怪盗と野良猫
――九六九年 花季一節
「あんたって、ほんっとーに身なりに気を遣わないのね」
ある日、唐突に彼女がいつになく不機嫌そうな面構えで言った。次の「仕事」に向けた地図を作っている最中の出来事だった。
確かに『ヤドリギ』の格好と顔は、地上で目にしたらまず関わり合いになりたくない類といえよう。『ヤドリギ』もその自覚はある。薄汚れた外套のフードを目深に被り、その下の顔は右半分が酷く爛れていて、そうでない場所も伸ばしっぱなしの髪と髭とで覆われているのだから。
「傷と右腕は仕方ないとしても、特にその髪と髭! どうにかならないの? むさくるしいったらないわ」
「不可抗力だ。左手しか使えないんだ、鋏や剃刀を使うのは難しい」
「やたらと数だけ多い蔦は飾りなの?」
「残念ながら、自分の意志でまともに動かせない以上、飾りと言って差し支えない」
『ヤドリギ』自身、右腕にあたる蔦を上手く操れればどれだけ便利だろう、と常々思っているのだが、己の意志で動きに志向性を持たせることはできても、手指のように上手く扱うことは難しい。しかも、元々が右利きだったこともあり、人の形を残した左手はどうしたって不器用なのだ。
故に、かろうじて「人らしく生活できる」範囲のことしか身についていないし、それ以上のことを身につける気もそこまでない。『獣のはらわた』の中でどれだけ身だしなみを意識したところで、それを観測する人間がほとんどいないのだから、二の次になるのは当然といえた。
しかし、彼女はどうもその『ヤドリギ』の態度がお気に召さなかったらしい。あからさまに唇を尖らせてみせる。「怪盗」を自称する彼女は、『はらわた』の中では随分地味な格好をしているとはいえ、さっぱりとした、清潔感のある美貌と姿を常に維持している。
とはいえ、これでも『ヤドリギ』とて清潔さに関しては人並み以上に意識しているつもりだ。不潔にしていて病を拾ってもいいことはないと思い知っているからだ。
以前、無精のせいもあって流行病を拾ってしまったときは、それはもうとことん苦しむ羽目になった。何せ植物の毒が効かないということは、植物から作られる薬も効かないということであり、なんとか伝手を使って地上から新型の薬を貰ってきてもらってやっと楽になったという次第である。
故に、全身を清潔に保つためにも、日々水場で湯を沸かし、それで体を清めるようにしている。自由に火を起こせるというのは、化物になってから数少ない「よかった」と思える点であると『ヤドリギ』は思っている。
ただ、それはそれとして、見目のむさくるしさに関しては全く反論ができない。
黙り込むしかない『ヤドリギ』の前で、彼女はいつもより妙に大きな鞄から、鋏やら剃刀やら一目では用途のわからない道具やらを取り出してみせる。
普段の彼女らしからぬ持ち物に、『ヤドリギ』はつい問いかけてしまった。
「もしかして、今日は最初からそのつもりで来たのか?」
その問いに、彼女はにっといたずらっぽく笑うだけで答えに代えた。
いつものことながら、『ヤドリギ』は彼女には敵わないし、それでいいのだろう、とも思う。彼女のペースに巻き込まれるのは、悪い気分ではなかったから。
「……それにしても、妙に本格的だな」
普段、伸びすぎて邪魔になった前髪や髭をナイフで適当に切り落としていた『ヤドリギ』にとって、並べられたそれらは極端に言ってしまえば「目新しい」ものであった。それに対し、彼女は当然のように言ってのける。
「変装には見た目だけじゃなくて技術だって必要なのよ。床屋の真似事だってできて当然ってこと」
「なるほど」
怪盗というのもなかなか大変な仕事らしい、という点で納得することにした。
『ヤドリギ』は未だに彼女のことをよく知らない。ただ、宝石専門の怪盗としての腕前は確かなものである、ということだけははっきりしていた。老若男女ありとあらゆる姿に変装してターゲットに近づき、奪い取った後には煙のように姿を消す、正体不明の怪盗。それが「怪盗カトレア」と呼ばれる彼女の在り方であった。
もちろん『ヤドリギ』は彼女の活躍を間近で見ることはない。あくまで『ヤドリギ』の仕事は、彼女の仕事に使う経路のひとつとしての『獣のはらわた』の案内と護衛ということで話はついている。
