第5話 俺はるみをDV男から救い出さなければならない

「もとはといえば、私がバカだったの。

 その男は、私立大学の法学部でね、最初はやさしくて、私が雑誌のグラビアで見るのが精一杯の高級レストランに連れていってくれて、法律の知識も伝授してくれて、こんな素敵な彼氏ができて、私は幸せ者と有頂天になっていたわ。

 でも、あの男は私を利用するだけの、悪魔の使いだったのね」

 そうか、法律の知識でも悪徳弁護士のように、悪事につかうこともできるんだ。


 すると、そこに黒いミニワンピースの女が通りかかった。

「あっ、和希」

 いけねえ、俺の顧客第一号になってくれた美里さんだ。

「わっ、いつの間にご来店したのですか? 俺としたことが全然気がつかなかった」

 その途端のことだった。

 るみさんが、ブルーのネイルアートであっと美里さんを指さした。

 美里さんもそれは同じ。

 しかし、美里さんの爪にも、るみさんと色違いのオレンジのネイルアートが飾られた。

 美里さんが口を開いた。

「まさか、こんなところで会おうとはね」

 るみさんが答えた。

「お互い、同じ趣味の店で和希と共通の知り合いなんて、偶然というよりも、私たち、共通の運命を背負ってるのかもね」

 共通の運命?

 美里さんと絡むのは、今日で二回目だが、美里さんにも、るみさんと同じような過去があるとでもいうんだろうか?

 しかし、るみさんは生真面目風だが、美里さんは、少し崩れた影のあるやつれヤンキー風。

 タイプは違うが、ネイルアートという趣味は同じである。

 俺は爪を伸ばした女性を見て、魔女か吸血鬼を連想する。

 牙をむく代わりに、爪でひっかいて、血を流すのをみてほくそ笑むデビル。

 るみさんにも、美里さんにも、同類のデビルの血が流れているのだろうか?


