第二章
大賢者と迷いの森
迷いの森はミトリア王国南東部に広がる森の名前だ。その名の通り、森の奥に入りこむと出てこられないことからこの名前がついている。アルフォードは既にこの森の事は把握しており、迷う理由は森を歩いている内に方角が分からなくなり同じ場所を何周もしてしまうことだと確認している。コンパスを用意すれば十分な気もするが、実はこの世界にはコンパスが無い。コンパスの原理は地磁気の南北を利用することで方角を確定させる訳だが、この世界は地磁気が乱れているのだ。したがってコンパスをつくっても回転するだけで正確な方角を知る事が出来ない。そのため、方角を確定させる手段といえば、太陽、月、星の位置から推定する事になる。アルフォードは神聖魔法に光が入らない場所でも太陽や月の位置を知る事が出来る神聖魔法があることを発見し、その神聖魔法をつかうことで方角を確定させる魔道具を作成していた。その名前を指南盤と言う。指南盤に魔力を流すと太陽の方向に白い線が、月の方向に黒い線が、北極星の方向に黄色い線が走るようなっている。この線に会わせて円盤を回転させると方角だけではなく暦や時間まで分かるのだ。この指南盤で方向を確認し西方向にひたすら走れば、必ず森から抜け出せる。逆に東方向に進めばファーランドに抜ける訳だ。
(この円盤の線を会わせる機構を自動化すれば羅針盤として売れるな。自動化機構は特定の魔力で動く合金を針の上に置けば可能だな。仕掛けを高度化すれば緯度・経度の計算も可能だ。その辺りの設計は諸島協商の錬金術ギルドに話を持ちかけるか。諸島協商は、商圏を拡大できる販路を探しているが、そのネックになっているのが今の航海技術では島伝いにしか移動出来ないこと。この魔道具を教えれば諸手を挙げて飛びついてくれるはず)
馬車を走らせながらアルフォードはそのようなことを考えて居た。方角を読む神聖魔法は初級なので、それを道具に付与すること自体はさほど難しくない。問題は、使い道が無いと考えられてその魔法自体が忘れ去られていることである。神聖魔法は、回復魔法、
ちなみにこの世界には、すでに0と言う概念があり緯度、経度の概念も受け容れやすいだろう。そもそも0は少なくとも中国の春秋戦国時代の紀元前3世紀頃には存在し無入と呼ばれていた代物だ。恐らく計算に使っていた算木を使う上で生み出された概念だろう。算木はインド数字より遙かに早い時代に位取りで数字を表す概念を取り入れている。算木はインド・アラビア数字が東洋に入ってこなかった理由の一つだ。当然、これらは天文、すなわち暦作りに使われるものなので日本にも奈良時代から平安時代頃には入ってきたと思われる。算木は14世紀頃ソロバンが発明されることで衰退していく。しかし算木はソロバンでは出来ない二次方程式、三次方程式などを解くのにも使えるため高度な数学には依然使われていた。これらが明治時代にアラビア数字に置き換わったのは近代化に数学記号の統一化が必須だったからだろう。算木の読み方を覚えても西洋の技術書は読めないからだ。そして数式の翻訳には非常にコストがかかるのだ。そのうえ正確に訳せない。数式は正確に訳さないと意味が無い。ならば記法を置き換えてしまう方が合理的だ。
ところが0と言うものはヨーロッパに於いては17世紀に入っても定着していないとデカルトが書いている。その理由は、恐らく11世紀頃にキリスト教神学つまりスコラ哲学に古代ギリシアのアリストテレス哲学が採用されたからだろう。蛮族に普及していた中世キリスト教は理論面に於いてユダヤ教やイスラム教に於いて大きく出遅れていた。要するに理論武装が全く出来ていなかったのだ。これは近世に入っても同様で日本に布教に来た修道士は何度も農民に論破されている。要するにキリスト教が古代ギリシアのアリストテレスを取り入れざる終えなかったのは、簡単に論破されてしまう穴だらけのキリスト教世界観を理論武装するために必要だったのだ。そもそも中世ヨーロッパは蛮族の世界だから1500年前のアリストテレスですら最新のツールだ。それによりキリスト教は一気に近代化する訳だが、そこは諸刃の刃だった。アリストテレスの世界観では、天動説以外を認めず、0の存在を不完全として否定していた。アリストテレスの教本の大半はイスラムから逆輸入されたものなので、同時期に0が入ってきてもおかしく無いのだがアリストテレスを採用してイスラムの影響を排除した所為でキリスト教は0と対の概念である無限を異端として排除した。実際に無限の存在を主張し異端審問で処刑された修道士がいる。同時にアリストテレスが支持していた天動説も絶対と定義された。ガリレオが異端審問にかけられた理由は聖書ではなくアリストテレスにあるのだ。しかし、古代ギリシアにおいて地動説は存在していた。要するにキリスト教がアリストテレスで理論武装したゆえに0と地動説が異端とされ排除されたに過ぎない。しかし算術上0は避けて通れないのでそれを必要とする商人の間から普及したのだ。そして運良くフィボナッチがアラビア数字をヨーロッパに取り入れた時、開明的なローマ皇帝、シチリア王フリードリヒ2世がイタリアとドイツを支配していた。この皇帝がイタリアを支配していなければヨーロッパに於ける0の受容は数百年さらに遅れた可能性すらある。フリードリヒ2世はそれほど早く生まれすぎた
ただし、この世界にはそのような制約が存在しないため0の受容を拒む理由は無い。そのため0は存在する。
「御主人様、悩み事でしょうか?」
「いや、哲学的な事を思案していただけ……って、なぜお前が隣に座っているのだ」
アルフォード振り返るとカチュアが真横に座っていた。また気配を消して近づいてきただろう。心臓に悪いから辞めて欲しいアルフォードは思った。
「エリザの野郎がもうおねむなので、御主人様の隣にお邪魔した次第。今から御主人様のお世話をさせていただきます」
何、今からお世話されちゃうの……じゃない。今は、馬車の運転中だ。お世話されると運転の邪魔なだけだ。そもそも、どこから乗り込んだのだこの子、恐ろしい子。運転の邪魔されない様にわざわざ幌馬車ではなく、御者台と馬車が分離している箱馬車にしたと言うのに。
「いえ、馬車の上にのぼって伝って来ただけです」
カチュアは悪びれずも言う。
「それは危ないだろう。落ちたらどうする?」
「その程度で落ちるような訓練はしておりませんので安心してください」
そんなの安心出来るか。むしろ怖い。しかも、そんなに寄りかかられると馬車の制御がおぼつかない。しかも吐息が耳に当たっているのだけど、そこは敏感だから辞めてくれ。
「とにかく、馬車を止めるから中に戻りなさい」
「いやです。一日中馬車の中に居て御主人様成分が補充していないから不足しているのです。少しは補充させてください」
その御主人様成分って何……アルフォードは背筋に寒気を感じた。
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