陽炎

それを見ようと体ごと捻ったのがよくなかったのだろう。そのまま視界が揺らぎ、今まで風に身を任せていた体が地面に叩きつけられた。

あまりの痛みに身悶えしながらもその異質なものをしっかりと見たい。そんな好奇心だけで起き上がったのだがもうその異質なものはどこを見渡してもいなかった。

だが一つわかったことがある。やはり男はスケベな生きものなのだと。


前々から噂になっているこの噂。この坂をこの時間に下ると自転車が転倒するという噂なのだが、この被害に遭っているのは全員男子生徒なのだ。

そう、ここまで言えばだれでも勘付きはするだろう。先ほど僕がみたものというのはそれはそれは大変美しくこんな田畑の成れの果てなどにいるわけもない超絶美少女だったのだ。

あの一瞬だけでも目を奪われてしまうほどの美少女であった。


(そりゃみんな、僕みたいに見ようとして転んじゃうよね。)


それになにを見たか誰もわからない理由は一つしかない。

恥ずかしいもんね。うん。女の子見てたら転びましたなんてかっこ悪くて言えないよね。

そう僕らが見ていたのはとても美しい女の子であったのだ。このたんぼ道に似つかわしくないほどの美しさを持つ女の子であった。


(あんな子見たら二度見しちゃうよなぁ・・・。)


美少女だとはわかったのだがそれでも不可解なことが二つあることに僕は気付いた。


僕の住むこの町は、人口も都市部と比べると大して多くはなくかといって過疎地というほど人が少ないわけではないのだが、それでも新しく越してきた者や、生まれた子などの情報は逐一入ってくるような町全体のネットワークが活発な地域であるので、同年代の人間はほぼ顔見知り状態なのだ。僕の母親はかなり情報通で、どこにだれが引っ越してくるとかどこどこの家に新しく赤ちゃんが生まれたなどの情報をいち早く握っているのだ。そんな母の元に生まれ、そんな母に育てられた僕が、何も知らないのはおかしいと思ったのが一つ。


そしてもう一つ。これはあまり考えたくないのだが、今みたばかりのあの美少女。仮に美女子と名付けよう。美女子は僕が転んでいる間にどこへ行ったのだろうか。転んで起き上がるまでに1分もかかっていないだろう。だがその間に美女子はいなくなってしまった。まるで初めからいなかったようにその場からいなくなっていたのだ。

普通の町中ならどこか去ってしまったのだろうと考えるだろうが、ここには田畑しかない。近くにある林は到底1分ほどじゃたどり着けない。

この世のものではないと言いきるには、いささか安易すぎる答えではあるが、ほかに考えようがないのだ。

そう考えれば考えるほど向こう側にいるのはこの世の者ではない正体不明のなにかとしか思えなかった。


 人間とは、目の前にわからない存在があると恐怖を感じるものなのだが、その恐怖心とともに好奇心も沸いてしまうものだとなにかの本で読んだことがある。そして恐怖心と好奇心の間で揺らぎ最終的には好奇心が勝ってしまうのだそうだ。

今の僕はまさにその状態である。少女がいた場所から目が逸らせなくなっていたのだ。

人間は考えてわからないものは怖い。だがそれを自分の目で見て、危険なものでないと安心したいという生存欲が、好奇心を沸かせているのだろうか。

そう考えるとともに僕は立ち上がり、足先は美女子がいた方向へと向いていた。

一歩、そしてまた一歩。不安を打ち消すようにしっかりと地面を踏みまっすぐ進んでいく。美女子が立っていたのは田と田の間の地面より少し膨れた通路だったためそこまではある程度気楽に進めた。だがその通路に近づくにつれ少しずつ好奇心より恐怖心が勝っていった。


(あぁ!僕の馬鹿野郎!怖いのに、とても怖いのにどうしてこんなところまで来てしまったんだ!)


心の中で自分のスケベ心をもの凄く攻めた。でももう後戻りはできない。ここまで来たのであればなんともないことを確認したいという探究心で進んでいた。

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