第3話 組手甲冑術
結局僕は試合に集中出来ず、全国中学校剣道大会では、準優勝という結果に終わった。
全くもって不本意な、中学最後の試合が終わってしまった。
自分の全力が出せたか?
そんなの分からないはずがない。
あんなものを見せつけられてしまったら、今までの緊張感、集中力は事切れてしまう。
僕にとっては、圧倒的に不利だった。
決勝戦の相手はBブロックでの試合に集中出来ているから、よそ見なんかしている暇なんてない。
おそらく自分の剣道が出来ていたはずだ。
僕は目の当たりにした光景に、圧倒され、集中力をかき乱され、本来の自分の剣道が出来ずに終わった。
これが僕の、中学最後の大会の結果。
だが、それよりもあの暴れ回った選手の事が、気になって仕方がなかった。
全中が終わって一週間後。
内山田先生に、僕と、前田は呼び出された。
今日の部活動は休みのはず。
しかも呼び出された場所が視聴覚室だった。
「きっと例のアレだよ。塚原が観たがっていたあの試合を、カメラに収めていたんじゃないか?」
一緒に視聴覚室に行く時に、前田が僕にそう言ってきた。
あの時に、何度も前田に問いただしたのだが、呆気に取られたというべきなのか、それとも迫力に負けてしまったのか、支離滅裂なことしか言えず、しっかりとした状況説明を聞かせてはもらえなかった。
視聴覚室に入ると、内山田先生が先に待っていた。
「おう、待ちくたびれたぞ」
「そんなこと言って、普通に約束の時間通りに来たじゃないですか」
前田は内山田先生にからかう様に言った。
「んで、ここに呼んだって事は、例の映像が撮れていたって事ですよね?」
僕はとにかくその映像が早く観たかった。あまりにも動揺して、集中出来なかったあの元凶を、僕はこの目でしっかりと確かめたかった。
「あぁ、俺にはこれしか出来なかったからな。ちゃんと撮れているよ。俺は剣道は素人だがお前らだったら、何か分かるかもしれないと思ったからな」
そう言って、映像が入っているUSBを、僕らにチラつかせた。
「俺が観る限り、プロレスをしてる様にしか見えなかったがな」
内山田先生はUSBをノートパソコンに差し込んで、いつでも鑑賞できる様にしてくれた。
「それじゃ、再生するぞ」
マウスを手に取って再生をクリックした。
ノートパソコンのモニター画面に、当時の全中の準決勝が映し出された。
僕と前田は食い入る様に、モニターを見つめる。
「この白いタスキをしているのが、問題行動を起こした奴だ」
そう解説する内山田先生。
第一試合。
この時点で、僕は目を疑った。
相手選手が気合いを上げるのに対し、白いタスキの選手は一切声を上げない。
そして攻めに入る相手選手を、いとも簡単に華麗な足捌きで下がってみせたと思ったら、あっという間に相手から面を取った。
引き技かとも思った。
しかしここまで素早い引き技を見たことがない。
あまりにも鮮やかすぎる。
「ここからだ。この問題児の活躍は」
映像が切り替わって第二試合。
第一試合と同じく、一切声を上げずに中段構え。
相手選手は再び、攻撃を仕掛けに竹刀を振り上げた。
その直後だった。
白いタスキの選手は、低い体勢になり、竹刀を後ろ手に回しながら、相手の真後ろへと周り、素早く面を取った。
しかも理想的な残身。
だが。
ここからだった。
白いタスキの選手は竹刀を投げ捨て、相手選手に
そうかと思いきや、相手が竹刀を手から離したスキにその竹刀を奪い、
審判達が止めに入ると、その審判を片手で掴んで奪い取った竹刀の柄で腹部を突き、他の審判に足払いをして倒れたところを面でねじ伏せる。
最後に残った審判には、また竹刀を捨てて、一本背負いをかましたと思いきや、そのまま首締めに入った。
「これが、全中において、前代未聞の試合になったって訳だ」
内山田先生はまるで総合格闘技でも、観ているかのように言い放った。
素人の目からしたら、そう見えるかもしれないが、この白いタスキの選手は、わざわざ準決勝で何故、こんな暴挙に出たのか。
優勢だったはずなのに、それを自らふいにしてしまっている。
いや、寧ろ全中に興味が無かったのか?
それで、この様な暴挙に出た、というのだろうか?
