#2 十の邪悪

【#2 十の邪悪】



「アクセルリス?」

「……んぁ?」

「起きて。もう《イカの0》よ」

「んぁ!?」


 アクセルリスは飛び起きる。一瞬で眼が冴え、覚醒する。


「そそそそんなですか!? 夜会は、夜会は!?」

「落ち着いて、《白のイカ》よ」

「え……?」


 確かに窓からは光が刺し込んでいる。幸い、寝坊の程度は低い物であった。


「はぁぁ、良かったぁ」


 胸をなで下ろすアクセルリス。


「《黒のウマの3》には出発するから、準備しておくのよ」

「はい……え、《ウマの3》ですか?」

「そうよ」

「夜会って、《ヴェルペルギース》で行われるんですよね?」

「そうよ」

「早くないですか? 開始はいつも後の《ヤギの0》ですよね、《魔行列車》で行くにしても……」

「いつもはそうだけど、今日は違うのよ」

「へ?」

「今日行われるのは夜会だけじゃないわ。貴女の着任式等諸々も行われるから、早めに始まるのよ」

「ははぁ、なるほどです」

「それに貴女は主役。準備も丹念にやらなきゃでしょ?」

「それもそうですね! よーし!」


 アクセルリスはベッドから飛び起き、張り切って支度を始めた。





 そして時は来た──《黒のウマの3》。

 二人はアイヤツバスの工房を出発した。

 死んだ妖精の森を抜け、その少し先に位置する街、《エントラッセ》。ここに最寄りの駅がある。


 二人が到着して間もなく魔行列車が到着した。アイヤツバスの完璧なスケジュール調整の賜物だ。その行先はもちろん《魔都ヴェルペルギース》。

 列車に揺られ、おおよそ10分。道中何のトラブルもなく、目的の地へと二人は辿り着いた。


 アクセルリスが此処──《ヴェルペルギース》に来るのはこれが初めてではない。むしろ何度も訪れている。

 目当ては勿論、憧れの師匠も所属する邪悪魔女。その夜会を実際に観られたことは無いが、熱意なら誰にも負けないであろう。





 列車から降りる。空には幾つもの星が瞬いている。

 ヴェルペルギースは常夜の都。決して日が昇ることのない、月に支配された魔女の都市。

 中心に聳え立つは全魔女たちの憧れ、ヴェルペルギースの象徴である魔女の塔、《クリファトレシカ》。

 その周囲には城下町のごとく建てられた家屋。半数以上は観光客相手の商店だ。

 魔女クッキーや魔女ネックレス、果ては魔女の箒など──様々な魔女関連グッズが売られているが、当然名ばかりで中身に魔女要素は無い。土産物とはそういうものだ。

 それらに描かれている魔女は、先の尖った細長い帽子に陰気な魔装束、そして箒といったステレオタイプの魔女──しかし、今となってはそんな魔女は存在しない。完全に時代遅れである。