 ちょうど、グッドタイミングで、るみさんの担当、しゅん先輩が帰ってきた。

 しかし、しゅんさんは、るみさんが痴漢の冤罪被害者を演じてたという事実を知っているのだろうか。

 それとも、俺だけに打ち明けてくれたのかも・・・

 まあ、このことはしゅんさんに内緒にしておこう。

 ホストは、客の秘密を厳守し、口が堅いのが条件だから。


 美里さんと絡むのはこれが二回目だが、まだ、俺は美里さんを把握していない。

 年齢は多分、二十歳くらいだろう。

 俺よりも一歳年上だ。

 職業はなんなのか、たぶん俺の想像では風俗かもしれない。


 るみさんは、シャンパンを注文した。

 シャンパンコールはいらないと言った。

 地味な客だ、でもコールはいらないということは、俺の売上の為に注文してくれたのだ。

 俺は、るみさんに感謝した。

 これは、長く引き止めていく必要がある。


 人は以心伝心。

 自分が心を開けば、相手も心も開く。

 俺は、まずじいちゃんとばあちゃんのことを話した。

 そして、正直に自立自援施設出身だったことも話した。

 ときには、ジョークを交えながら、でも真剣にるみさんの目を見て話した。


 るみさんは、そんな俺にすっかり好感を抱いたらしい。

 でも、俺からるみさんのことを、聞き出すことはしなかった。

 ただ、俺と一緒にいるだけで、人間としてのプライドを保つことができる。

 そんなムードをつくればいいのだ。


 ここは、非日常空間である。

 現実を忘れさせてくれる、休息の場。

 るみさんもきっと苦しいことが多いだろう。

 だから、ヘビースモーカーにもなるのかもしれない。

 俺はいつも自分の方から、るみさんに話題を振った。

 実はジャニーズ系に憧れていること、木村拓哉が好きで、人生に一度でいいから、テレビで共演したいと思ってること。

 そして、俺はネットで作詞の勉強をしていること。

 今度、俺の作詞集を披露することも約束した。


 君の笑顔は 僕のしあわせのみなもと

 君にはいつも 笑顔でいてほしい

 君は笑顔が似合う人

 そして僕は君を照らす太陽になりたい

 君の涙は僕が太陽の光で乾かしてみせる


 きれいなだけの歌詞かもしれないが、でも僕のいちばんお気に入りの詩。

 僕はこの歌で、るみさんを慰めようとした

 るみさんは、まだ俺に心を開いていない。

 しかし、こういう女に限って、一度心を開くと堅い絆が生まれるケースが多い。


  良い人が好かれ 悪党が嫌われるなんて

  そんな保証はどこにもない

  良い人の仮面を被った悪党は数えきれない

  それを見抜くのは君自身

  いいじゃないか 叩かれても嫌われても

  正義のために嫌われる人もいる

  人は叩かれて もちのようにやわらかくなる

  自分を変えるチャンス


 ちょっときれいごとだが、でも俺のいちばんのお気に入りの詩。

 俺はこの歌で、るみさんを慰めることができる筈。

 人を慰め、自分も慰められ、そこから生きる希望が生まれる。

 歌の力は大きいと信じている。


「ねえ、自分の人生の方向、間違ったと思うことない?

 たとえば、行先の違う電車に乗ってしまい、もう後戻りできなくなってしまったような、そんな取返しのつかない後悔をしたことない?」

 突然、るみさんが口を開いた。

 俺は、とっさの質問に一瞬考え込んだ。

 テレビでもそうだが、俺たちホストは即答性が大切だ。

 うーんとつまったり、エーッとびびっていてはいけない。

 とにかく、なにか相手に反応しなければならない。

「うーん、やっぱり大損したときとか、酒で失敗したときとかはあるな」

「そんな、小さいものじゃなくて、もっと大きなことで」

「わかんない。でもさ、人生、自分ではこれが正解と思ってた道が、後になって間違いに気付いたり、その反対でしんどい道だと思ってたはずの道が、かえって正解だったこともあるよ」

 るみさんは、急に顔を輝かせた。

 俺は、すかさず話題を振った。

「人生、いつでもやり直せるという本を読んだことがあるな。

 なんでも、高校中退の不良からやくざになって、広域暴力団のナンバー3にまで上り詰めたが、武闘派軍団で内部抗争を起し、命からがら全国を逃亡したが、昔家族で通っていたキリスト教会に通い、現在牧師になったいう話だったな」