訳が分からない。
全国中学校剣道大会は中学生剣士なら、誰でも憧れる舞台だ。
考えても
「そうだ、早すぎて何が起こったのか、俺には分からなかったんだ」
前田は思い出したように、ひとりで納得していた。
確かにもし自分が一部始終を目の当たりにしていたら、前田と同じ感想を述べていたとも思う。
しかし、どうも何か引っかかる。
一本を取り勝利したというのに、決勝にいけるというのに。
それだけの実力者であるのに。
鮮やかな足捌き、素早い一本。
モニターに映し出された白いタスキの選手は、一切攻撃を受けていない。
これほどの
「先生。全中のトーナメント表ってまだあります?」
あぁ、と返事をすると、既に用意してあったらしく、僕たちに渡してくれた。
「Bブロック…準決勝……」
映像と照らし合わせて、白いタスキの選手の名前を探る。
僕は映像をスローにして、大垂がよく見えるモーションを探していた。
前田はトーナメント表の冊子を眺めて、映像と照らし合わせている。
「おい、塚原。相手選手なら分かったぞ。武田って奴だ。んで問題の選手は……何て読むんだ、これ?」
前田は冊子に書かれている選手の名前に困惑していた。
「先生、国語の教師でしょ? これ、何て読むんです?」
内山田先生に冊子を渡して、ある選手の名字に指を差した。
僕もその冊子を覗く。
確かに『
そこには、
『安居院貴久』
と記載されている。
「あんきょ……いん?」
前田がそう呟く。
「違う、安居院と書いて『あぐい』って読むんだ。
安居院貴久。
出身中学校も聞いたことがない。
こんな奴が今まで全中に出てこなかった事が、とても不思議でたまらない。
つまり僕はこの
そう思うと同時に、この男に腹立たしく思えてくる自分がいた。
この男さえ出てこなければ、僕は精神統一もしっかりと出来、決勝に臨めたと思うからだ。
そしてこの映像を僕が通っている剣道道場の、細川先生にも見てもらいたくなった。
この安居院貴久は、剣道を侮辱している。
その心を、細川先生に読み解いて欲しかった。
「先生、このUSB、借りてもかまいませんかね?」
「あぁ、別に構わないがちゃんと返せよ?」
「ありがとうございます」
「何かあるのか? それともこの安居院って生徒の剣道を研究するのか?」
内山田先生がそう言った途端に、僕の感情が爆発した。
「これは剣道じゃない、冒涜しているとしかいえない、これが剣道だというのなら、剣道の理念に違反している。僕にはそういう風にしか見えないんです!」
八つ当たりしても、しょうがないとも思った。
だが、どうしても怒りが収まらない。
内山田先生と前田を視聴覚室に残して、そのまま僕は細川先生の道場に足を運ぶ事になった。
※※※※※
『細川剣道道場』
僕が小学校一年の時から通い続けている剣道道場。
細川先生は、僕にとって大事な師匠だ。
だから安居院の行為には、憤りを感じてならない。
別にこのUSBの内容を観てもらったとして、何が変わるという事はない。
しかし今までに教わってきた事を、まるで否定されたかのような、そんな気がしてならなかった。
要するに悔しいのだ。
僕は剣道を通して、自分との戦いであると常々思っている。
自分の弱点だって知っている。
それが心の弱さだという事も。
自分の剣道を信じ、理念を信じ、自分をここまで磨いてきた。
細川先生にも、その努力は認めてもらっている。
細川先生から教わった剣道が、僕にとっての剣道の全てだ、とさえ思っている。
だからそれを否定されている気がして、腹立たしくてならないのだ。
今日、道場は休みだが、細川先生の自宅でもあるから居るに違いない。
僕は玄関に回りチャイムを押した。
「おう、塚原じゃないか。今日は道場休みじゃぞ、どうした?」
八十歳を越えた先生だが、僕は細川先生に一度も勝てた事がない。
細身の身体から想像出来ない、剣の達人だ。
「いえ、実は観てもらいたい試合がありまして」
「例の全中のあれか? その映像があるというのか?」
「はい、顧問が撮っておりまして」
「そうか。まぁ、上がりなさい」
「お邪魔します」
僕は先生の自宅に上がらせてもらった。
そのままリビングに通されてソファに座らせてもらった。
「あら、
先生の孫娘、
「知代子、お茶でも出してくれ」
ハイハイ、と言いながら、台所に引っ込んでいく知代子さん。
「全く、あいつだけ行き遅れちまってなぁ。女房がいないから、助かるって言えば助かってるんだが、良い相手でも見つけてくれりゃあ、ワシも落ち着くんだけどなぁ」
知代子さんは三姉妹で、姉二人はもうとっくに、結婚して家庭を築いている。
でも三姉妹で、一番年が離れている知代子さんは、現在二十八歳。次女と十も離れていると聞いたことがある。
知代子さんの実家はすぐ近くだと聞くが、細川先生の家に転がり込んでいつの間にか住み込んでいる、と以前聞いたことがある。
何でも実家の両親と喧嘩して出ていってそれ以来、祖父である先生の世話をしているとか。
一応、両親とは和解しているらしいのだけれど、ここの細川剣道道場にいるほうが、知代子さんにとっては良いらしい。
部外者である僕には、よく分からないけれど。
普段は公務員で市役所に勤めているが、先生は三姉妹の末孫娘の知代子さんが、気がかりで仕方がない様だ。
しかし今日は平日だというのに、何で知代子さんがいるのだろう。
何か用事があって有休でも取ったのだろうか?
