灯花祭

 ――九六九年 熱季二節



「祭りの日くらい外に出てみたら? 濃霧に加えてあの人出なんだから、あんたに目を留める奴もいないでしょ。どう?」

 ――という彼女からの誘いを『ヤドリギ』は承諾した。というより、黙っていたら勝手に承諾とみなされた。いつものことであった。

 灯花祭。

 それは一年に一度の、女王国最大の祭りである。女王ハルモニアを称え、国の長き繁栄を祈る儀式。戦時はごく静かな祭りであったと記憶しているが、終戦を迎えて五年の今、『ヤドリギ』が知らない景色が目の前に広がっていた。

 目抜き通りである金剛背骨通りアダマスパイン・ストリートには無数の屋台が立ち並び、様々な花の形をした霧払いのランタンを持つ人々が、広い道を埋め尽くしている。

「ほら、ぼんやりしてないで。邪魔になるわよ」

「あ、ああ」

『ヤドリギ』は右目と右耳が利かないため、慣れない人ごみを上手く歩くのは難しい。すれ違う人と肩をぶつけては、軽く頭を下げて謝罪の言葉を述べる羽目になる。そんな『ヤドリギ』に業を煮やしたのか、彼女は『ヤドリギ』の左の手を取る。白くしなやかな指先が、『ヤドリギ』のごつごつとした手に絡む。思ったより、温かな手だった。

「世話が焼けるわね」

「連れ出したのはあなただろう」

 彼女は応えなかった。ただ、『ヤドリギ』の根城である『獣のはらわた』よりも遥かに明るい霧の中、眼鏡越しに目を細め、化粧っ気のない顔でいたずらっぽく笑うばかり。

 彼女の本名や素性を、『ヤドリギ』は知らない。はっきりしているのは、世間一般に『怪盗カトレア』と呼ばれる、希少価値の高い宝石専門の泥棒であるということ、だけ。

 彼女は盗みの仕事をする際の逃走経路の一つとして、首都の地下に古くから存在する迷宮『獣のはらわた』を選んだ。そして、紆余曲折を経て、彼女の案内役として任命されたのが『はらわた』の中を点々としながら暮らしていた『ヤドリギ』であった。その程度の関係性。

 犯罪の片棒を担ぎたいわけではなかったが、『はらわた』の外を知ることが難しい『ヤドリギ』にとって、案内や護衛と引き換えに彼女が持ち込んでくれる新聞に書物は、極めてありがたいものであった。時に隻腕で難儀している『ヤドリギ』の世話を焼いてくれるあたり、単に世話好きなだけかもしれない。とはいえ、彼女のそれは好意でも何でもなく「気が向いたら野良猫の世話をする」というべき態度であり、そこが『ヤドリギ』としても気楽であった。

「それにしても、本当に、賑やかになった」

「でしょ。あんた、終戦以前から地下にいたらしいじゃない」

「ああ。色々、変わったんだな。知らない風景も多い」

 霧払いの灯に彩られた景色をぎこちなく見渡す。かつては自分もここにいたはずだが、もはや遥かに遠い記憶だ。親友たちと密かに祭りに繰り出した日のことを微かな胸の痛みと共に思い出しながら、今は、名前も知らない女と共に、おぼつかない足取りで目抜き通りを歩いている。

「缶詰だけ食べてるのも飽きたでしょ。今日は奢るから、好きなもの食べなさいよ」

「随分気前がいいな。盗ったものを換金でもしたのか?」

「まさか」

 もちろん『ヤドリギ』も、彼女がそんなことをするわけがないということは知っている。彼女が宝石を集めるのは「全ての宝石はアタシのもの」であるからで、ゆえに「宝石以外を盗む」ことも「人に必要以上の危害を加える」こともない。『ヤドリギ』は盗みを許容はしていないが、そのような彼女の姿勢は好ましく思っている。

