2 どうにもならない純情


「で、その神原栄さんを、あなたはどこで殺してしまったんですかね?」


「大学にある、教授の部屋です。」


「教授というのは・・・、神原教授にはご家族はおらんのですか?」


「奥様とご子息が2名おります。」


「ふ~ん。ではご家族にも確認を取らんとなぁ・・・。」


「教授の遺体は、今も部屋にあります。」


「・・・そうですか。」


 困ったことになったベテラン刑事は、後輩刑事に電話をかけた。ヘタをすると、未だに後輩の榊巡査は眠っているだが、やっぱりヘタをしなくても想像通りだったので、先輩刑事は特段に呆れもせず、用件だけを簡潔に伝えることにした。


「うん、そう言うことだ。だから直ぐに現場へ向かって確認をして来てくれ。念のため、鑑識班も向かわせることにする。頼んだぞ。」



 電話を切ると、松岡刑事はこの部屋のエアコンがかかっていないことに気が付いた。だだっ広い部屋なので、エアコンのスイッチは座っている場所からは離れていたが、エアコンが効いていないと分かると、暑苦しさは無性に増してくるもの。

 自称殺人犯を目の前にしていたが、彼は特別に警戒心を強めることもせずに、席を外してエアコンのスイッチを入れに数メートルほど移動した。


 クーラーのスイッチを入れてから彼が振り返ると、予想通り、ワンピース姿は背筋をキチンと伸ばし、着席したままだった。



「今ね、現場に人を向かわせて、事実かどうかを確認するからね。もうしばらく、そのままで待っていてもらえるかな。」


「私は、人を殺してしまいました。ちゃんと罪を償いたいので、はやく罰を与えて欲しい・・・。」


「・・・罰ね。・・・う~ん。俺の仕事は罰を与えるのではなくて、犯人を捕まえることなんでね。」



 無精髭をジョリジョリと掻くと、今度は彼はコーヒーではなく、水を飲みたくなった。さすがに室内に水は無い。なので部屋を出て、その先のエレベーターホールにある自動販売機へ買いに向かった。そう、自称殺人犯を部屋に残して。


 自販機でミネラルウォーターを買うと、直ぐにその場で半分くらいを飲み込んだ。冷たい水が胃に染み入って、若干ではあったが胃痛も和らいだ気がした。



 部屋に戻ると、これも彼の予想通り、ワンピース姿は背筋をキチンと伸ばし、着席したままだった。

 真横から見ると、ワンピース越しでもスタイルの良さは分かった。小高い鼻筋に、少し尖った柔らそうな上唇の形状を見ると、急に松岡刑事は持ち前の洞察力からか、ある連想が思い立って、それを確認したいという興味、と言うか、好奇心が湧いて来てしまった。



「どうしてその・・・神原さんを殺してしまったのかね?人を殺すには、なにか動機があるじゃないか?」


 刑事が抱いた連想からは、わざと遠い質問を投げかけてみたのは、あえてのことである。


「殺して欲しいと、教授から頼まれました。」


「んん?殺して欲しい?教授から?・・・どうして神原教授は殺して欲しいなんて?」


「私がいるからです。」


「ふ~ん。それではちょっと意味が分からないがね。」と言うと、松岡はさっき買った水をまた飲もうと、ボトルを口に運びました。


「教授は、私を愛してくれましたから・・・。」


 それを聞くと、口に含んだ水を吹き出しそうになるのを必死に堪えて「愛した?君のことを??・・・教授がかい!?」と、わざとらしく大袈裟に返した。

 わざとらしく・・・とは、松岡刑事が思い描いた連想を、現実的に証明をしたかったからに違いはない。



「では教授はどうやって愛してくれたのかね?君を女としてかね?それとも・・・。」と言いかけた途中、彼の話を遮るようにして「はい。私を女性として、愛してくれました。」と答えた。


「つまり、その・・・なんだ。教授は妻子がおるにも関わらず、君のことを女として愛したということですな?」


「何度も、そう申し上げておりますが・・・。」


 仕方なく松岡刑事は同調することにした。


「なるほど。では、つまりお二人は愛し合っていたということですか?」


「えぇ、私も教授のことを愛しています。今も。」


 それを聞くと松岡は両腕を組んで、う~んと低く唸った。



 ややあって松岡は「ではどうして、君がいるという理由で、君は愛する教授を殺してしまったのでしょうか?なぜ教授は、君に殺してくれなどと依頼したのでしょうか?」と刑事が問うと、相手の返事は早かった。


「教授は私を愛してくれました、と先ほども申しました。教授は私に、こう言ったのです・・・。」


『僕はもう、どうにもならないこの純情をお前に注ぐことに疲れた。いっそのこと、お前の手で、この僕を殺してくれないか』



 こんな良いタイミングで、榊巡査から松岡刑事へ電話が鳴った。

 反射的に松岡は電話機を掴んでみたが、女の話の続きを聞きたい好奇心と、後輩が現場で何を見たのかを聞かなければならない義務感が、少しだけ通話を始めるまでに間を開けてしまっていた。



「松岡さん!死んでます!確かに明応大学にある校舎内の神原教授の部屋で、神原教授は亡くなってます!」


「・・・そうか。遺体はどんな状況だ?・・・うん。・・・うん。分かった。鑑識班が到着するまで待機しろ。またな。」



 早々に榊巡査との通話を終えた松岡刑事だが、こうするにはキチンとした意味があった。

 どうやって神原教授を殺害したのか、現場の状況を知った彼は、女の供述を取って、ことの整合性を図る必要があったからだ。




つづく




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