 そもそもこのような姿の魔女が人間たちの間で広まっているのは、魔女がこの世界において勢力を伸ばし始めた頃に流行っていたファッションだからである。

 それでも人間の観光客相手には盤石のビジネスとして定着しているのだ。


 そんな魔女の聖地に魔行列車以外で来る術はない。それによって、ヴェルペルギースの秩序は守られている。

 十人の《邪悪魔女》はここを拠点とし、《魔女機関》を運営し、夜会を行い、全ての魔女への勅令や通達を行う。

 まさに、魔女の魔女による魔女のための世界を統治する為の拠点なのである。





 アクセルリスは小部屋にいた。控室である。

 はじめに行われるのは着任式だ。


「……クリファトレシカの北側広場を見下ろすバルコニーで、聴衆に一言」


 ただそれだけの事なのに、今のアクセルリスには究極の難題に感じられる。

 開始の時刻が迫ってきている。心臓の鼓動も早まっている。


「時間よ」


 側でアイヤツバスの声がする。師の存在にも気付かないほど、アクセルリスは緊張していた。


「大丈夫?」

「だいじょうぶです」

「リラックス、リラックスしてね。いつも通りでいいのよ」

「はひ」


 アクセルリスの手を取り、エスコートする。扉が開かれる。

 その瞬間、雪崩れ込む歓声。気圧されるアクセルリス──しかし、強く立つ。


「では、この度新たに邪悪魔女として選ばれた、鋼の魔女アクセルリスの登場となります」


 聴衆のボルテージは更に増す。見えない圧力に、本能は身を震えさせる。

 だが、勝つ。


「行くわよ」


 アイヤツバスは手を握り、足を進め──二人の姿が夜空に晒される。熱気が包む。

 数歩歩いて、アイヤツバスは手を離す。

 そしてアクセルリスは、ただ一人、一歩進み、息を吸い、一言。


「──はじめまして」




 それ以降何を言ったかは覚えていない。緊張で脳がショートしたか。

 歓声が止まないことを鑑みるに、無難で当たり障りのない事を言ったのだろう。

 一礼し、控室へ引っこんでいった。


「お疲れさま、アクセルリス。良かったわよ」


 アイヤツバスの声で正気に戻ったアクセルリス。


「ほんとうですか? ……良かったぁ~」


 胸をなで下ろし、安心の溜息をつく。


「この後は夜会ね。私は先に行ってるから、頑張ってね」

「はい!」





 戻ってから間もなく、招集がかかった。

 クリファトレシカ99階、邪悪魔女会議室──通称を《夜会室》。

 その大きな扉の前でアクセルリスは待機していた。ほんの数秒であったが、彼女にとっては数時間にも及んでいただろう。


「…………よし」


 心を整え、左の手の甲に十字を描いた。

 直後。ゆっくりと、壮大に、扉が開かれる。アイヤツバスに教わった通りに動く。


「名を」

「鋼の魔女アクセルリス。よろしくお願いします」


 一礼。完璧である。


「よし。入れ」


 絢絢に輝くシャンデリア。爛爛に広がるカーペット。極限まで優雅で美しく仕上げられた空間。

 部屋の中央には円卓。そしてそれを取り囲む──邪悪魔女たち。


 彼女らの容貌はアクセルリスの想像を超えていた。

 古臭いとは行かずとも、常識的な範疇な姿をしているものだと思っていたが──見当違いであったようだ。


「座れ」

「失礼します」


 開いている5iの椅子に腰かける。


「──よし。これより点呼を行う」


 先程から仕切っているのは1iに座する魔女だった。彼女の号令の元、夜会は進む。


「1i、バシカル。出席」

 名はバシカル・キリンギ(Bacikal-Killing)。剣を備えたその姿は、魔女と言うよりも騎士に近い。


「2i、イェーレリー」

「──」

 名はイェーレリー・オストロスト(Iweleth-Ostlost)。骸骨の鎧で全身を覆った魔人の様な姿。いきなり魔女離れしている。

 返答も、アクセルリスには骨のぶつかる音しか聞こえなかった。声がくぐもっているのだろうか。


「3i、シェリルス」

「あイよ」

 名はシェリルス・シンデレリア(Sheriruth-Cinderella)。着崩した魔装束は所々に焦げ跡が付いている。


「4i、アディスハハ」

「はーい!」

 名はアディスハハ・デドウメドウ(Adyeshach-Deadmeadow)。草花の飾りが可愛らしい。見た感じアクセルリスと同年代のようだ。


「5i、アクセルリス」

「はいっ」

 名はアクセルリス・アルジェント(Akzeriyyuth-Argent)。所々に輝く銀の飾りがさりげなく主張する。その髪、その瞳。彼女の『銀色』には高尚な雰囲気が宿る──アイヤツバスの評。


