ラジオの時間
――九六九年 実季二節
本日の『ヤドリギ』は、酷いノイズを奏でるラジオを手に、あっちへうろうろ、こっちへうろうろしていた。
それを見つけてしまった常連のデリック・ギルモアは、
「ついに『ヤドリギ』がおかしくなっちまった……」
と、わざとらしく嘆いたものであった。
が、もちろん『ヤドリギ』はいたって正気であり、その言葉には表情と「そんなことあるか」という声音と、ついでにラジオを支えていない蔦とで遺憾の意を表明した。主にぐねぐねと複雑な挙動を描くことで。それがどれだけデリックに伝わったのかは定かではないが。
「ラジオが聞こえるポイントを探している」
「こんな地下でラジオが届くのか? 上層ならともかく」
家を持たない者たちが集った『獣のはらわた』の上層においては、ラジオは貴重な娯楽であり情報収集元のひとつだ。もちろん『はらわた』は首都の地下に位置する地下迷宮であり、電波もろくに通らない。故に聞こえは地上よりずっと悪いが、それでも時々流れてくる日々の出来事や流行の音楽は、娯楽に乏しい彼らの耳を楽しませるには十分といえた。
しかし『ヤドリギ』のねぐらは、人が集う上層より少しばかり離れた場所――人が立ち入らない、深い区域であることがほとんどだ。別段『ヤドリギ』は上層の民から疎まれてそんな場所に追いやられているわけではない。単に拠点をいくつか持っていた方が、「もしもの時」に便利だという理由で『ヤドリギ』自身がそうしているだけなのだが、とにかく上層より遥かに地上から離れた場所であり、故にラジオの電波も上層以上に届きづらい場所であることだけは確かだった。
『ヤドリギ』はゆっくりとラジオの向きを動かしたり、少しだけ移動したりを繰り返しながら、デリックのもっともともいえる問いに答える。
「もしかすると、どこかから偶然電波が拾えないかと思ってな。岩肌に含まれる鉱物の中を伝道しないか、とか」
「そんな都合のいいこと、そうそうあるわけないでしょ」
「まあな。単に案内の礼として魄霧充填式の最新式ラジオを貰ったから、使えないか試しているだけだ。ここで使えなかったら上層に寄付するだけの話だ」
『ヤドリギ』とてそうそう夢想家というわけではない。現実は現実として心得ているつもりだ。ただ、逆に長く『はらわた』に暮らしているだけに、『はらわた』が地上とは全く違う法則によって成り立っていることもわかっている。偶然ラジオの電波を拾ってしまうことも、ないわけではない……、と『ヤドリギ』に思わせてしまう程度には『はらわた』は人知を超えた場所なのである。
「で、今日は何か用事でもあるのか?」
「いや、前回バターロール茸の見分け方を教えてもらった報酬と、あとちょっとした現況報告をしようと思ってね」
デリックの手には普段通りの「報酬」であり新聞が握られていて、『ヤドリギ』もほっとする。普段通りというのはいいことだ。
ちなみに、バターロール茸とは、その名の通りバターロールブレッドの形をした茸である。何せ『ヤドリギ』は植物の性質はわかるが名称は知らないので、目にした瞬間にとりあえず判別のための名前をつける。ことごとく「見た目どおり」すぎるのが『ヤドリギ』の命名規則の難点であるが、わかりやすさは大事であると思っている。
なお、岩肌にふんわりとおいしそうに生えるバターロール茸、人間にとっては毒性の強い茸であり、食した場合激しい腹痛と下痢に見舞われる。しかし、中にはすっかり黴が生えたような色合いの『ヤドリギ』命名「黴バターロール茸」があり、これは見目は少々悪いが、切ってバターと塩コショウで炒めると美味しい。実際には姿が似ているだけの別種らしい、というのが『ヤドリギ』の能力から明らかになった事実なのだが、とりあえず、見た目だけで物事を判断してはいけない、というよい一例であった。
「で、現況報告って?」
「あー、お前の蔦、持って帰って色々試してみたけど、ほんと何しても不味かった。カレーも通用しなかったエグさ」
「万能調味料も歯が立たなかったか……。やはり非常食には向かないということだな。残念だ」
「まあ、お前のことだから『自分以外の誰かが飢えそうなとき』を想定してるんだろうけど、『俺の蔦を食べ給え』って言われたら誰でも絶対に躊躇うぞ」
「それでも何も食わないよりはマシだろうから」
まあなあ、とデリックも呆れ顔を見せる。なお『ヤドリギ』の蔦は己の話をされているのだとわかっているとみえ、ぺちぺちと抗議がましくデリックと『ヤドリギ』を交互に叩いている。もしものときのことを考えるのは大切なことであるが、蔦にとってはちょっと聞き捨てならなかったらしい。お前は放っておいても勝手に生えるのだからいいだろう、と『ヤドリギ』が思っていたら、頬を強く抓られた。痛かった。