 ただ、その一方で。

「『金づる』のお財布から、ちょっとね?」

 にっといたずらっぽく笑う彼女には、露骨に眉を顰めてしまうのであった。

 彼女曰くの『金づる』とは、特定の人物を指す。彼女の話を聞く限りかの『金づる』氏は、幾度と無く彼女の色香に惑わされ、彼女に貢いでは手酷く捨てられることを繰り返しているらしい。繰り返す、と言っても、何も彼女が変装――怪盗たる彼女の最大の特技だ――を駆使して『金づる』氏を篭絡しているわけではない。彼女自身は「何もしていない」のに、勝手に『金づる』氏が引っかかるのだ、という。

「同じ顔でも、同じ名前を使っても、向こうが勝手に忘れるんじゃこっちは楽なものよね」

「その……、彼は、大丈夫なのか?」

 主に『金づる』氏の財布と正気が不安になる『ヤドリギ』だったが、彼女はどこ吹く風といった様子で笑ってみせるのだ。

「さあ、どうかしらね。知ったことじゃないわ」

 彼女にはそういう、渇いたところがある。『ヤドリギ』に対してもそうだ。おそらく、利用価値がないとわかれば彼女は自分を簡単に切り捨てるだろう。『ヤドリギ』個人としては全く構わないが、その矛先が他人に向く分には、無性に不安になるのであった。

「何か食べるにも落ち着いたところがいいわよね。持って食べ歩くには不便でしょうし」

 彼女は、握った手の一方で、垂れ下がったままの『ヤドリギ』の右腕に目をやる。左手と違い、そちらには握る手のひらもない。

「気を遣わせてすまない」

「いいのよ、勝手にやってるだけだし」

 そんな言葉を交わしながら、彼女は一旦手を離し、立ち並ぶ建物の隙間を覗き込むと、ちょいちょいと手招きする。おそらくは、彼女なりの近道なのだろう。とにかく地上の地理に疎い『ヤドリギ』は彼女に従うことしかできない。

 大通りとは一転、道を埋め尽くしていた霧払いの灯も消えて、深い深い霧に覆われた路地裏でも、彼女の軽やかな足取りに迷いはない。伸ばした手も見えなくなりそうな霧の中、『ヤドリギ』は何とか彼女の背中を追いかけていた――が。

「何、あんた」

 彼女の足が止まり、当然彼女の背を追う『ヤドリギ』の足も止まる。

 彼女の前には、赤ら顔の大柄な男が立ちはだかっていた。酷く酔っているのだろう、ふらふらと肩を揺らし、だらしない笑みを浮かべながら、無造作に彼女に近寄ってくる。

「そこ行く別嬪さん、そんな冴えない野郎とじゃなくて、俺といいことしないか? 何せ今日はお祭りなんだ、一緒に気持ちいいことしようぜ。なあ?」

 そう言って、『ヤドリギ』が制する間もなく彼女の手を取ろうとする。

 しかし、こんなことは日常茶飯事なのだろう。彼女は焦ることもなく、取り乱すこともなく――。

「邪魔すんじゃ、ない、わよっ!」

 迷うことなく、目の前に立つ男の股間を蹴り上げていた。

 完全に、決まっていた。見ているこちらに怖気が走るほどに。

 しかし、男はにたにたとした笑みのまま、彼女の手首を捻りあげたかと思うと、そのまま組み伏せにかかる。身軽さが取り得の彼女も、まさか相手が全く「痛みを感じる様子もなく」襲い掛かってくるとは思わなかったのだろう、すっかり硬直してしまっている。

「――っ、」

 手を伸ばして男に掴みかかるには、一歩足らない。そう把握した瞬間に、右肩の辺りに力が入ったことを察する。己の意志とは無関係に、彼女の手で包帯を巻かれた右の腕、否、かろうじて腕のような形で固定されていたそれらが、包帯を突き破って『伸びる』。

 それは、一言で表現するなら『蔦』だった。

『ヤドリギ』の右肩から生える無数の蔦は、男に絡みついて彼女から引き剥がし、そのまま男を地面に縫いとめよう、とするが。

 ――嘘だろう?