……って、そんな事を
「知代子さん、ここにノートパソコンってありますか?」
すると、お盆に玉露を二つ乗せた姿で、
「ノートパソコン? あるわよ。今持ってくるね」
知代子さんはそのままお盆をテーブルにおいて、リビングの奥へと引っ込んでいった。
僕は慌てているのか、それとも自分を急かせているのか、完全に観察力が失われている様な気がした。
「塚原、何をそんなに急いでいる? 全中の映像だろう? その
言われてごもっともだとも思う。
しかし僕の中で、憤り、そして映像の中にある不思議な光景。
これを観た瞬間に、僕の剣道を何もかも否定された、その事実は必至だ。
「持ってきたわよ」
知代子さんがノートパソコンを持ってきてテーブルの上に置いた。
僕はUSBをポケットから取り出して、ノートパソコンに差し込んだ。
そして映像が観れる様にパットで操作する。
モニター映像が映し出された。
視聴覚室で観たあの映像だ。
先生は微動だにせず、ただモニターを観ている。
「呪いの映像とかじゃないわよね?」
「知代子、黙っとれ」
「この白いタスキが例の奴です」
「ほう、中々良い太刀筋しとるじゃないか。しかも見事な残身だ。ちゃんと心得とるな」
先生はそう評した。
が、問題の映像が流れ始める。
「なに、これ?」
一緒に観ていた知代子さんが、唖然としている。
「これって、全中の試合風景よね?」
僕は黙って頷いた。
「全中でこんな事するなんて……」
知代子さんも、剣道の有段者だ。
この人も過去に全中で優勝経験がある。
だからこの映像は知代子さんからすれば、刺激が強いものかもしれない。
だけど先生は鋭い目つきで、映像を観ている。
そして僕を促し、巻き戻しをしてもう一度、問題の映像を確認するように観る。
何かに気付いたのだろうか?
先生はあまりにも、食い入るように、何度も巻き戻しては問題映像を観ている。
「塚原」
突然、先生に呼ばれ、僕は構えてしまった。
だが決して、先生は画面から目を逸らさない。
「お前、この小僧に当たらなくて良かったな」
一瞬、時が止まったかのように思った。
先生は意外な返答をしたからだ。
「どういう意味でしょうか?」
「早い話、この小僧がやっているのは、剣道とか、そんな生易しいものじゃない」
「剣道とかではない? それじゃ何故、この男は全中に出場しているのですか?」
「そんなのはワシにも分からんよ。ただこれだけは言える。この小僧がやっているのは剣道ではない」
先生はハッキリと明言した。
剣道ではない?
ならば柔道とかなのか?
いや、それよりも面打ち一本の鮮やかさに、見事な残身は、剣道経験者でもあそこまでは出来ないはず。
だったら、何なのだ?
「お爺ちゃん、勿体ぶらないで、ハッキリ言ってよ。全中でこんな行為が行われるなんて前代未聞だわ」
知代子さんも流石にこの映像を観て、鼻息が荒くなっている。
僕が憤る様に、知代子さんも同じ気持ちなんだろう。
「だから言っているだろう。
正直、僕には分からなかった。
しかし知代子さんは、何かを悟った様だった。
「えっ? それってまさか…」
知代子さんは何かを察したのか、信じられない様子の表情で、それ以上の言葉を発せずにいた。
その表情を見ても読み取る事が出来ず、僕にはまだ分からなかった。
「知代子。ワシの書斎から、アレを持ってきなさい。そうすれば塚原にも、分かりやすく説明出来るじゃろう」
知代子さんは黙って、リビングから出ていった。
先生は玉露を手に取り、お茶をすすりながら未だにその視線は映像から目を離さない。
一体全体、何だというのだ。
剣道じゃなかったら、この白タスキの男は何をやったというのか?