犯罪に加担しているという罪悪感が無いわけではなかったが、案内の報酬として彼女が持ち込んでくる新聞の一面に躍る彼女の活躍は、なかなか痛快なものだと思う。それは、彼女の目的があくまで「狙った宝石を奪う」ことであり、それ以外の誰に危害を加えるものでない、という彼女の理念と矜持によるものであろう、と『ヤドリギ』は思っている。善悪はともかくとして、揺るがぬ矜持を感じさせるものは『ヤドリギ』の好むところである。
「というわけで、上脱いで。そんなもこもこしてたらやりづらいったらないわ」
「しかし」
「脱げ」
「はい」
結局、『ヤドリギ』が彼女に逆らえるはずがなかった。
普段は決して人前では外さないようにしている――別に深い意味はなく、単純に「見苦しいから」という理由だが――フードを除けて、外套を脱いで畳み、ついでにその下に着ていた防寒用の服も脱いでおいて、袖なしのシャツのみの姿になる。この場は火を焚いているからそこまで寒くはない。
よく考えてみると、ここまで無防備に人前に姿を晒すことは近頃はほとんどなかったような気がする。顔を含めた右半身は完全に火傷の痕に覆われていて、右目と右耳はすっかり潰れて使い物にならない。左の腕にもところどころに引きつるような傷痕が残っているし、右腕に至っては異形の蔦と化している。もう、かつての形を思い出すことも難しい。
「あんた、それでよくぴんぴんしてるわね。致命傷でしょ、それ」
そんな『ヤドリギ』の感傷など知ったことではない、とばかりに彼女は『ヤドリギ』の肩に用意してきたらしい布をかぶせる。『ヤドリギ』は前にも似たようなことを言われた気がすると思いながらも、自分なりの答えを言葉にする。
「普通の人間なら死んでいると思う。これが俺を生かしているようなものだ」
これ。右肩から生えているように見える蔦。実際には『ヤドリギ』の体内にも侵食している、名もわからぬ寄生植物。寄生、というよりも共生、という方が近いのかもしれない。『ヤドリギ』はこの植物に生かされており、この植物も『ヤドリギ』という宿主なしには生きられない。そういう関係性。
布をかけられて隠された右の蔦が、落ち着かないのかごそごそと動いている。『ヤドリギ』の背後に回った彼女が、呆れた声で言う。
「それ、大人しくさせられない?」
「努力はする」
右腕の蔦は意識さえしていればある程度『ヤドリギ』のいうことを聞いてくれるが、少しでも意識を外すと勝手に動き出してしまう。主に水場を探す性質と『ヤドリギ』の身を守ろうとする性質があることはわかっているが、それ以外の法則はここ数年付き合ってきた今でもよくわかっていない。
今は動かないでくれ、と蔦に言い聞かせてはおくが、果たしてその集中力もいつまで続くやら。せめて彼女の邪魔をしないで欲しいと願っていると、彼女の声が後ろから聞こえてきた。
「どういう髪型がいい、とかある?」
「あなたに任せる。俺は自分の感覚に自信がない」
「確かにあんた、その手の趣味は悪そうね」
自分で認めていることでも、他人から言われると少しはむっとするものなのだな、と『ヤドリギ』は再確認したが、しかし事実は事実なので唇をへの字にするだけで留めた。どうせ彼女には見えていなかっただろうが。
近づけられる鋏の気配。刃物の気配。けれど、警戒心はまるで起きなかった。その程度には『ヤドリギ』も彼女を信用している。お互いに「仕事相手」がいなくなったら困るであろう、という程度の乾いた理由ではあったが。
「後ろ、随分伸ばしてたのね」
「そういえば普段は見せてなかったな。言ったとおり、整えるのも億劫だからそのままにしていた」
「億劫にしたって、ここまで長いと洗う方が面倒くさくない?」
「言われてみれば、そうだな……」
「あんたってほんと間が抜けてるわよね」
呆れ声と共に彼女は躊躇いなく『ヤドリギ』の髪に鋏を入れていく。鋏の音が響くたびに長い房が地面に落ちる。何度目かの鋏を入れられたところで、比喩でなく頭が軽くなるのを実感し、髪というのは案外重さのあるものだったのだな、と『ヤドリギ』は変なところで感心する。
