第3話 俺は自立自援施設出身

 ここだけの話だけどね、俺は実は自立自援施設、昔は教護院と呼ばれたところの出身なんだ。

 中学二年の頃だった。

 そのときはまだ、おかんは生きていたが、再婚相手の男とうまくいかずに苦しんでいた。だいたい俺は、あの男とおかんが、くっつくのが許せなかったんだ。

 細身で一見イケメンで、物言いは優しいが、どこか焦点の定まっていない視線。

 案の定、ギャンブル狂いの男だった。

学歴は、なんと一流大の文学部卒、しかし、文学部では就職には有利とはいえない。


 それでも最初は、夫婦で老舗カフェのカウンターに立っていた。

 あの当時は、朝八時から夕方五時までは、喫茶コーナーそれが終わると夕方六時から、十時半まではカラオケ居酒屋を営んでいた。

 二人とも、寝るヒマもないほど働いた。

 その日の売上が、少しでも落ち込むと、二人でメニューを考えたりしたものだった。酔い客から、おしどり夫婦と呼ばれた日は、短い期間でしかなかった。


 あの男は、働くことが性に合わないのか、それとも客商売の素養がなかったのか?

 客を楽しませようとする気のない男だった。

 小学生の頃から、優等生で小学校のときは総代だったという。

 しかし、俺が思うに学歴など何の役にたつというのが、東大卒のホームレスも存在するじゃないか。

 酔い客をうまくかわすことなど、到底できない男だった。

 客にからかわれると、そのときはうつむいてへらへら笑っているが、客が帰ったあと、いつも自分の足を踏みつけ、自傷行為を繰り返していた。

 自傷行為だけでは、飽き足らなくなったのだろう。あの男は、最初は俺に暴力をふるうようになった。

 もちろん最初は、おかんに隠れて背中を殴っていた。

 俺はおかんを悲しませたくないため、おかんには何も言わなかった。

 それに味をしめたのだろう。

 あの男は、次第に働かなくなり、店のレジの金をくすねるようになった。

 そして、店はいつしかおかんに任せっきりで、隣町のパチンコ屋に入り浸るようになった。


 皮肉なことに、あの男が店に出なくなってから、店の売上が急増した。

 無理もなかろう。覇気がなく、客に話しかけられても、もごもごとうつむいているだけの男。

 それに比べておかんは、実年齢よりは五歳は若く見えるし、いつも笑顔を絶やさない。

 それが余計に、あの精神の腐った向上心のかけらもない男には、自分の無能ぶりを突き付けられたようでしゃくにさわったのだろう。

 あの男には、全く店にも出なくなり、メニューを考えることすらも放棄した。

 その頃から、俺はあの男をおかんにたかるヒモ男とみなすようになった。


 あれは、夏の終わりだった。

 俺は、あの男がレジからまたもや二万円をくすね、店から出ていく現場をひそかに尾行した。

 あまり上品とはいえないわけあり中年女が、あの男を待っていた。

 いきなり、男の腕を組んでしなだれかかっている。

 まるで、今からラブホテルへ直行といった勢いがみえみえである。

 俺はカッとした。

 あの男は、おかんの労働からくすねた金で、別の女と遊んでいる。

 俺は、あの男を猛スピードで追いかけた。

 そして「おい、金返せ」と腕を掴んだと同時に、腕を組んでいた女が、俺を軽く突いた。

 あっこの女は、カウンター席でおかんに言いがかりをつけてきた女に違いない。

 気丈なおかんは、あの女が帰ったあと、こっそりと涙を見せていた。

 ひょっとして、商売敵のまわしものかもしれない。

「おい、何するんだ。帰れ、子供には用がない」

 その男は、俺の胸倉をつかんだ、と同時に連れの女が、俺の尻を回し蹴りした。

 その瞬間、俺はおかんの悲壮な顔が浮かんだ。

 思わず俺はポケットから、缶切りを取り出して、その女の腕に軽く当てた瞬間、なぜかその女は、あおむけにひっくり返った。

 断じて証言するが、缶切りをその女の身体に触れた覚えはない。

 ただ、ポケットから取り出しただけだ。ということはその女は精神病なのだろうか?


 通行人が救急車を呼んできた。

 あの男の証言では、俺は缶切りで女を突いたが、外傷はなかったというニセというか嘘の結論に達した。

 しかし、法律上では傷害未遂になりかねない。

 殺人の場合、最初から殺人の意志があれば殺人、他の人に殺人をするよう唆したら殺人教唆、殺人の意志がなければ殺人未遂ということになりかねない。

 しかし、女は心臓の持病があり、ニトログリセリンを使用していることが判明し、その発作がでて倒れたのだった。

 俺は、警察で取り調べたを受けたが、買ったばかりの缶切りを所持していただけなので無罪放免に終わった。

 しかし、これが刃渡り20センチくらいの刃物や金属バッドだと、銃刀法違反になりかねない。

 だから刃物の場合はまな板を、金属バッドの場合はグローブを所持していると銃刀法違反にはならないという。


 しかし、俺はあの出来事以来、まるで自分が悪者扱いされたみたいで、すっかり腐っていた。

 俺は何のために生まれてきたのだろうか?

 継父と過ごすのが嫌だった。

 次第に俺は、ネットカフェに入り浸るようになった。

 しかし、夜七時以降は保護者の同伴が必要である。

 だから、夕方六時五十九分になると、店員から退出を宣言される前に、退出した。

 そんなことが、一週間くらい続いた頃、ネットカフェの隣のコンビニでおでんを買った帰り道、ネットカフェで顔なじみのサラリーマン風に声をかけられた。

 なぜか、花束を抱えている。

 鮮やかな黄色いけしの花かな?