「へえ、やくざから牧師。ドラマチックだねえ」

「そしてその人は、自分の過去を生かして青少年の非行やドラッグ問題に取り組んでるんだって」

「じゃあ、その人がやくざになったのも、あながち無駄ではなかったわね」

「そうだな、過去の体験が神によって生かされてるんだ」

 るみさんは、考え込むように言った。

「私もそうなれたらいいのになあ。でもそのためには神への信仰が必要ね」

 俺は、るみさんの傷には触れたくなかったが、決心したように言った。

「大丈夫だよ。神はどんな人をもお見捨てはしない。過去に何があろうと、神にすがれば神は過去をも利益に変えて下さるよ

 聖書の言葉に『すべてのことは、イエスキリストに働いて益となる』の世界だよ。神と共になら、今までの人生をやり直せることだってできるんだよ」

 るみさんは、少し沈んだ調子で言った。

「今の私、やり直せると思う? 私は風俗嬢よ。まあ、私の場合、幸いドラッグには手を出していないし、脳に性病の毒がまわっているということもないけれどね」

 俺は別段驚きもしない。

 だって、客の九割以上が水商売か風俗嬢なんだから。

 胸の大きく開いたTシャツ、下着の見えそうなミニスカート。

 俺たちホストはこういうのを見慣れているから、もう女に対する免疫がつきすぎて、女に新鮮味がなくなり、性欲がなくなっていくのである。

 だからこそ、女に対して色気で惑わされることなく、冷静な判断力が身につくというメリットもあるのであるが。

「確かに今のるみさんは、苦境にあえいでいる真っ最中かもしれない。

 でも神はきっと、るみさんが求める限り、神様はるみさんにふさわしい道を与えて下さるよ。大丈夫だよ、神と一緒なら、やり直せるよ。

 過去を畏れることなんてないよ。なかには娼婦を過去を持ちながら、神を信仰して、元やくざと結婚したっていう女性もいるくらいだよ。

 その女性は、娼婦だった自分の過去を隠しはしないよ」

 るみさんは、目を丸くした。

 無理もなかろう。この俺だって、最初この話を聞いたときは、現実離れした話みたいで信じられなかったんだから。


 るみさんは、一呼吸してゆっくりと語り始めた。

「私には過去があるの。それも暗黒の過去が」

 俺は、真剣にるみさんの横顔を見つめた。

「震えあがるほど寒く、暗い厳寒の夜でも、待っていれば朝が来るよ。

 大丈夫だよ。るみさんは、そこから脱出できる強い力を持った人に見えるよ」

 暗く沈んだ顔をしていると、ますます落ち込む一方である。

 こういうときこそ、天を見上げ、前向きのスタンスにしなければならない。

「ねえ、三年前、盗撮DVDの事件覚えてる? ほら、女子高生が元男性塾講師の差し金いや命令いやそれよりひどい脅迫まがいを受け、修学旅行中に盗撮DVDを撮影して警察沙汰になった事件があったでしょう。

 あれは、脅迫されてやらされたこととはいえ、盗撮した張本人はこの私だったのよ」

 ええっ、こういう悪男がらみの悪事にうまく利用いや悪用され、さながらオレオレ詐欺の受け子のように、いちばん危険な現場に立たされるのは、内気で主体性がなくて、人に流されやすいタイプの人だと思い込んでいた。

 しかし、現在はフツーの子が悪事に利用される時代である。

「私が今、風俗をしているのもそのときの報いだと思ってる。

 だって、理由や原因はどうであれ、私は悪事を犯したのは事実なんだから。

 もう、私は汚れた人生を背負った汚れた人間なのよ」

 俺は、そのときふとイエスキリストの十字架を思い出した。

「罪の報酬は死です」(聖書)というが、イエスキリストはエゴイズムをもった人類の罪のあがないとなって十字架に架かって下さったんだ。

 だから、イエスキリストを信じるだけで救われるんだ。

 お布施をするとか、善行を積むとか、滝に打たれたり座禅をしたりする肉体修行などする必要などない。

 ただただ、イエスキリストを信じ、神に従っていくだけで罪は赦されるんだ。


 俺はるみさんを悪事から守ることが、俺に与えられた使命のように思えた。

 しかし、るみさん個人に限らず、誰でもがほんの少し、一歩でも道を間違えればるみさんのように、悪党に捕らえられ、悪の世界にどっぷりとはまってしまい、抜けられなくなってアップアップしてしまうのである。


「しかし、たとい罪を犯した者であっても、自分の犯した罪を離れ、私のすべての律法を守り、公正と正義を行うなら、死ぬことはなく、必ず生きる。

 彼が犯した過去の罪はすべて忘れられ、正しい生活によって生きるようになる。

 主で神は仰せられる。私は、たとい罪を犯した者であっても、その人が死ぬことを喜ぶだろうか。彼が悔い改めて、生きるようになることを喜ぶ」

(エゼキエル19:21-23現代訳聖書)


「しかし、正しい人が正しい生活をしなくなり、罪を犯し続けるようになるなら、果たして生きることができるのだろうか。

 以前、彼がしていた正しい生活は忘れられ、彼の不信仰と犯した罪のために死ななければならない」(エゼキエル19:24現代訳聖書)


 まあラッキーなことに、俺のように客商売をしていると、自然と人を見る洞察力が身についてくるものである。

 世間でいわれる「いい人」というのは、元気な挨拶ができて笑顔を振りまき、誰とでもおしゃべりする社交性のある人、それ以上に300円以下のものを奢ってもらったりー300円以上ものだとかえって相手に気を遣わせる結果となるーラインの交換をしたりすると、もう「この人は信用していい人」になってしまう。


「人はうわべをみるが、神は心を見る」(聖書)

 宝石を販売するとき、きれいな宝石箱に入れ、高価な身なりの販売員が、きれいな言葉を使って販売しにくると、本物の宝石だと思うが、いくら本物の宝石でも、新聞紙にクシャクシャに丸め、ホームレスのような身なりの販売員が、乱暴な言葉で押し売りの如く販売しにくると、いくら本物の宝石でも偽物のように思われてしまう。

 偽物のブランド物は、ブランドのロゴを大きく強調し、表示しているので、本物のブランド品よりもより本物らしく見える。

 


 







 

 


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