僕がこの男に当たらなくて良かった?
その真意を聞きたかった。
「先生、一体どういう事ですか? 当たらなくて良かった? この男は剣道をしていない? それだけで僕が負けるという要素があるのですか?」
「実際に、この現場を見て、動揺して全中で二位になったのは塚原、お前だろう?」
痛いところを突かれた。
先生の言う通り、僕は動揺し、自分のペースもつかめず、心ここに在らずの状態で敗北してしまった。
心技体でいうところの『心』に動かされてしまっていた。
「そんなお前が、勝てる訳がない。いや、寧ろ当たらなくて良かった、と言うべきか」
そう言った直後に知代子さんがリビングに入って来て、テーブルに随分と古い本を置いた。
先生はその本を手に取り、ページをパラパラと捲っていった。
「おぉ、これだこれだ」
僕の前に捲られたページを見せてきた。
浮世絵か、鎧を着た武士二人が格闘している様なイラストが、そのページには掲載されている。
そしてそれに記載されているタイトルが、僕の目に飛び込んできた。
「
聞いた事がなかった。
組手甲冑術。
これがこの白タスキの男の正体とでもいうのか?
「何ですか? これは?」
「簡単に言えば、
人を
「この男がやっているのは、剣道ではなく、剣術だ。しかもかなりの実力者と思える。時代錯誤も
「剣術? それがこの組手甲冑術と、どんな関係があるというのですか?」
「悪く思わないで聞いて欲しいのじゃが、剣道と剣術は似ている様で全く異なっておる。剣道の理念は言わずもがな、塚原もよく分かっているよな?」
はい、と僕は高らかに返事をする。
「しかし、剣術は違う。武道ではない。人を殺める殺人術だ。組手甲冑術もそのひとつ。戦国時代に刀が折れた時に用いる技。刀がなくても、人を殺すための技」
戦国時代だって?
今は平成だぞ。
四百年以上も前の技を継承しているというのか?
「しかもこの白タスキの小僧、試合中ずっとだが手を抜いておる。何度も映像を観返したが、どう考えても手を抜いておる。もし本気でやったら、竹刀でも大怪我に繋がるだろう。それをよく分かっている様じゃな」
「手を抜いている? どう観ても手を抜いている様な、そんな風な動きには見えないのですが」
「それはお前が剣道の理念で観ているからじゃよ。良いか? この白タスキの小僧は理念もクソもない。ただ、立ちはだかる相手を倒す、ねじ伏せる、
僕は
と、同時に疑問が晴れた気がした。
僕がこの白タスキの男、安居院貴久に
安居院とは試合こそはしていないが、この大暴れの事件を目の当たりにして、知らない間に恐怖心を植え付けられていたのだ。
内山田先生にキレて、細川先生に映像を観てもらったが、答えは既に出ていたのだ。
言葉では何とでも言える。
ただ、それが負け犬の遠吠えだった、という事に今更気が付いてしまった。
急に恥ずかしくなると同時に、やはりもうひとつ、疑問が増えた。
安居院は一体、何がしたかったのか?
そう思ったと同時に、先生も同じ様に思ったのか、
「しかしこの小僧。一体何が目的で、この様な事をしたのか?」
そう呟いたのを、僕は聞き逃さなかった。
だから別の切り口で、先生に疑問を投げかけた。
「この『安居院貴久』という、男の名前だけは分かりました。この
細川先生は、うーんと唸るだけで、
「剣術にも色々とあるからなぁ。安居院という名字だけでは、ワシにも何も分からないな。ただ…」
僕はその後に繋がる、先生の言葉に
「中学生という小僧で、ここまで見せつける実力の持ち主。並大抵の稽古では、こうはいくまい。ワシも昔、居合道の演武を観たが、この小僧の太刀筋はそれ以上ともいえる。つまり抜いた竹刀で居合と同じぐらいの速さで、相手を攻撃している。中学生とは到底思えぬよ。だからワシも思う。この小僧は一体何が目的なのか?」
確かに、突然全中に現れ、嵐の様な事件を起こして去っていった。
しかも無名ともいえる中学校が、全中に登ってきたのだ。
今まで何故、出場しなかったのか、そういう風に思えてしまう。
安居院貴久。
剣道に突然現れた異端児。
細川先生も、僕もこの男の試合に、見入ってしまった事は確かだった。
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