ヤドリギ

 ――九七〇年 花季一節



 むかしむかしのおはなし。

 それはまだ、人が「暦」を持たなかった頃の出来事。

 女神ミスティアに遣わされた精霊、女王エリアがこの不毛の島に降り立った頃、この島ではとてもとても大きな獣が暴れまわっておりました。鬣も牙も鱗も何もかもが鉱物でできた、名もなき異形の獣でした。

 女王エリアは島の住民と力を合わせて、女神から賜った草花や樹木を生み出す力をもって、島を荒らしまわる獣を退治したのでした。

 以来、この島は花と緑に溢れることになり、女王は大地と一体となった獣の亡骸の上に人々の住まう都市を築きました。それが現在の女王国首都です。

 今となっては地上に獣の姿はもはや残ってはおりません。首都の通りや広場に獣の部位の名前を残すのみとなりました。

 しかし、獣の痕跡は決して完全に失われたわけではありませんでした。

 女王国地下には確かに「そこに獣がいた」ことを示す証拠が残されているのです。奇妙にねじくれた、幾重にも分かれ、時には渦巻き、時には巨大な空洞が穿たれ、地上にはない草花や生物が跋扈する迷宮。それは、今もなお霧に還ることのできない獣の内臓であるといわれています。

 故に。

 その地下迷宮は――『獣のはらわた』と呼ばれているのです。

 

 

「……本当にそう思いますか?」

「どうだろう。知らないから何とも言えないな」

 女王国首都と『獣のはらわた』の成り立ちを諳んじる男に対し、『ヤドリギ』はすげなく返す。

 知らないのだから仕方ない。そんな神話の時代の出来事、確かめようがないのだ。

 それでも『獣のはらわた』は実在する女王国首都の地下迷宮であり、地上では見られない奇怪な生物を封じ込めている牢獄であり、『ヤドリギ』はここに暮らしている。『ヤドリギ』自身の望む望まざるとは別にして――いや、望んでここにいると言うべきなのかもしれない。

 最低限、地上よりはよっぽど居心地がいい。たとえ、見るに堪えない顔であろうと、本来右腕のあるべき場所から無数の蔦を引きずっていても、『はらわた』のあちこちに棲み付く地上では見られない生物と同様に「そういう化物だ」と認識される程度で済むから。

 今日の客人も、当初こそ『ヤドリギ』の顔半分を覆う傷痕と右手の代わりに生える蔦に驚きの顔を見せたが、少なくともとりわけ騒ぎ立てるようなことはなかった。『はらわた』がそういう場所であることくらいは心得ているらしい。

『ヤドリギ』は同行人のために、使い古したランタンに火を入れる。『ヤドリギ』一人だけならランタンなしでも歩けるが、『はらわた』の住人でない者にはこの迷宮は暗すぎる。

「それで、こちらには何の用事で?」

 ――『ヤドリギ』は『獣のはらわた』の案内人だ。

 誰がそれを任じたわけでもない。単に地下暮らしで暇を持て余した『ヤドリギ』が勝手に始めたことであり、誰もそれを止めなかった、それだけの話。

 それに、『獣のはらわた』はとにかく広大かつ複雑に入り組んだ迷宮であり、しばらくここで暮らしている『ヤドリギ』ですらあくまでその一端しか構造を理解できていない。しかもあちらこちらに、人に害を及ぼす可能性のある生物も潜んでいるのである。そんな中を、初めてやってきた地上の人間が歩くなど自殺行為に等しい。

 そんな自殺志願者など見捨ててしまえばいいのだと、『はらわた』のそう深くない場所に住み着く家なしたちは口々に言う。もちろん、迷い込む全ての人に手を差し伸べる、なんて聖人ぶるつもりは『ヤドリギ』にもない。ただ、『ヤドリギ』は目に入った誰かを翌日死体で見つけることは避けたいと思う類の人種、あるいは化物であった。単なるお人よしとも言う。

