であり、それがるみさんを救う先決だと思っている。

 それが、俺の経験から踏まえ、新しい人生の足掛かりになるのではないかと思っている。


 



 

 


 

 


 


 

 

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