「6i、カイトラ」

「SYrrrrrrrrr」

 名はカイトラ・アルコバレノ(Kaitul-Arcobaleno)。名称しがたき触手モンスターの姿をとる。どう考えても異様そのもの。

 アクセルリスには聞き取れなかったが、どうやらあれが返事らしい。


「7i、シャーカッハ」

「はぁい」

 名はシャーカッハ・ヒュドランゲア(Shakah-Hydrangea)。妖艶な女性。桃色の髪をだらりと垂らした姿はあらゆるものを魅了する。


「8i、ケムダフ」

「ハァァァァァァァイ」

「はいはーい」

 名はケムダフ・アイオーン(Chemdah-Aion)。幼い少女の姿だが、異様なのはその帽子。彼女の身の丈の倍はあり、巨大な口が開いており、これまた巨大な歯が鋭く光っている。そこからも声が出せるようだ。


「9i、アイヤツバス」

「はい」

 名はアイヤツバス・ゴグムアゴグ(Aiyatsubus-Gogmagog)。黒ぶちメガネに黒コート。シックな感じを醸し出す大人の女性。それがアクセルリスの主観。


「10i、キュイラヌート」

「ガー」

 名はキュイラヌート・ヴォルケンクラッツァー(Qimranut-Wolkenkratzer)。謎の球状巨大装置が鎮座している。返事をしたのはその前に佇む三つ眼のカラス。何が何だかまったくわからない。


「全員出席確認。これより、邪悪魔女定期夜会を始める」


 バシカルの声は凛々しく、よく通る。


「改めて。アクセルリス、邪悪魔女着任おめでとう。君はアイヤツバスの推薦の元、厳正な審査を超え、見事5iの席を与えられた」

「ありがとうございます」

「これから一同、よろしく頼む」

「はい、よろしくお願いします」


 雰囲気は堅苦しいけど、いい人そうだ。そう思ったとき。


「はん。アタシは賛成してねェけどな」


 口を挟んだのは2iの席──シェリルスだ。


「シェリルス」

「こンな小娘が邪悪魔女? 冗談じゃねェ」


 バシカルが制するが、止まらない。

 アクセルリスがどうしていいか分からず戸惑っていると、アイヤツバスが口を開く。


「──この子は私の愛弟子。アクセルリスへの罵倒は、私への罵倒と判断するわよ」


 口調こそいつものアイヤツバスであるが、その声色には怒りが色づいていた。


「だったらどうした? やるッてのか?」


 シェリルスの輪郭がボヤける──陽炎。それに気付いた時、既にそれは生まれていた。

 火球だ。シェリルスの前に生まれ、成長してゆく。

 アイヤツバスはそれを見て、周囲に魔法陣を展開する。その色は青く澄み渡る。


「────」


 一触即発。


「よせ」


 それを止めたのはイェーレリー。ハッキリとした言葉でシェリルスを制する。


「アイヤツバスさんもだ。コイツはいつもこうだろう、放っておけ」

「……ケッ」

「プライドを傷つけられるのは癪なんだけど」


 二人が同時に力を抜く。火球も魔法陣も消え失せる。


「全く……せっかく新たな仲間が増えたというのに何をしているのか」


 イェーレリーは呆れた様。骸骨の首が左右に振られた。


「ま、いつも通りだし。平和ってことじゃん?」

「SyyyHahahaha」

「物騒ではあるけどね」


 ケムダフ、カイトラ、シャーカッハ。ただ飄々と。


(これがいつも通り? そんな物騒なの邪悪魔女!?)