 故に、今日も『ヤドリギ』は地上からの来訪者を伴って『はらわた』を行く。

 今日の客人は自身を「植物学者」である言った。

「草花の精霊たる第一の女王エリアは、植物の力を借りて獣を打ち倒したと伝えられています。その力は、何も草花で獣を縛っただけではなく、獣の内側、それこそ『はらわた』にも及んだと伝えられているのです」

 ほう、と『ヤドリギ』は思わず声に出していた。『ヤドリギ』とて女王国の建国にまつわる昔話を知らないわけではなかったが、そこまで詳細には聞かされたことがなかった。興味がなかっただけかもしれないが。

 ただ、仮にそれが真実だとしても、そう驚くことはないとも『ヤドリギ』は思う。本来よく目にするであろう霧明かりを好む地上の草花とは全く別の、少ない霧を食らいながら闇の中に自生する奇怪な植物を『ヤドリギ』は日々目にしていたから。それもまた、女王の持つ「草花の権能」であるならば、そういうものであろう、と思うだけである。

「ですから、私は『はらわた』に及んだ女王の権能について知りたいと思いましてね。もう少し簡単に言えば、『はらわた』のみに咲く珍しい花を探しに来た、というところです。もしご存知でしたら、案内していただきたい」

「承知した。俺の知る範囲で期待に沿えればいいが」

『ヤドリギ』は応えながら、深く被ったフードの下から同行する男の姿を観察する。白髪混じりの濃い目の色の髪の、眼鏡をかけたぱっとしない壮年の男。身長は『ヤドリギ』より低いが低すぎるというほどでもなく、痩せ型で猫背気味。

 それから、何よりも『ヤドリギ』が重点的に観察するのは装備だ。何せ『獣のはらわた』は地下を縦横無尽に走る洞窟にして、時折「明確な悪意があるのではないか」と疑う迷宮だ。それこそ地上を散歩するような装備では、凸凹とした地面で足を滑らせて、突如として現れる奈落へと落ちて言葉通りの「還らぬ人」となるのが関の山ということを『ヤドリギ』は嫌というほど知っている。

 その点、今回の客人は『はらわた』の危険性をある程度は把握していると見え、『ヤドリギ』から見ても特に『はらわた』の奥に潜ったとしても、そう問題はなさそうだった。難所での作業も覚悟はしているということだろう。

 炎を入れたランタンを揺らし『ヤドリギ』は客人の前に立って歩き出す。

『獣のはらわた』の内部構造は長年ここに暮らしている『ヤドリギ』も決して全てを把握しているわけではない。何せ広い首都の隅々まで広がっているとも言われ、かつどこまで深くまで存在しているかもわからない、奇妙な迷宮なのだ。『ヤドリギ』がどれだけ人ならざる力を持っているとしても、その全容を把握するには到底至らない。

 だから、ひとまずは『ヤドリギ』が知っている範囲の、それでいてさほど危険度の高くはない道を選んでゆく。それでも、十分に客人の目を楽しませることはできているらしく、時折背後から感嘆の声が聞こえてくる。

「思ったよりも明るいのですね」

「場所にもよるが、発光性の植物が多いからな」

 もちろん真っ暗闇の空間も多いが、『ヤドリギ』はそのような、仄かな明かりを帯びた道を選ぶようにしている。霧明かりほど明るく照らしてくれるわけではないが、この程度の明るさがあれば『ヤドリギ』によっては十分ということだ。

「少し採取してもよろしいですか?」

「お好きに。ただ、あまり俺から離れすぎないでくれ」

「流石に迷子にはなりませんよ」

「いや、そうではなく。どこに何が隠れているかわからないからな」

 朗らかに笑う男に対し、『ヤドリギ』は淡々と言う。

「『はらわた』には性質の悪い獣も多い。襲われて横道に引きずり込まれでもしたら、俺でも助けられない」

 その言葉に、男の表情が俄かに引き締まる。『ヤドリギ』は代わりに苦笑を口元に浮かべて手にしたランタンを翳してみせる。

「幸い、ほとんどの連中は強い明かりや火を苦手としている。だから『離れすぎないでくれ』ということだ」

「なるほど。よくわかりました」

 男はランタンの明かりが届く範囲で、うっすらとした光を放つ苔をナイフで削り取り、鞄の中から取り出した瓶に収めていく。果たしてこれが地上でどのように見えるのか『ヤドリギ』は知らないけれど。