その様子を見ていたデリックがけらけらと愉快そうに笑う。
「なーに一人漫才してんだよ」
「仕方ないだろう、これは俺の意志だけでは制御しきれないんだ」
「不思議だよなあ、同じとこから生えてんのに、違うこと考えてんだもんな」
デリックがじろじろと無遠慮に蔦を眺めていたものだから、蔦は恥ずかしがるように『ヤドリギ』の背中の方や、外套の下に隠れてしまった。そういうところで今更恥じらいを演出しなくてもよいのだが。
唯一ラジオを抱えている蔦だけは静かなものだった。いや、この蔦も他の蔦同様に隠れたがっているようなのだが、『ヤドリギ』が己の意志をもって無理やりラジオを持たせている。折角最新型のラジオをもらったのだ、こんなどうでもいいやり取りで壊したら勿体無い。
と、その時だった。
『……、と、…………の、ニュース……』
不意に、ラジオからノイズだけではない、人の声と判別できるものが聞こえてきた。『ヤドリギ』は慌ててその位置にラジオを置き、向きやチューニングを細かく調整する。すると、ノイズ交じりではあるが、先ほどよりいくらか鮮明な声が聞こえてきた。
『……年に発生した、アシュベリー家放火殺人事件の続報です。死者十人、負傷者十五人という近年まれに見る大規模な事件で……、次期王配ハロルド・マスデヴァリア公爵子息も被害者に含まれており……首都警察では、重要参考人としてランドルフ・ケネット氏の捜索を続けており……』
デリックもまた、地面に膝をついて『ヤドリギ』の横でラジオに耳をそばだてながら、普段は細めている目を丸くしていた。
「ほんとに聞こえるもんなんだな」
「俺もびっくりしている。それにしても」
一旦言葉を切って、ラジオに左の耳を向ける。『ヤドリギ』は右耳が利かないから、そうしなければはっきりと声を聞き取ることが難しいのだ。
『……警察は、参考人の目撃情報の提供を呼びかけており、有力な情報には報奨金……、を用意して……とのこと……』
「随分古いニュースをやっているな。幽霊電波を拾ってないだろうな?」
この世の全ては霧から生まれ、霧に還っていく。人が生み出したものとて例外ではない。霧を伝わせて人に伝える手段であるラジオの音声も、霧に一時だけ焼きつき、その後霧に溶けて消えていくもの――なのだが、例外的に、霧に還ることなく焼きついたままになってしまう現象が存在する。そういうものが主に「亡霊」や「幽霊」と呼ばれるのだ、と『ヤドリギ』は聞いたことがある。
ラジオの音声にも、時折そのような「幽霊電波」となって漂うものがあるらしい、と聞いていたが、どうやらその考えは杞憂だったようで、デリックが「いやいや」と笑って否定する。
「間違いなく『今』のニュースだよ。事件自体は七年前のもんだけど、未だ容疑者の足取りが掴めずに、最近になってまた捜査への協力を呼びかけてるんだとさ」
「七年も経てば記憶も証拠も薄れてゆくものだろうに」
時間を経れば経るほど、捜査は困難なものになる。そのくらいは門外漢の『ヤドリギ』も心得ているだけに、少しばかり呆れた思いになる。また、その言葉にはデリックも同意だったらしく、軽く肩を竦めて言った。
「まあ、どこぞの偉い作家先生曰く、首都警察は『無能警察』らしいからなあ」
「なかなか辛辣な評価だな」
ただし『ヤドリギ』もそれ以上首都警察を擁護する気にはなれなかったので、それだけの評価に留めた。もし警察がもう少し有能ならば、不当な扱いを受けて『はらわた』に逃げ込まざるを得ない人々も少しは減っていいはずであったから。無能、と言い切らないまでも、もう少しどうにかなるはずではないか、という思いは常に胸の中にある。
しかし、人の世のしがらみは『獣のはらわた』の奥底で暮らす『ヤドリギ』の管轄外だ。やるせない思いだけを抱えて、ぼんやりと遠い日に起こったという事件のあらましと、重要参考人――つまりは「容疑者」とやらの外見特徴を流し聞いていると、不意に、デリックがラジオに手を伸ばした。
「こんな辛気臭いニュースじゃなくて、もっと面白い番組やってないの?」
と、無造作にラジオを弄り始める。
折角一度は聞き取れた声も、すっかりノイズの中に沈んでしまい、再び言葉にならない雑音だけが響き始める。ニュースの方が、地上のことをリアルタイムに知れて嬉しいのだが、と『ヤドリギ』は仏頂面をしながらも目に見えないか細い電波を拾うのに挑戦するデリックを横目に眺める。
すると、不意に……、奇妙な音が『ヤドリギ』の耳を掠めた。
『……て……』
背中にぞくりと悪寒が走る。今、ノイズの中から泡のように浮かび上がってきた音は……、女の声ではなかったか?
