100+1本の花束を

細蟹姫

第1話

 繁忙期が過ぎ去ったある冬の日の朝。

 開店間もない花屋私の店に一人の男がやってきた。


「すみません・・・」


 遠慮がちな声が店の奥まで聞こえて、私は急いで手を止めて店頭へ移動する。


「いらっしゃいませ。って・・・あ・・・」

「何か?」

「いえ。お待たせしました。何かお探しですか?」


 男の顔に驚きつつ、平静を装いながら営業スマイルを振りまいた。


「実は・・・薔薇の花を注文したいんです。その・・・100本ほど。」

「100本の薔薇・・・ですか・・・」

「あ、その・・・本気かって思いますよね。ただ、彼女の夢だそうで。叶えてやりたいんですよ。」

「プロポーズですか?」

「はい。今まで苦労かけてたんですけど、やっと幸せにしてやれるんです。」


 恥ずかしそうにそう言う彼を前に、笑顔を張り付けた私の心は粉々に砕け散ったのだった。




 ***



 彼、倉科くらしな大和やまとと、私、間橋まばし杏香きょうかは中学の同級生だった。

 サッカー部のエースで人気者、学年のカースト上位にいた大和と、園芸部で学校の花壇に水やりをしながら、慎ましやかに学園生活を送っていた私。

 クラスさえ一緒になった事の無かった私達だったが、私は大和に恋心を抱いていた。

 勿論、それが大和に伝わることは無かったけれど、たった一度だけ、彼と二人で花を囲んで話をしたことがある。

 それは私にとって、忘れられない思い出だ。


 当時、運動部が活動するグランドへ続く道には、もう何年も放置された花壇があった。私はその花壇に好きな花を植える許可をもらい、種をまいて大切に育てていた。


「うわ、また間橋来てるじゃん。」

「土いじりなら他行けよ。っつーか、本当は運動部狙いなんじゃね?」

「まじ? 合わねー。 陰キャは陰キャ同士でつるんでればいいのにな。」


 運動部員の彼女だの、マネージャーだのといった、カースト上位女子からの理不尽な暴言は心底嫌だったけれど、当時から花が好きだった私は、『自分の花壇』があることが嬉しくて、毎日欠かさず花壇の手入れを行っていた。


 そうして月日が流れ、春に蒔いた種が芽吹き、花を咲かせた頃の事だった。

 その日、私がカースト上位女子に見つからないように早めに花壇を訪れると、そこにはめずらしく先客がいたのである。それが、倉科大和だった。


「あ、間橋。ちょうど良いところに。」


 花壇の前でしゃがみ、咲いた花をのぞき込んでいる大和が、私に気づいて話しかけてきた。

 その時の私は、彼の事を「格好いいな」と思う程度には知っていたけれど、話したこともなければ何の接点も無かったから、名前を呼ばれたことに心底驚いた。


「なぁ、この花何て名前?」

「えっと・・・マリーゴールドという花です。」

「へぇ。」

「倉科くんは、花に興味が?」

「いや。花なんかチューリップと朝顔くらいしか知らねぇし。あと・・・薔薇?」

「そうですか・・・でも、この花には興味持ってくれたんですね。それはとても嬉しいです。」

「いや、何か間橋、いつも熱心だなぁって。ほら、女子達に色々言われてただろ? でも、水やりとか欠かないしさ、毎日偉いなって。」

「花は生き物ですから。手を出した以上はきちんと育てないと。ここへ来たくないからと、世話を辞めたらこの子達は枯れてしまいますから。」

「はは、本当に花が好きなんだな。」

「あ、すみません・・・つい・・・。」

「いや、いいと思う。俺さ、春にレギュラー落ちしたんだ。それで、自棄になってた時に間橋がここで先生と花壇の話してんの見かけてさ・・・」


 この花壇にも、以前は色とりどりの花が植えてあったけれど、目の届きにくい場所にある花壇は、気づくと花が引っこ抜かれ、なぎ倒され、そのうち誰も何も植えなくなった。ここに花を植えるのならそれを覚悟した方が良い。

 花壇を任される前、先生とはそんな話をしていた。


「こんな所に花植えるとかマジかよって思った。ボールがしょっちゅう飛んでくし、真横はランニングコース。だいたい野次馬女子達はその辺踏み荒らしてんのにさ・・・。なのに、間橋は「それでもやる」って言い切って、煉瓦しいて、土耕して、種蒔いて・・・すげぇなって思った。俺も負けないようにしようって、お前の背中見ながら練習してたんだ。」

「え・・・あ・・・・いや、そんな。恐れ多いです。」

「だから、咲いて良かったな。俺も枯れないように頑張るよ。絶対レギュラー復帰する。」

「・・・倉科くんなら、大丈夫だと思います。頑張ってください。」

「おう、じゃ、練習行くわ。」


 元々人と話すのは苦手だったから、そんな風に言ってもらえて嬉しかったけれど、感無量すぎて、気の利いた言葉ひとつ、思いつかなかった。

 だから代わりに、立ち上がった大和に向かって、私は咲いていたマリーゴールドを一輪摘んで差し出した。


「あの、良かったらどうぞ。マリーゴールドの花言葉「勇者」ってのあるから。サッカーで活躍できますようにって・・・事で。・・・あ、これから練習なのに、迷惑ですよね。」