 一通り男が満足したところで、次の場所へと移る。時々視界の端に動くものが留まるたびに、男が「ひっ」と小さく息を呑むのが伝わってくる。『ヤドリギ』はその影が完全に視界から見えなくなったことを確認してから、ぽつりと言った。

「今のは六つ目犬だな」

「犬……、ですか?」

「ああ。目が六つ、耳が四つ。毛は長く、その下に隠された足は短いが十本以上あり、それぞれに鋭い爪を持っている。芋虫のように洞窟を這い回り、時には天井に張り付いていることもあるが、こちらが手を出さなければ襲ってはこないから安心してほしい」

 しばし、なんともいえない沈黙が流れた。それから、恐る恐るといった様子で男が問いかけてくる。

「それ、本当に犬なのですか?」

「さあ。顔が似ているから俺が勝手にそう呼んでいるだけだ」

 確かに生態は地上の犬のそれとはいささか異なっているとは思っているが、どうせ観測する人間が『ヤドリギ』の他にそうそういるわけでもないのだ、適当に名前をつけても差し支えないと思っている。それ以上の分析はそれこそ、学者先生の仕事というやつだ。

 かの生物について他に知っていることはあっただろうか、と考えて、『ヤドリギ』にとって極めて重要なことを付け加えておくことにする。

「肉は塩と香草で味付けしてから焼くと美味しい」

「食べたんですか? それを?」

「何かしらは食べないと生きていかれないからな」

 ちなみに『ヤドリギ』は耳のこりこりとした食感がお気に入りなのだが、どうやら今回の客人はそのような話は好まなさそうなので、これ以上余計なことは言わずに口を噤むことにした。

 もう少し歩いたところで、地面と壁との隙間にぽつりぽつりと、今までには見なかった植物が見受けられるようになってきた。男はその場にしゃがみこみ、ちいさな、しらじらとした五つの花弁を持った花を眺める。

「ああ、これは地上では見ない形の花ですね」

「直接触れないように気をつけてくれ。皮膚を溶かす類の毒性を持っている」

「わかりました。……試したのですか?」

 その問いかけには苦笑で返した。要約すれば「試したくなかったが事実上試したと言わざるを得ない」ということだ。長く『はらわた』にいれば、否応なくそういうこともある。その傷痕はもうどこにも残ってはいないけれど。

 男は手袋越しに、慎重な手つきで名前も知らない花を採取しながら、不意に『ヤドリギ』に問いかけてきた。

「あなたの右腕も、随分と植物に似ていますよね」

「そうだな。俺も『蔦』と呼んでいる。正式な名称は知らない」

 性質が極めて植物に近いことはわかっている。それ以上のこともいくつかわかっているが、別にあえて語る理由もなかったから、その一言だけで済ませる。

 けれど、男は『ヤドリギ』の右手にも少なからず興味を引かれたのだろう、手元では作業を進めながら、今までにない雄弁さでまくしたててくる。

「『女神の手違い』として鱗や尻尾など、動物的な特徴を得て生まれてくる者はいますが、人の形を持ちながら植物の性質を持って生まれる者は、それこそ女神の権能を持つ『精霊』――しかも現存する植物に関わる『精霊』は女王種のみのはずです。あなたのその特徴は、極めて『精霊』のそれに近いと言えるでしょう。……生まれつきのものなのですか?」

 その言葉に『ヤドリギ』は「いや」と返す。黙っていたところで、そう意味はない。どうせ、相手もわかって言っているだろうと思っていたから。男は青白い花を瓶の中に積めながら言う。

「では、後天的にその、あなた曰くの『蔦』を身につけたということですか。……おそらくは、寄生、もしくは共生という形で」

 あまりにも、わかりきったことを聞く。

「そう。故にこそ」

 ああ、本当に、わかりきった話だと思いながら。

「俺は、『ヤドリギ』と呼ばれている」

 ――『ヤドリギ』は、そう言って、わらう。

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