第4話 ホスト業へのスタートライン
俺は昔の仲間に出会っても、決して避けるようなことはしまいと思っていた。
隠し事というのが、どれだけしんどいか。
一つの嘘が新たな嘘を生み出し、嘘の上塗りをしても、最後はどんでん返しのように、すべては真実の上に暴露するのである。
もちろん、犯罪者と誤解されたり、施設出身だということで、差別を受けるかもしれない。
しかし、そんなもの恐れてたら何もできない。
差別なんて、男女差別を含め、どこにでも存在するものだから。
それに俺も、マスメディアの影響を抜きにしても、偏見を抱いたことがないなんていえば、大嘘になるしな。
自分から宣伝するつもりはないが、聞かれたら堂々と自立自援施設出身と名乗るつもりである。
俺みたいに高校進学した者もいたし、専門学校に進学、または就職した者もいた。
しかし、なかには大金をちらつかされ、アウトローに誘われたりした者もいたらしい。
もちろん、最初は食事をおごったり、小遣いをやったりして誘い込むのであるが、そのおだてに乗ってあげく、悪事に利用されるのがオチである。
俺は、それがわかっているのでご機嫌取りに引っかかることはなかった。
高校は上から三番目の進学校だったが、勉強中心のクラスメートにはついていけなかった。
第一、俺は彼の事情で大学へ行ける身分でもなかったし、大学を卒業しても半数は就職困難だという。
なかには、大学で麻雀漬けになったり、マルチ商法にひっかかり借金だらけになった人もいるらしい。
これじゃあ、なんのために進学するのか意味がないじゃないか。
話が脇道にそれちまった。
とにかく、俺はこのホスト業を頑張っていくしかない。
それが、俺の目の前に与えられた道なのである。
ホストのなかには、現役の大学生もいた。
俺がちょっぴり慣れていた経営学部だ。
残念ながら、あまり売れているとはいえないホストである。
しかし、俺はその人についていこうとした。
な、な、なんと自立自援施設出身の者もいたし、少年院出身の者もいた。
そのホストが少年院出身であることは、店長をはじめとした従業員全員知っている。
しかし、やはり男前である。
人目をひくというか、俺が女だったら、一度接してみたいと思うだろう。
俺は、純粋さと礼儀正しさがウリだという。
自立自援施設では、言葉遣いと掃除はみっちり教えられたものな。
俺は、オレンジ色のネイルアートの客が気になっていた。
しゅん先輩の客である。
あの客は、ひょっとして痴漢の冤罪女ではないだろうか。
しかし、そんなこと、まさか聞くわけにもいかない。
俺がもし、相手の男の腕をつかみ「この人、痴漢です」と言い、目撃者が一人いれば、もうそこで容疑者誕生である。
ただし、このとき絶対に警察には行ってはならないという。
警察にいけば、99.999%まで、痴漢に仕立て上げられる。
もう、容疑者の段階ではなく、軽犯罪者ということになるのだ。
駅員が来たとしても、振り切って逃げるのが賢明だという。
痴漢というのは、密室傷害と同じように誰も見ていない。
証拠がなければ、犯人に仕立て上げる。
冤罪をかけられたサラリーマンが、そのときの再現ビデオーなんでも、男の股間を女の尻に押し当てられる嫌疑をかけられたが、その男は身長が低いのでそれは不可能だというビデオを作成して、裁判に挑んだという。
しかし、その日から、そのサラリーマンは会社も解雇されたらしい。
人生、なにが原因で犯罪者に仕立てられ、人生が狂うか誰も予測できない。
僕は、先輩に可愛がられ、ヘルプとして席に着くことができるようになっていた。
「おい和希、俺のヘルプにつけ」
しゅん先輩の席には、な、な、なんとオレンジ色のネイルアートの痴漢呼ばわり女が座っている。
この女性との絡みはこれで二回目であるが、前回よりも暗く沈んだ表情を漂わせている。
「僕のこと覚えてますか? 和希です」
うつむいて、爪をいじったまま知らん顔である。
急にその女は、顔を手で覆って泣き出した。
俺はどうしていいのかわからず、ポケットからハンカチを取り出した。
「和希だったっけ。あなた、私のこと、知ってるでしょう」
反射的に「はい」と答えたが、こういう場合、ミラー効果といって相手をうなづかせるに限る。
「プラットホームで、私がこの人、痴漢ですとわめいてるの、見てたでしょう」
「はい」
ここまで覚えていると、シラの切りようがない。
「私、実はね、嘘ついて演技してたの。そして、痴漢の冤罪をかけてね、サラリーマンから示談金をせしめてたのよ」
この女、酔ってるのだろうか。
俺は、声を潜めた。
「ちょっと、ちょっと、誰が聞いてるかわからないですよ」
女は、開き直ったかのように答えた。
俺はその姿に、女の潔さを感じた。
「いいの。私、警察に自首するから。そしたら、あの男とも逃れられるし」
