第5話「脳破壊」
手を伸ばしてインターフォンを押そうと手が触れる寸前だった。
向こうから何やら話し声が聞こえて、あと触れる数ミリの所で止まってしまう。
「なぁ…腹減ったからなんか飯作ってくれない?」
聞こえてきたのは、一番信頼出来て、誰よりも頼りがいがあって、落ち込んでいる時に励ましてくれる、俺の親友の声。そして……
「……いやよ、あなたに料理なんて。それに…そんな元気もうないわ。あなた、激しすぎるんだもの」
どこか気だるけに、すこし責めるような口調で話す、でもそこに不快さが感じられない、品を感じさせる美声を持った世界で一番愛している女の子の声だった。
「はいはい、じゃあどっか近くで飯食べに行こう。それに、ゴムも丁度切れた事だし、まぁナマでヤらしてくれるってなら話は別だけどね?」
「……あれだけシたのにまだ足りないの?あなた、まるで飢えた獣だわ…」
事態を把握するのに数秒かかり、タイミングを見失って、インターフォンを押そうと伸ばした腕を、そのままだらりと下げてしまう。
そして、自身の突然の閃きに近い勘が当たった事を知る。
このまま逃げてなかったことにしてしまおうか。
一瞬心が挫けそうになりそんな事を考えてしまう。事前にこうなる事も何故か確信に近い形で知っていたのに、何があっても現実から目をそらさないって決めていたのに。
情けない自分に流石に苦笑いを浮かべる。
衣擦れが聞こえ、着替えているのだとわかる音がする。外に出る準備をしているのだろう。
このまま待って、相手がドアを開けるのを待つか。このまま逃げるか。
でも、さっきまでわからなかったが、今はそのドアに鍵が掛かっていないと自分の勘が告げている。
だから
ドアノブに手を掛けて、回す。
ガチャっとした音と一緒にドアが開いて、目の前には硬直している半裸の男女。すっかり慣れた手つきで着替えを済まそうとしているそんな姿に、
それだけで、もうとっくに花音との関係が瓦解していたんだと悟ってしまった。
「………流石に鍵を掛けないのは不用心なんじゃない?」
口を開いて最初に聞いたのがコレだった。もっと他に言うべき事があるのに。
「…………………そうしたほうがリスクあって逆に興奮すんだよ」
ワンテンポ遅れて竜也が着かけていた服を着用しながら返事を返す。
最初こそ動揺していたようだが、今は余裕の表情を保ったままこちらを見返してきている。
花音は未だに少しうろたえて居る様子だが。
「花音も……いつまでもそんなカッコしてないで着替えなよ」
できるだけ無機質なトーンで花音に話す。
「………ええ…」
花音が止めていた着替えを再開する。
こんな形で下着なんて見たくなかったが。
「…………はぁ、バレちまったかぁ」
観念したように、ヤレヤレといった様子で、面倒くさそうに口を開く。
真顔だ。
真顔なのだ。いつも笑顔で周りを元気づけるムードメーカーである竜也が、いまは何の感情も読み取らせてはくれないほどに無感情の表情だった。
目の前にいるのは、春尾竜也その男なのだろうか?そんな疑問さえ抱かせるほど、今まで俺に接してきた竜也の態度と明らかに違う。
「で、いつからなの?」
さっきから既に泣き崩れそうな気分だが、そんな表情や態度はおくびにも出さずに無感情を装い質問する。
結末なんてもう予想している。こんなのタダの儀式だ。
「いつからって、言われてもなぁ……てか、随分と冷静なんだな」
「質問に答えろ」
誤魔化そうとしている竜也に催促を促す。しかし、そんな質問に答えたのは。
「中学二年の時よ」
そんな俺の質問に答えたのは竜也ではなく、花音だった。
てか、え?ちょ、ちょっとまって?てことは……てことはだ。花音と俺が付き合っていたのは一年前、高校入学前だから、、、え?