「寒くなったね。ねえ、この生け花余っちゃった。枯れてしまうの惜しいから、飾ってくれたら、嬉しんだけどな」

 見ると、色鮮やかな大ぶりの花びらだが、どことなく毒をもったような妖艶さが感じられる。

 まあおかんが見たら喜んで、店に飾りたいと言ってくれるだろう。

 そうしたら、花代の節約にもなる。

 俺は、そのサラリーマン風の好意に応え、少々とまどいながら花束を受け取った。

 しかし、この日常に潜む些細なことが、俺の人生の分岐点になるとは夢にも思っていなかった。


 翌日、警察がやってきた。

 なんと、昨日俺がサラリーマン風から受け取った花は、麻薬の一種であるアヘン用のけしの花だったのだ。

 アヘンというとヒロポン同様、戦争中流行った麻薬の一種であることは知っていたが、まさかこれがあへん用のけしの花とは想像もしていなかった。

 植物の本に載っているけしの花となんら、変わりがないではないか。

 俺は、愕然とした。

 また、警察の取り調べを受けるのか。

 今度はきついだろうな。

 刑事は「おまえがやっただろう」と決めつけ、椅子を振り回すシーンを想像しただけで、俺は屈辱的な気分になった。


 俺は補導歴はないし、暴走族にも属していないということで、なんとか無罪放免になった。

 しかし、あのおかんの内縁の夫は俺を煙たがっていた。

 そんなとき、おかんは乳がんで入院することになった。

 店も休業し、収入減は断たれてしまった。

 内縁の夫は、俺を自立自援施設に入れることを提案した。

 俺もこの男と一緒にいると、精神的におかしくなり暴力的になるかもしれないのを自分自身恐れていたので、自立自援施設に入所することを受け入れた。


 中学三年から、一年間入所することになった。

 入所している奴は、どんな不良なんだろう。

 ひょっとしてリンチにあうんじゃないだろうかという不安は、杞憂に終わった。

 一人ではなにもできない奴ばかりである。

 進学校で、勉強のストレスから大麻に手を出してしまい、辞められなくなり、ワルの組織から命じられて恐喝に走ったなどというのもいるし、豪邸に住み、父親は自衛隊の幹部で、母親はピアノ教師だったが転校が多く、自分のまわりは不良ばかりであるというパターンもあった。

 ただ共通していることは、一人ぼっちは嫌だ。だから、仲間とつるんで悪いことをしたとか、自己中心で全く他人の気持ちを推し量ろうとはしないとか、どこか一本抜けたような奴ばかりだった。

 やはり、未成年には指導者が必要であり、また外でいじめられてもかばってくれる家庭が必要不可欠であるとつくづく痛感させられた。


 自立自援施設は、公立中学と同じ授業を受けられる。

 俺は、自分でいうのもなんだが、成績はトップクラスだった。

 そして、高校は上から三番目の公立高校に入学した。


 しかし、俺はいわゆる優等生の部類だった。

 なかには脱走を試みたり、喧嘩をしたりする奴もいたらしい。

 俺は、そういうグループとはつるまず、いわゆる孤立していた。

 休み時間は本を読むか、マンガを描いていた。

 つんけんした、すました奴と言われていることは知っていた。

 しかし、喧嘩を買い暴力沙汰になると理由がどうであれ、処分される。

 いつしか俺は、更生施設をつくりたいと思うようになっていた。

 人間、過ちを犯したからそれっきりというのは、あまりにも酷い。

 更生して立派な人間になった人もいる。

 第一、前科者であろうがなかろうが、人間誰でも犯罪者になる危険性を秘めているのである。

 なかには、それをネタに恐喝するとんでもない奴もいるらしい。

 しかし、俺は隠してもわかることだと思っている。

 消しゴムのように過去を消すのは不可能であるが、白い修正液のように過去の上に新たな白い日々を積み重ねていくしかないと思っている。


「しかしたとい罪を犯した者であっても、自分の犯した罪を離れ、イエスキリストのすべての律法を守り、公正と正義を行うなら、死ぬことなく必ず生きる。

 彼が犯した過去の罪はすべて忘れられ、正しい生活によって生きるようになる」(エゼキエル18:21-22)


 自立自援施設で、教誨師にもらった聖書にはそう書いてあった。

 聖書は、人間の知恵よりも神の霊感によって書かれたというが不思議な本だな。

 牧師は聖書の御言葉と格闘するというが、同じ御言葉でも、昨日と今日とでは捉え方が変わってくる。もしかしたら明日以降には、もっと変わるかもしれない。

 なんだか、心にいや心の奥にある魂に染み入るようなことが、いっぱい書かれている。

 たとえば「敵を愛せ。迫害する者のためにこそ祈れ」とか。

 まあ、このことが実現すれば、世の犯罪も三分の一くらいに減少するんじゃないかな。


 まあ俺に限らず、過去の罪を隠しておきたい、さらけ出すのが恥ずかしい。

 またさらけ出されたら、ワル自慢をする人もいるが、それは恥ずかしさの裏返しだと思っている。しかし、世間はそうは見てくれず、単なる目立ちたがり屋だと勘違いされるケースもある。

 


 



 

 

 

 

 

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