3 不純の意味
「ああ、失礼・・・。で、純・・・いや、では具体的に、君はどうやって神原教授を殺害したというのかね?」
こう問い掛けると、女は迷いも無く即座にこう答えた。
「椅子に座っている教授を、私は後ろから抱きしめました。そして教授の首を瞬時に捻って、頸椎を脱臼させました。ですので、教授は一切の苦しみを感じることなく、即座に死亡しました」と、サラリとこう答えたのだった。
「で・・・、教授の最期は、どのような格好で?」
「頸椎を脱臼させましたから、首は左前にもたげるようにぶら下がっておりましたが、そのままの姿勢もむごたらしいので、椅子をリクライニングさせて、眠っているようにさせました。そしてこう、両手を組み合わせるように、お腹の上あたりで」
女は生っ白い両手を胸の下あたりで組んでみせた。
女の話は、先ほどの榊巡査から電話で伝えられた現場の状況と、まったく相違点が無かった。
こうなると盾ノ内刑事は、この女が神原教授を殺害したことにほぼ間違いないと断定せざるを得ない状況になった。
が、しかし、盾ノ内警部の目論みはまだ途中である。
「やっぱり理解できませんなぁ。教授が君を愛する理由は、どことなくですが理解はできましょう。しかし、君が教授を、君が人を愛するとは、とうてい理解ができないのですよ」
「はい?どうして私が教授を、私が人を愛することが理解できないのでしょうか」
「では改めて聞くが、教授が言った『どうにもならないこの純情』とは一体どういう意味なのか、君はどう理解しているのかな?」
「純情とは、濁りも汚れも無く、一心を持って愛情を注ぐこと」
そして女は、こう続けた。
「どうにもならない純情とは、自分でも計り知れないほど、抑えきれないほど、唯一無二の愛の境地に、心情が達したこと」
盾ノ内は、ふぅ・・・と溜め息をついてから「ではどうして教授は、そこまで愛した君に殺してくれなどと言ったのだろうね?」と再度たずねた。
ここまでは、盾ノ内刑事の問いに、数秒の間も無く返答していた女だったが、このときばかりは、やや思考が止まった様子だった。
盾ノ内は、やはりこの女の異常を見逃さなかった。
席を立つと、エアコンのスイッチがある部屋の片隅へ移動した。
そこで榊巡査に電話したのは、ある確認のためである。
「あぁ俺だ。どうだそっちは?・・・あぁそうか。ところで教授の部屋に、ADD社のカタログか何かあるか?」
「え?あの、ADD社のですか?ただ今はちょうど鑑識の最中ですからね、ちょっと遠巻きからだと分からないですけど・・・それがどうかしたんですか?」
「いや、じゃあいい。もし見つけたら早速教えてくれ」
「はい、分かりました。あ、盾ノ内さん。神原教授ですけど、どうやら部屋に愛人か情婦でも呼んでいたのかも知れませんね」
「ん?どういうことだ?」
「ゴミ箱の中に避妊具が捨ててあるんですよ、使用済みの。鑑定すれば教授本人の物と分かると思いますが。いやぁ、こんな立派な大学の教授ともあろう人が、教授室でなにをしていたんですかねぇ」
「おいおい。気持ちは分かるが仏さんの前だから失礼にあたるぞ。何か分かったら連絡をくれ」と通話を終えようとした。
「ああ!盾ノ内さん!・・・ところで、盾ノ内さんに情報を提供してくれた人って、重要参考人なんですか?まさか女?」
「いや・・・参考人ではあるが、少し違う。詳しくはもう少し調べてからだ」と言って電話を切った。
通話を終えた盾ノ内は、先ほどエアコンのスイッチを入れたときと同じように、女が座っているのを遠巻きから見ていた。
相変わらず女はワンピース姿で、背筋をキチンと伸ばし、パイプ椅子に着席したまま、前を向いて微動だにしていない。
すだれた美しい黒髪から、少しだけ見える造形美が際立つ鼻筋に、ふくよかな胸のライン。
やはり刑事が当初に感じた、とある連想がいよいよ確信に近付いたと、彼は実感し始めたのだった。
「で、どうです?これでこの質問は三回目になるが、どうして教授は、君に殺してくれなどと言ったのだろうか。その答えは出せそうかい?」
すると、ややあって女は「教授は、私を愛してくれた。どうにもならない純情で、私を愛してくれた・・・」と答えたが、「愛する私に、殺してくれと頼んだ。どうして?どうして?」と自問自答をし、若干の動揺を始めた。
ここぞとばかりに盾ノ内は、女に向かって混乱の種をバラ蒔いた。
「そうだ!・・・どうして神原教授は、君を純情に愛していると言いながら、君に殺してくれなどと依頼するのか。それはだね、神原教授には奥様とご子息がいる。家庭があるにも関わらず、君を愛してしまったがゆえにだ。教授は、もちろん家庭を愛していた訳だな。ところが、君を深く深く愛してしまったのも事実であるからして、そうなると、どちらに転ぶにしても愛の蟻地獄に陥ってしまうのだよ。分かるかい?つまりは・・・」
ここまで刑事が言うと、またしても女は、刑事の話を遮るようにして、今度は語気を強めて反発した。
「教授は、私を深く深く愛してくれた。どうにもならない唯一無二の純情で、純粋に私を愛してくれたのです。あなたが言っていることは違う・・・」
こう来られたが、ここは負けじと盾ノ内は女に突っかかった。
「ところが、そこが大きく違うのですよ。人間社会においては、それを純情とは言わんのです。真反対の、不純と言われるのです!」
女はまた、やや間を置いてから「不純・・・?」と、盾ノ内刑事に聞き返すようでもなく、何もない空間に向かって言葉を投じた。
「えぇ、不純です。教授は不純だったのです。不純の意味はご存知ですかな?」
彼がこう言っても、女は反応を示しません。
「良いでしょう、では続けましょう。神原教授は、君のことを深く愛してしまったことは事実です、と先程も申しましたが、どうにもならない純情というのは、残念ながら教授がついた嘘でしょうな」
今度は先までの間を置かず、女は早々に切り返してきた。
「嘘?・・・どうして教授は、私にそのような嘘をついたのでしょう?」
「ふ~ん。・・・世間体、体裁のようなものでしょうかな。ですが、だからといって、教授が君に殺害を依頼した理由と、君が教授を殺害してしまった動機というのが、どうにも結びつかないのだがね」
「ですが私は、この手で教授を殺したことに間違いはありません。どうか、私に厳罰を・・・」
「いやいや。今のこの国に、そもそも君を裁く法律というものが無いのだよ」
ここで刑事は、ペットボトルの水をグイと一口飲み込んだ。そしてこう続けた。
「愛していると言うのならば、ずっと一緒に居たいと思うことが普通なのです。しかし、殺してくれだの、私が殺しただの、そんなもんが純情だなんて、あったものじゃありません。もちろん、人間の愛情というものは、もっともっと複雑なのですがね」
すると再び後輩の榊巡査から電話が入った。
先ほどと違って、盾ノ内刑事は席を外さずに、あえて女の目の前で、着席したまま通話を開始したのだった。
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