第2話 思いがけない?再会

 バイト先は、このご家庭か。

 高層マンションの一室。


 先ほどエントランスを潜ると、受付人がいることにどこか遠い世界に迷い込んでしまったかのような錯覚を抱いてしまった。


 さてどんな性格の生徒さんに勉強を教えることになるのか。


 金持ちを鼻にかけたようないけ好かない生徒さんだったら、厄介だな。

 前任者は解雇されたらしいなどという噂を聞いた。

 生徒さんに関する事前情報はほとんど提示されなかったが、時給が高かった。

 それにこのバイトを辞めてしまっては、生活費を稼ぐ別の方法を考えなければならない。


 何度目かわからないが、ネクタイの位置をしっかりと確認してから、インターホンを押した。

 数秒ほどして、どこかで聞いたことのある柔らかな声が返ってきた。


「はーい」


「家庭教師の派遣できました––––」


「少しお待ちください」


「はい」


 俺は無機質なドアの前に立ち続けた。


 数秒ほどして、わずかにカッチという音がした気がした。

 ゆっくりとドアが開き始めて、顔を見せたのは––––


「あ、あの時の……」


 驚いた表情で立つモデルの女の子だった。


 

 あの時の女の子は、常磐浅葱というらしい。

 てっきり大学生かと思っていたが、高校3年生の受験生だった。


 「国立商科大学2年生の黒岩藍人、家庭教師歴2年であること」等の自己紹介を一通り終えて、俺は常磐さんの自室に招かれた。


 どうやら親御さんはこの後忙しいようだ。

 二言三言挨拶をして、「これからのご契約については、まずは今日の模擬講義を行って––––」と俺が言いかけた時にはすでに常磐さんの母親は、「お任せします」と言って、行ってしまった。


「ごめんなさい、先生。あの人は、私のことなんかどうでもいいみたいだから––––」


 常磐さんは乾いたように微笑んだ。その後、すぐに気まずい雰囲気を壊すように「まさか、二度もお会いするとは思いませんでした」と茶化すように言った。


「正直、俺も驚きましたよ」

「ふふ、敬語じゃなくていいですよ。藍人先生?」


 なぜか挑発するように、チラッと俺のことを見た。

 初めて出会った時に抱いた儚げな印象が今はほとんど感じない。

 きっとこれが素なのだろう。


「ではそうさせてもらおうかな、浅葱さん?」

「はい」と屈託のない笑顔を浮かべた。


 これが芸能人の微笑みですか。

 めちゃくちゃ可愛い……。


 一瞬、寒気がした。

 きっと、彼女––––山下美穂の冷めるような視線を思い出したからに違いない。

 そもそも高校生の生徒さん相手に何も起きることはないわけだから、余計な思考は捨てるとしよう。


「こほん……モデルもやって、受験勉強までしっかりと取り組むのは大変だろうが、俺もサポートするから、志望大学合格に向けて取り組もう」

「でも、私、あまり勉強得意じゃないですから」

「効率的に取り組むことで一定の学力にはなるから、まずはそこを目指そうか」

「うん」

「ちなみに志望校は、国立商科大学のどこの学部?」

「商学部です……」

「法学部じゃないのか……」


 そうなると法学部の配点と若干異なるんだよな。

 数学のウエイトが高くなるはずだから、まずは数学をなんとかしなければならないか。

 

「もしかして、先生は法学部?」

「まあ」

「へーすごい」と小さくつぶやくのが聞こえた。


 とりあえず、浅葱さんの今の実力を知らないと方針の立てようもないから用意してきた学力テストでも––––


 チョンチョンと、スーツの裾が引っ張られた。

 好奇心の強そうな瞳が俺を捉えた。浅葱さんは頬杖して、まるで俺のことを見定めようとしているみたいだ。神話のメデューサのように見つめただけで人を固めてしまう。そんな話が一瞬、脳裏に浮かんだ。


「ねえ、藍人先生、なんで前任の先生を解雇したか聞かないんですか?」


「そんなことは……教えるのに必要ないだろ。そんなことよりも、今の実力を測るから––––」


「……そうですか」とチラッと俺から視線を逸らして、浅葱さんは頬杖を止めた。そして、流れるような仕草で俺の座っている椅子へと身体の向きを変えた。


 正面から見合うような格好になった。いつの間にか制服のボタンが3つほど開けられており、色白い胸元の膨らみが見えそうだった。


「……!?」

「ふふ」と嫌な笑みを浮かべて言った。


「私のことを好きになっちゃったみたいなので、辞めてもらったんです」


 ああ、これがきっと常磐浅葱の本性なのだろう。

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