「いや、サンキュ!」


 マリーゴールドを受け取ってくれた大和は爽やかな笑顔を残して、颯爽と立ち去って行ったのだった。


 きっと少女漫画なら、ここから物語が始まるのだろう。けれど、現実はそんなに甘くない。

 その後、レギュラー復帰した彼はたちまちカースト上位女子に囲まれて、気付けば美人な彼女を連れ歩いていたし、彼の周りはいつも賑やかで、住む世界の違う私の入る余地などどこにもなかった。

 だから代わりに次の春、私は花壇にチューリップをこれでもかと敷き詰めて咲かせておいたのだった。




 ***




「おはようございます。あ、それ今日でしたっけ?」


 花屋のバイト、小峰こみね梨沙りさが挨拶と共に作業台を覗く。

 私は今、大和から頼まれた100本の薔薇を花束にしているところだ。


「プロポーズに100本の薔薇だなんて、イケメンはやることが違いますよね。」

「彼女さんの夢だそうよ。プロポーズは跪いて100本の薔薇の花束を差し出す以外受け付けないって、公言されてるんですって。」

「うわー。面倒くさそうな女ですね。イケメンなんだからもう少しマシなの選べばいいのに。」

「こらこら梨沙ちゃん。いいじゃない。一生に一度なんだから夢くらい見ても。それに、お相手は学生時代から長くお付き合いしてるらしいわよ。高級ホテルのラウンジで、アフタヌーンを楽しんだ後にプロポーズするんですって。」

「へー・・・アフタヌーンって、どこかの貴族かよって感じですね。住む世界違うわー。 ってか、珍しいですね。杏香さんがお客さんのプライベート踏み込むなんて。もしかして、杏香さんもああいう人タイプなんですか?」

「違うわよ。お客様の方から話してきたの。ほら、用意出来たのなら店の方お願い。私は花束これ仕上げないと。」


 包みや、リボンや、カード、注文を確認しながら丁寧に花束を仕上げていく。

 それら一つ一つを決める度に、大和は恋人である東雲しののめ茉莉花まりかの話をしていた。その名前は、中学時代に大和がつきあい始めた美人彼女の名前。あれから二人はずっと交際を続けていたらしい。

 どれだけ茉莉花が大好きで、愛しているか、このプロポーズにかける思いを、大和は余すところ無く私に話してくれた。

 そして、ひとしきり思いの丈を吐き出すと、「それじゃ、お願いします。」と、爽やかに言い残し、あの日と同じ背中で颯爽と立ち去っていった。



 もしもあの日、マリーゴールドの花壇の前で、勇気を出して告白していたら、その相手は私に変わったのだろうか?

 きっと答えはNOだろう。大和にとって、私はその辺に咲いた野花でしかない。

 何となく見つけて嬉しくなったり、気づきをくれることはあっても、花束のメインを飾ることは出来ないのだ。



「杏香さん、いらっしゃいましたよ。あのイケメン。」


 店番に出ていた梨沙の言葉に我に返り、「!」と小声で注意して店に立つ。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。」

「あ、あの・・・出来てますか?」

「勿論です。こちらになりますね。」


 ピシッとしたスーツで決めた大和は、そわそわと店内を見回しながらそれを受け取った。


「あ、ありがとうございます・・・思ったより、重いですね。」

「包装などあわせて5キロ程ありますからね。持つとき気をつけてくださいね。」


 多分、大和が感じている重さはそれではなく、緊張とか、責任とかそういうものなのだろう。

 大和はその花束を愛おしそうに抱きかかえていた。


「あの・・・お客様!」


 会計を済ませ、花束を抱えて店を後にする大和を私は呼び止めた。

 振り返った彼のスーツの胸ポケットに、1輪の薔薇を挿す。


「薔薇はその本数で違う意味を持ちます。100本の薔薇の花束の意味は「100%の愛情」101本の薔薇の花束の意味は、「これ以上ないほどに愛してる」です。お客様の幸せを願って、101本目の薔薇を、当店からサービスさせてください。」

「そうなんですね。ありがとうございます。もし、プロポーズに成功したら、ウエディングブーケもここでお願いしようかな。」

「光栄です。よい報告をお待ちしていますね。」


 そうして、待たせていたタクシーに乗り込む大和を笑顔で見送った。


「・・・杏香さん、駄目ですよ。いくらタイプでも、これからプロポーズする人に、一輪の薔薇なんて。」


 一部始終を見ていた梨沙が、ひょこっと横から口を挟む。 


「大丈夫よ。だって私に気づきもしてないんだから。」

「え? 今何て言いました?」


 囁いた言葉は梨沙には聞こえなかったようだ。

 何でもないと首を振り、「さー、仕事仕事っ」と、店の中へと戻る。


『今度来たらマリーゴールドオススメしようかな。マリーゴールドのウエディングブーケ。』


 悪くないかも。と、思いついた悪戯にクスリと笑みをこぼし、私は作業台の片付けを始めるのだった。

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