第2話 ホストクラブ一年生

 ホストクラブのスカウトマンらしき若者は話を続けた。

「この仕事は若いうちしか出来ないけどね、いろんな人に出会えるだろう。

 だから店にいるだけで、世の中の勉強になるんだよ」

 そういえば、俺は世間のことはマスメディアでしか知らないし、何の人生経験もない。

「しかし僕、今まで彼女なんていなかったし、これといった面白いエピソードの人間でもないし」

「それでいいんだよ。その若さと新鮮さがあれば、これから徐々に勉強していけばいいんだ。最初の二か月間は、僕たちがつきっきりで教えるから心配しなくていいよ。

 あっそれと、マスメディアで描かれているリンチや新人いじめも禁止。

 暴力をふるった時点で退店だから、安心していいよ」

 サロペットがたたみかけた。

「まあ、考えてみて。なにかあったらいつでも電話して下さいね」

 名刺を見ると「瀬能しん」と明記されていた。

 しんー俺のじいちゃんと同じ名前である。

 そういえば、実家の傾きかけの喫茶店も水商売の一部に入る。

 だったら、ホストクラブで接客の勉強をしてから、俺の手で喫茶店を立て直すなんていうのもアリかもな。それが成功したら、親孝行、祖父母孝行も含め家族の経済を立て直す救世主メシアに昇格しそう。

 俺はいつしか、この少しイケメンの男についていこうと思った。

「僕、体験入店を希望しますので、これからよろしくご指導願います」


 店長との面接も終わり、早速俺は風林火山でホスト見習いをすることになった。

 まず先輩について、ヘルプとして酒をついだり、あいづちを打ったりするだけ。

 席は、担当のように女性の隣ではなく、テーブルをはさんだ向かいの椅子である。

「あんたななんて、要らなよ」ならまだ救いがある。

 しかし、初対面で腕でバツ印をされるのはやはり落ち込む。

 俺は、拒否されるたびに図太くなっていき

「僕は、姫を楽しませるために参上したんですよ。そんな冷たいことを言われると、僕悲しくなっちゃう」とハンカチを口に当てるというボケをかますまでに成長した。


「ねえ、しゅん、行かないで。もう少し私のそばにいて」

 俺をスカウトした黄色Tシャツのしゅんさんの腕に、からみつく女がいる。

「和希、初がらみだ。まさちゃん、俺仕事だからまさちゃんをよろしく」

 しゅんさんは、まさという女性客を振り切り、別のテーブルについた。

「はじめまして、和希といいます。しゅん先輩に可愛がってもらっている一番弟子です」

 俺は、鏡を片手に研究したとびきりの笑顔で、まささんのテーブル越しに座った。

「まささんてどんな字を書くんですか? もしかして真実の真なんて」

 人は誰でも自分の名前を覚えられると嬉しい、そして質問するときは一例をあげて相手が答えやすいようにするというのが、会話のテクニックだという。

 しかし、まささんは浮かない顔をしている。

 グレーの地味なスーツに、長い爪に施したちょうちょのネイルアートが不釣り合いである。

 しゅんさんに見せるためなのだろうか。それとも、ホスト部という別世界で別の自分を演出するためなのだろうか。

 まるで無表情の人形のように無視を決め込み、うつむいてコーラを飲んでいる。

 単に人見知りなのだろうか? それとも男性恐怖症なのだろうか?

 丸顔で童顔、わりと美形ではあるが、どことなく影のあるわけあり女の風情を漂わさせる。

「コーラ好きですか? 僕も大好きだったんですよね。

 でも、おばあちゃんがこらっコーラばかり飲みすぎると、コラーゲンが不足して、骨粗しょう症になり、コラボレーションできなくなるよと言われて以来、緑茶に変更したんですよ」

 おやじギャグを連発すると、まさは含み笑いをした。

 笑うということは、俺に心を開いた証拠でもあり、これでまささんとの心の距離は縮まった。


 しかし、俺はまさという女性にどこかで会った気がする。

 三か月ほど前、俺がプラットホームで電車を待っていると、三十歳くらいの女性が、かすれ声で車内から飛び降りてきた。

 見ると、その女の白いワンピースのスカート部分には、歪んだ日の丸の如く、真っ赤な血が鮮明についている。

「この男が私に危害を加えようとしている。誰かこの男を捕まえて」

 四十歳くらいのグレーのスーツを着た小柄な、サラリーマン風の男を指さし、涙声で叫んでいる。

 すると、駅員二人が駆けつけてきた。

 車内で、痴漢にあったと推測できるが証拠はない。

 その女性の被害妄想か、狂言か、はたまた痴漢に陥れるための偽芝居か、真偽のほどはわからない。

 しかし、それにしても派手なパフォーマンスをする女性だ。

 しかし俺はポカンと口をあけたまま、面倒なことに関わりたくなかったのでそのまま立ち去ろうとした。


 すると、駅員二人がサラリーマンめがけて駆けつけてきた。

「違う。僕はなにもしていない。僕はこの女性を見たこともないんだ。信じて下さい」

 地味なグレースーツの中年男は、うわずったような悲愴感漂う声で、叫んでいた。

 痴漢の冤罪か?

 身長165cmくらいの小柄な、少し気弱そうな男、ひょっとしてリストラ予備軍かもしれない。同性として同情できそうな、哀れな光景である。

 まあ、痴漢の冤罪というのは気弱なサラリーマンが狙われやすいという。

 俺は、ゆううつになってその場を離れたが、その後の結末が妙に、心の隅のしこりとして残った。




 

 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る