大きく鋏を入れられた後は、櫛を入れながら細かく毛先を整える音が聞こえてくる。この頃になると『ヤドリギ』も眠たくなってきてつい右腕から意識を外してしまい、「蔦が邪魔」と一喝されて慌てて蠢く蔦を引っ込めるという状態になっていた。
そんな不毛なやり取りを何度か繰り返したところで、彼女が『ヤドリギ』の顔を覗き込んできた。眼鏡越しのぱっちりとした目で『ヤドリギ』を遠慮なく見つめた後に、小さく頷いて言った。
「前髪もばっさり行っちゃっていいでしょ。どうせフードで隠すんだし」
と、『ヤドリギ』の答えも待たずに鋏を入れてしまう。実際のところ彼女の言うとおりだったので『ヤドリギ』は反論せずに彼女に任せる。櫛といくつかの鋏で丁寧に前髪を切り落としていく彼女の手つきは、目の前で見ると慣れたものであるとわかる。「床屋の真似事もできて当然」という言葉は誇張でも何でもないらしい。一体どこでそんな技術を身につけたのだろう、などと考えているうちに、彼女は一通りの作業を完了していた。
「うん、まあ、こんなものかしら。気に食わなかったら伸ばしてから言って。切っちゃったものはどうしようもないし」
「確かにそうなのだが理不尽に聞こえるのは何故だろう」
「気のせいよ。次はその死ぬほど似合ってない髭を落とすわよ」
そんなに似合っていないのだろうか。『ヤドリギ』は疑問に思ったが、それを言葉にさせてくれるほど彼女はのんびりしていなかった。てきぱきと『ヤドリギ』の荷物を背もたれ代わりにして『ヤドリギ』の体を横たえさせると、剃るより前に伸びきってしまっている髭を切り落としはじめる。
その手つきを見るともなしに眺めながら、昔のことを思い出す。昔は誰かの手を借りることなく毎日鏡の前で身だしなみを整えていた、はずだ。決まりきった朝の手続きをしていた頃が、自分にもあったはずなのだ。……今となっては、もう、それも遠い話になってしまったけれど。
クリームを塗られて、輪郭に沿って丁寧に剃刀を滑らせる感覚に少しばかり背筋がぞくりとする。頬から顎にかけても傷痕が及んでいるからか、少しばかり彼女も難儀しているようだったが、それでも思ったよりもずっと早く――それこそ、かつての自分がそうしていたよりもよっぽど手早く作業は済んだようだった。
柔らかな布を投げ渡されたので、頬から顎にかけてを拭って身を起こす。首周りや口の周囲がすうすうすることに違和感を覚えてしまうのは、それだけ長い間、適当に伸ばしたまま放置していたということに他ならなかった。
特に意味はないとわかっていても何とはなしに名残惜しくて、いやに短くなってしまった前髪の毛先をいじっていると、彼女が今度は鏡を渡してくる。
「この方が断然いいじゃない。地顔は悪くないんだから、普段から気にしなさいよ」
『ヤドリギ』の肩にかけていた布を外してはたき、出した道具を片付け始める彼女を横目に、鏡を覗き込んでみる。
焚き火の灯り越し故に陰影が濃く判別しづらいところもあるが、比較的傷の少ない左側の前髪は短く、右側の前髪は、ほとんど原型を留めていない頬や潰れた目を覆うように左側より少しだけ長かった。その非対称さが別段違和感なくまとまっている辺り、それだけ彼女の腕とセンスがよい、ということなのだろう。
そして、つい、顎の辺りに手を当てずにはいられない。自分の顔は果たしてこんな形をしていただろうか、と不思議に思う。彼女の言う「地顔は悪くない」という評価をどう捉えていいのかわからないまま、鏡の中の自分を見つめてみる。少しつり上がり気味の見開かれた左目が、不思議そうに自分を見つめ返していた。
「伸びてきたら声かけて。気が向いたら整えてあげるわよ」
ぱたん、と。鞄の閉じる音で我に返る。彼女に鏡を返しながら、『ヤドリギ』は彼女が次の句を紡ぐ前に慌てて声をかける。
「その、何か礼をさせてもらえないだろうか」
「別にいらないわよ」
「しかし、これだけあなたの手を借りておいて、何も返礼をしないのは心苦しい」
すると、彼女はいたって涼やかな表情で、これだけを言った。
「その辺の野良猫に勝手に餌をやって、お礼が欲しいと思う? それと同じよ」
「……なるほど?」
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