『ヤドリギ』は舌打ちする。確かに彼女から手を離させることはできたが、男は『ヤドリギ』の右肩から伸びる異様な蔦を目にしても表情一つ変えず、人の握力以上の力で絡みついているはずの蔦をそのまま引き千切ろうとするのだ。

 仕方ない、と。『ヤドリギ』は覚悟を決める。

 今にも暴れだそうとする右肩から生える蔦を抑え込みながら、頭の中で素早く式を組み立てる。熱。光。赤。それが、痛み一つ感じていないらしい相手に、どれだけ通用するかはわからないが。

 それでも、イメージを組み立てる。かつて自らの半身を焼いたそれを。『炎』と呼ばれるものを。

「伏せろ!」

 彼女に向かって叫び、左目で真っ直ぐ男を見据えて――頭の中で「走らせる」。

 その瞬間、激しい破裂音と共に、男の目の前で、炎の大輪がはじけた。

「しまっ、た……」

 ちょっとした手品で脅かすだけのつもりが、想定の数倍の火力が出てしまって、思わず唇から間抜けな声が漏れる。

 そういえば今日は灯花祭であり、女王国でも最も霧の濃い日であり、つまり、大気中の魄霧濃度は地下に流れ込む霧の比ではない。そんな中で「魄霧を炎に変換する」記術スクリプトなど使おうものなら、盛大に炎上するに決まっている。

 しかし、先ほど「痛み」にはまるで反応しなかった男が、燃え上がる炎に明らかにひるんだのを見て我に返る。せめて延焼しなければよいが、と心から祈りながら、引火する前に蔦を引き戻し、体を低くしたままこちらに向かってきた彼女の手を取る。

「さ、流石にびっくりしたわ」

「俺もだ。人が来る前に逃げよう」

 すっかり伸びてしまった蔦を、今度こそ自分の意志で巻き取って、外套の下に無理やり押し込める。『はらわた』に戻ったら「剪定」しなければならない。何か言いたげにうぞうぞと動くそれを隠していると、彼女の方が『ヤドリギ』の手を引く。

「こっち。大きな通りだと目立つものね」

 細い道から、更に入り組んだ細い道へ。祭りの喧騒から離れるように、二人は早足に町を行く。名残惜しいような気もしたが、口から出たのは全く別の疑問だった。

「それにしても、さっきのは何だったんだ。どう見ても、ただの酔漢には見えなかった」

「例の薬でもキメてたんじゃないかしら」

「例の薬?」

「最近裏で出回ってる『コンコルディア』って薬。いい気持ちになれて、痛みからも苦しみからも解放される、なーんて謳い文句」

 もちろん、それが言葉通りの意味でないことは『ヤドリギ』にもわかる。当然よい意味でないことも。痛みも苦しみも無くなるということは、すなわち、人でなくなるということだと『ヤドリギ』は考えている。だが、その一方で。

「痛みからも、苦しみからも、……か」

「あら、気になる? そういうものは断固拒否、って類だと思ってたけど」

「俺は断固拒否するが、気持ちはわからなくもない」

 何せ『ヤドリギ』はその呼び名の通り、右肩を含めた体内に宿した寄生植物で命を繋いだ一方、真っ当な人であることを辞めた身。故にこそ、人でなくなろうとも、苦しみから救われたいと思う者がいることもわかる。

 わかって、しまうのだ。

 いつの間にか足を止めてしまっていた『ヤドリギ』は、手を引かれる感覚で我に返る。見れば、彼女は細い道の先、先ほどとは別の大通りへと彼を導こうとしているようだった。すっかりこのまま『はらわた』に戻るとばかり思っていた『ヤドリギ』はつい声を上げる。

「待て、まだ行くのか?」

「あら、祭りはここからが本番よ? きちんと右手は隠しときなさいよ」

 そこまでは責任取れないわ、と彼女は肩を竦めて笑ってみせる。それに対し『ヤドリギ』も苦笑して返す。

「あなたは、とことん気ままな人だな」

 かくして、着古した外套を翻して。地下の闇に生きる『ヤドリギ』は、今日限りの光の花の中へと誘われていく。

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