『たす……、け、て……』
途切れ途切れに聞こえてくる、それは、助けを求める声。今にもノイズに消え入りそうな声は、それでも確かに助けを求めて、ラジオ越しにこちらに語りかけているのだ。思わず耳をそばだててしまう『ヤドリギ』に向かって、ラジオの声は、告げる。
『あ、もう……、わたし、……ぁ』
必死に何かを伝えようとする声は、やがて、悲痛な悲鳴となってノイズの中に飲まれていった。液体の音、何かが引き裂かれる音、硬いものが折れる音、柔らかなものが潰れる音。何かを……、咀嚼するような、音。『ヤドリギ』は凍りついたようにその場から動けずにいる。
やがて、激しいノイズこそそのままだったが、その中に聞こえる不穏な音は途絶えた。けれど、それで終わりではないという確信が『ヤドリギ』にはあった。その証拠に、ぐちゃり、という嫌な音と共に、一度は悲鳴を上げて消えたはずの女の声が、聞こえてくる。
『……せめ、て……あなた、だけ、は……』
ひっ、と。女が息を呑むのと同時に『ヤドリギ』も息を呑んでしまう。一体何が、と思ったその瞬間。
『あなたの、うしろに――!』
背中に氷を入れられたような感覚に陥った『ヤドリギ』は、振り向きざまに大きく一歩下がった。――が、何もいない。ただただ、いつもの、うっすらと光る苔に覆われた岩肌があるだけだ。
と、その時、のんびりとしたデリックの声が洞穴の中に響いた。
「ちなみにこれ、最近大人気のホラーラジオドラマ『うしろのメアリーさん』だけど」
「それを! 先に! 言ってくれ!」
デリックのあくまで冷静な指摘に、思わず『ヤドリギ』は声を荒げずにはいられなかった。それから、デリックが見ているとわかってはいても、頭を抱えてその場に蹲る。
「うおー! あー! 怖かったあああああー!」
「『ヤドリギ』、こういうのがダメなんだな……。そこまで取り乱してるの初めて見た」
明らかな呆れを隠しもしないデリックに対し、ラジオから出来る限り離れたままの『ヤドリギ』はぶんぶんと首を横に振る。
「ダメなものはダメなんだ! ノー幽霊! ノー霊障!」
幽霊、というものが発生する理論は確立されている。幽霊電波と同じく、死者の強い思念が霧に焼きつき、時には霊障と呼ばれる物理現象をも伴うことがある。……と、頭ではわかっていても、『ヤドリギ』にとってそれはどうしても不気味で不可解なものであり、そう簡単に克服できるものではないのであった。自分の方がよっぽど不気味で不可解な生物であることは、この際全力で棚に上げている。
そろそろと、怯えながらもラジオの方に這い戻ってくる『ヤドリギ』を、まるで珍獣を見るかのような目つきで見つめていたデリックが、不思議そうに問いかけてくる。
「昔、幽霊にでも遭ったのか? 流石に尋常じゃないでしょその反応」
普段の『ヤドリギ』ならば、自分がどれだけ酷い目に遭ったところで涼しい顔をしているのだから、デリックの疑問も当然といえよう。ただ、これを言って果たして理解してもらえるだろうか、きっと理解してもらえないだろうな、と思いながら、ラジオのスイッチを切りつつ静かに告げる。
「猫の幽霊に甘噛みされた」
「は?」
「自分では触れないのに、何故か膝に乗っかられて指を甘噛みされ続けている感触だけがある。あれ以来幽霊はダメだ」
「何その特に害のない心霊現象」
害がなくても怖いものは怖いのである。
『ヤドリギ』はただただ重々しく首を横に振ったのであった。
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