 混乱しっぱなしのアクセルリスに横から声が掛かる。アディスハハだ。


「大丈夫? 怖かった?」

「あ……うん、少し」

「シェリルスさん、いつもこんな感じだから。気にしないでね、アクセルリス」

「ありがとう、えっと……」

「アディスハハでいいよっ!」

「ありがとう、アディスハハ」

「気にしないでね!」


 微笑む。すごくいい娘そうだ。アクセルリスの心が少し開いた。



「……気を取り直して、始めるぞ」


 バシカルの号令。それに従い、夜会が再開した。



 アクセルリスは邪悪魔女としてのあれこれを教わった。

 心構えや魔訓という伝統的なものに始まり、リアルなビジネス関連、そしてそれぞれが担当する部門のことまで、全てを叩き込まれた。

 その全てが輝いて見えた。憧れの邪悪魔女なのだから。



「──以上。今日の夜会はこれにて終了だ」


 楽しい時間はあっという間に過ぎた。


「それでは各自、業務に励むこと。解散」


 ぞろぞろと魔女たちがそれぞれ退室していく。


「これから一緒に頑張ろうね!」


 去り際、アディスハハがこう言った。


「うん、よろしく!」


 そしてアイヤツバスは、我が子の成長を見るような優しい眼差しでアクセルリスの様子を眺めていた。


「それじゃアクセルリス、今後の話。しばらくは研修期間として、私の仕事の手伝いをしてもらうわね」

「……えっと、それって」

「うん。今までと変わらないわね。でももう邪悪魔女なんだから、前よりも気を引き締めてね」

「はい!」

「さ、私たちも帰りましょう」





 《ディアンアーノ火山地帯》。

 山のふもとの森に、その工房は建っていた。


「ッたくよ。気に入らねェ」


 シェリルスの工房だ。そこでは火が轟々と焚かれていた。

 火種とされているのはいくつもの魔法書。

 一見、魔術への冒涜とも見えるこの行為、実はシェリルス流の儀式なのだ。

 魔法書を種に焚いた炎。それに身を入れ、体を焼くことで魔力を得る。モノによっては記されていた魔法を取得することもできる。

 無論、全ての魔女がこうあるのではない。シェリルスは《灰の魔女》。故に、このような手法を取っているのだ。


「さてさて、いい感じになってきたな」


 火加減を確かめ、入炎しようとする。


 ──と、その時。シェリルスの背後で玄関の扉が開かれる音がする。


「あ? 誰だ? アタシの領域にノックも無しで入るなンて──」


 訪問者を見たシェリルスの顔色が変わる。真っ青に。


「し──師匠」


 シェリルスの師。黒い女騎士のような姿の魔女。

 《冷徹の魔女》バシカル。


「ななな、なんでここに? あ、立ち話もなンですし、中にどうぞ、お茶用意しますンで」


 動揺が隠せない様子のシェリルス。何とかしてバシカルの機嫌を取ろうとするが、師の表情は鉄のように硬く固まっている。


「なんでここに、だと?」

 ゆっくりと口を開く。冷徹の名に恥じぬ威圧感。

「お前──なんだあの態度は?」


「たい、ど?」

「とぼけるな!」

「ヒィーッ!」

 一喝。殺気で焚火が消え失せる。

「……私の弟子として。邪悪魔女として。あの態度は許容できない」

「ハ、ハヒ」

「自覚を持て」

「すンませんでしたーッ!」


 瞬間的土下座。その眼には涙が浮かんでいた。

 バシカルは既に背を向け、立ち去って行った。しかしそれでも、シェリルスは土下座したままであった。





 所変わってアクセルリス。

 基本は研修と銘打ったアイヤツバスの手伝い。それに加えて、クリファトレシカでのいくつかの任務。

 毎日が充実していた。生きている実感を味わっていた。

 オフの日はこれまでのように趣味に費やすほか、予定が合えばアディスハハと親睦を深めるなど、何一つ不自由のない毎日であった。

 そんなある日。


「バシカルから伝令が届いてるわよ」


 アイヤツバスから手渡されたのは、黒く荘厳な雰囲気の手紙。


「伝令? なになに……『【任務伝令】本日、《白のワシの5》にペルキッセスの丘に来ること』」


 初めて見る手紙に困惑する。アイヤツバスにヒントを求める。


「まあ行ってきなさい。行けばわかるわ」

「分かりました! アクセルリスがんばります!」



【続く】

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