内心はぐちゃぐちゃだったが、精一杯感情を切り離してポーカーフェイスを続ける。
「てことは俺が浮気相手だったわけだ」
「それは違うわ、彼とはただの体だけの関係だもの。付き合ってないわ」
「好きでもない相手に身体を許すの?」
「ええ、気に入った相手ならね。わたし、あなたが思っている程清楚じゃないの」
さっきまで動揺を隠しきれていなかったっていうのに今は平静を装って表情から感情が読み取れない。
「俺が相手するだけじゃダメだったの?」
「何度もあたし、誘っていたのよ?でもあなた、全然手を出してこないじゃない。それどころか、サインを出しても全然気付かない、そこがあなたの可愛い所だけど、ダメね。…優しすぎるし、鈍感すぎるわ……」
「別に、花音に魅力がなかった訳じゃないよ。」
「知っているわ。だってあたしの身体、男の性欲をそそらせるには十分すぎる程の容姿を持っていると自負しているもの。けど、だからこそ疑問だわ。どうしてあなたは私に手を出してこなかったの?」
確かに、花音は学校の中でも5本の指に入るほどの絶世の美女だ。腰近くまで届く細く艶やかな黒髪ロングに、ぱっちりしていて、吸い寄せられる明るい茶色の瞳。雪のように白い肌。顔立ちは整っていて、庇護欲を誘わせる華奢な体でも出るところはしっかり出ている。
そんな彼女に正直何度手を出しそうになったかわからない。据え膳食わぬは何とやらとも聞く
ただ、
「ただ、俺はそういう事をするのはもっと思い出を積み重ねてからと思ってたんだ。たとえ幼馴染でも、俺たちは中学の頃、接点があんまりなくて一緒に遊んでいなかっただろ?」
そう、思い出を積み重ねて。お互いの好きが重なった瞬間にするものだと、俺は思っていた。
「そう……意外とロマンティックなのね。でも、あたしはプラトニックな恋愛がしたいんじゃないわ。」
「…………じゃあ……なんで、俺と今の今まで付き合ったままで別れようとしなかったんだ?」
「そうね……強いて言うならお礼、かしら…」
「……お礼?」
思わず反芻してしまう。隣に立っている男は何も言わずこちらをジッとみているままだ。
「ええ、あたし幼い頃にあなたに救われたのよ。あなた、今でこそおとなしいけれど、昔はもっと元気いっぱいで、落ち込んでいた内気な私に話しかけ続けてくれたじゃない?私、それに救われてたのよ。だから、そのお礼。」
ああ………
「その、お礼で俺の告白を受けてくれたってこと?」
「そう、でもあなたが好きなのは本当よ?だってあなた優しいんだもの。……ただ、さっきも言ったけど本当は私はあなたが思っているような清楚な女の子じゃないのよ?だから、優しいだけじゃ足りないの。わたし、変態だから。」
もう、いい………
「だから、あなたに気づかれないように彼とエッチしたわ。あなたと遊園地に行った途中の休憩時間であなたが私を待っている間だったり、映画館の待ち時間だったり、あなたとのデート後や、あなたの家でご飯を作りに行く前にだってしたわ。バレてしまわないかと思って、とても……とても興奮したのよ?…」
恍惚とした表情で、妖艶な笑みを浮かべる花音を見て、自分がいままで築き上げてきたと思ってきた信頼関係は最初っからなかったのだと気づいた。
俺はピエロだったのだ弄ばれた男
「そうか」
頭が熱い、なにも考えたくない。心はとっくに壊れかけている。胸が苦しい。息の仕方さえ忘れるほど意識が朦朧としているような錯覚に陥る。でも、これだけはハッキリと言わないといけない。
「花音」
「なーに?」
「別れよう」
もう、分かりきっている事だとしても。自分たちの関係はもう終わっているのだと、これだけはハッキリ自分の口から言わないといけないと思った。
「………………………ええ、わかったわ…」
間をおいて、興ざめといった様子で、感情が載っていない抑揚の無い声で花音は答えた。
「残念だわ、もっと取り乱してくれると思ったのに」
つまんない、と態度でそう言っている気がした。
「あなたは知らないだろうけど、わたし、結構ヒント与えてたのよ?乱れた服を直さないでそのまま会ってみたり、暗い道で竜也の彼女という体で髪型を変えてあなたの横を素通りしてみたり、下着を変えないでそのまま会ってみたり、でも…それでもあなたは気づかなかったじゃない」
そして、花音は恐ろしく底冷えさせる声で次の言葉を吐く。
--------あなたってほんと--------
俺は次のセリフを一生のトラウマとして残り続けるだろう。
「鈍感」
その瞬間、限界だった俺の脳はこの時をもって破壊された。
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