読めたぞ。裏に男がついて、痴漢の冤罪に仕立て上げ、サラリーマンから恐喝しているのだ。
タカリ専門か。怪しからん奴、天にかわって成敗すべきである。
俺のなかで、正義感がむらむらと湧いた。
しかし、大抵こういうものに利用される女といえば、グラビアアイドル顔負けの色気のある女だとはいうが、この女は、いかにも生真面目そうだ。
いい家庭で大切にされ育てられてきた、世間知らずのお嬢さんタイプである。
しかし待てよ。こういうタイプこそが、悪い男にひっかかるんだ。
とすれば、この女は被害者なのかもしれない。
「ねえ、あなた田舎はどこ?」
「私には田舎はないの」
「ふーん、あなたって、なんだか純朴そうに見えるんだけどな」
これはまぎれもない、俺の本音だ。
女は、昔を懐かしむように言った。
「そうね、私は社交的ともいえないし、家も厳しかったね。実は教師の娘なの」
そういえば、なんとなくそんな感じがする。
厳格の家庭に生まれ育った、閉鎖的な物言いをする、おとなしめの女。
「実は、俺の友人にも両親が教師という奴がいるよ。結構、大変らしいな。
普段は放ったらかしで、でも、世間体ばかり気にしてね」
女は、同調するように答えた。
「そうね。私の場合、父が教頭だったのよ。生徒に対しては、ものわかりのいい優しい教頭で、父兄の間では有名だったの。でも、私に対してはきつい人だったわ」
女は、一息ついてウーロン茶を飲み始めた。
「とにかく、テストでは九十点以上とれ、そうしなければ、おかず抜きだったの」
ひどい話だ。でも、この女は太りすぎというほど太っている。
十代のとき、ダイエットばかりしてた人は、消化能力に欠け、食べたものが身につくから、太りやすいという話を聞いたことがある。
「そして、自分の意見を押し付けてくるの。こういう場合、男の子だったら、反抗して突っ張ったりするけれど、私は従順なタイプだったの。
その影響で、父から教わった意見をそのままクラスメートに押し付け、だんだん敬遠されるようになっていったの」
ふーん、そういえば、少年院に入院する子は全員、家庭に問題のある子ばかりだといい、ちなみに片親が半分を占めるという。
「俺、和希っていうんだ。あなたのお名前、お聞きしていいかな」
気分を変えるために、わざと話題を変えた。
「るみって呼んで」
少々時代遅れの名前だが、案外本名かもしれない。
「るみさん、俺、るみさんの気持ちが痛いほどわかるよ。
まあ俺の場合は、両親が死んじゃったけど」
俺は、少々この女ーるみさんに同情を感じた。
るみさんは、素直すぎるんだな、それがアダになってるんだ。
「さっきの話だけどね、私は男に誘われ、男の言われるままになって、痴漢の冤罪の被害者を演じてたの」
俺は思わず身を乗り出した。
「るみさん、悪いことは言わない。早く警察に自首した方がいい。
それが、るみさんの身を守る最大の防御策だよ。まあ、警察はいろいろと細かいことを何回も聞かれるけど、やはり日本の警察は優秀だよ」
そうして、俺は自分のコップにライターを入れた。
「もし、このライターを海に投げたらどうなると思う?」
「どんどん、海底に沈んでいくわね」
「そうだね。コップの中に沈んだライターは、まだ取り出せることは可能だけど、海に沈んだライターは、いくら時間と金と労力をかけて探しても、見つからないだろう。悪の世界ってそれと同じ。そして残念ながら、悪男のいいなりになっている女性はあとを絶たないのが現実だよ」
るみは、納得したように答えた。
「そういえば、パパ活も同じね。もうこの頃は、悪男がバッグについて売春まがいのことをさせられ、もちろん悪男に八割以上の金を渡しているというわ。
まあ、見知らぬ人とカラオケ一時間で五千円、それ自体がおかしいわね」
俺はすかさず答えた。
「まあ、ひも付き売春に落ちぶれたわけだな。
この前、NHKのクローズアップ現代で見たけれど、この十年間で望まぬ妊娠をした女性が、なんと八倍に増加しているよ。やはり出会い系アプリやパパ活が知り合うきっかけだろうな」
るみは俺にすがるように言った。
「最初はいい人、私の話を聞き、私を受け止めてくれるいい人だと思ってた人が、女性を食い物にする悪男だったというのはよくある話ね。
私もだんだん、悪に染まるのが怖くなってきたの。でもね、実は私、連れの男から暴力を振るわれてるの。見て。これ、ライターで焼かれた跡よ」
そういって、るみはスカートをめくって太ももの裏側を見せた。
なんと、直径2センチくらいのやけど跡がある。
ひどいDV男だ。
俺は、ちょっぴりるみに、同情と共感を感じたのだろうか。
るみのうしろに控えているという、まだ見ぬ男に対して、憎しみの感情がふつふつと湧いてきた。
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