大賢者と菜園

 その後も気がつくとエリザが膝の上で眠っていたり、寝ている間にカチュアが馬乗りしていたり、おかしな現象が立て続けに起きたのだが本題から逸れるため省略することにする。アルフォードはそのことで酷く精神力を削られた。それゆえ記憶からも抹消した。反面、ここまで無事に魔獣などには一切会わないで移動できている。魔除けの加護が効果を発揮しているのだ。魔除けの加護は持ち運びが出来る反面、魔力の消費量が多いので使い続ける限り、魔石で魔力を補充しづけなけらばならないのが欠点だ。手持ちの魔石を使い切って一ヶ月持てば良いところである。しかし、戦闘魔法の使えないアルフォードがエンカウントすれば勝てるみこみなどないどころか瞬殺なのでやり過ごすか、逃げると言う選択肢以外無い。それゆえ最初から接触しないに越した事は無い。ちなみに魔除けの加護は魔力消費量の大きさから商人からしてみると結界を維持するより護衛を雇った方が安いと言う結論になるのだ。


 二日かけて迷いの森を抜けるとそこから一面の荒野が広がっていた。ここがファーランドと言う魔王領と王国の中間にある無主の土地である。つまり、王国の土地では無いのだ。ファーランドに馬車を進めるとアルフォードは開放感を感じた。一面に広がる荒野。寂しいぐらいの灌木と少しの草が生えているぐらいの広大な地が地平線まで広がっている。空は青々しておらず薄暗い。しかし砂漠ではなく、所々に森や川は存在する。ファーランドで生活するにはかなりの困難が待っているだろう。しかし、アルフォードの中では不安より、希望に満ちあふれる高揚感の方が遙かに上回っていた。


 国畜とおさらば、ようこそスローライフ。

 

 ーーとアルフォードは叫びたいところだったが、カチュアとエリザと言う観客が近くにいることを思い出し辞めることにした。見られたら確実に黒歴史行きだ。避けられる黒歴史は避けるに越した事は無い。


 更に二日ほど南東に進んだ所に目的地がある。そこは川沿いの海辺に近い小さな扇状地だ。ファーランドは水の確保が難しいので最初に水源を確保する必要がある。その条件を満たしていた。また海が近いので、塩も確保しやすい。ただ、ファーランドの河川は洪水を起こしやすいので住処は小高い丘の上に置く必要がある。アルフォードは、ここにモット&ベイリー形式の城を建てることにした。


 モット&ベイリーは中世ヨーロッパの10−11世紀頃に建てられた城の建築様式である。モットを柵で囲い丘の上に建物を置いたのである。そこに住んだのは領主である。柵は平野部を含みこの部分をベイリーと言う。アルフォードは古代ギリシャのポリスが似たような感じだと考えた。古代ギリシャのポリスは城壁に囲まれた都市には概ね小高い丘を含んでおり、そこには神殿が建てられていたのだ。その神殿は戦争時最後に立て篭もる場所だ。そのため近世に至っても軍事施設に使われることがあり、アテナイのパルテノンは17世紀頃まではそこまで損壊して折らず、とある戦争の時、火薬置き場にされ爆発によって今の形になったのである。しかしモット&ベイリーは古代ギリシャから1000年以上経った同じヨーロッパの建物とは思えないほど貧相だ。柵が守るのは領主の館であり、丘の上にあるのは領主の屋敷に過ぎない。規模が小さいことから近隣の農民を挑発して人工の丘を作りその上に屋敷を建てることもあったとされる。それも弥生時代の環濠集落より規模が小さいのである。環濠集落は集落を守る為の代物だが、モット&ベイリーは領主しか守らないからのである。領主とその家族に使用人を含めてもたかが知れているのである。しかも初期の屋敷には個室が無かったというから単なる集会場だ。


 それ自身、今のヨーロッパが古代ギリシャやローマと無関係であることの証でもある。当時の西ヨーロッパは蛮族の土地だった。騎士と言うのも盗賊とさほど変わりが無い。あまりに酷いので理想的な騎士像を描いたのが騎士道物語でありアーサー王伝説として昇華された代物だ。実際の騎士と言うのはアーサー王伝説に出てくる悪い騎士の方がメジャーだったようである。要するに女を拐かして旅人を殺して金をふんだくる連中が本来の騎士だ。騎士と盗賊の差は国家公認か否かぐらいの差しか無かったのだ。しかも当時の戦争は殺すより生かして身代金を取った方が効率的なので平時にも率先しておこなっていたようである。つまり領主は平時に油断していると寝ている間に騎士に誘拐され、身を滅ぼすほどの身代金を要求されたことがザラにあったのだ。それに対抗するために籠もる場所がモット&ベイリーだ。対盗賊であるからこの程度で良いのだろう。当初モットに建てられた屋敷は木造で、入口は二階にありハシゴを登って屋敷に入ったともいう。むしろ神経質なぐらいだ。いい変えるとそれだけ治安が悪かったのだろうし、特にイングランドの占領者のデーン人は狙われやすかったのだろう。


 それゆえ中世を暗黒時代と呼ぶ。中世と言うのは、近世直前から石器時代に回帰した時代なわけだからどうみてもヨーロッパ人にとっては黒歴史だ。イギリスのモット&ベイリーはデーン人が持ち込んだもの。要するに北欧のノルマン系民族がフランス経由持ち込んだのであるが、当時イングランドに住んでいたのはアングロ・サクソン人である。彼らは柱の無い縦穴住居みたいなものに住んでいた。ローマが去ったイングランドは平安時代から一気に縄文時代まで逆戻りした時代なのだ。その時代を飛ばさないと古代ギリシアとの接点が皆無になる。そもそもヨーロッパの古代ギリシアの文化の大半はほとんどアラビアから伝わったもので、キリスト教内に取り込まれたもの以外は消滅していた。中世を暗黒時代とし存在しない事にしないと自らのアイデンティティが保てないのだろう。


 その後、木製の屋敷は12世紀頃に石造りに置き換わっていたようである。その建築技術も東ローマやイスラム圏からもたらされた。石造りになり建物や塀が巨大化するとベイリーは城の内側に置かれ中世の城変わっていく。


 なぜアルフォードがそのような役に立ちそうもない城を建てようとしたかと言えば単純にいえば趣味だ。簡単なモット&ベイリーは村民を挑発して一月で作れたと言うから実証実験をするのだ。


 しかし、中世ヨーロッパのポンコツ城では魔物が集団で襲ってきた時、守り切れないのはわかりきっているので、まず柵を木ではなく土を固めて作ることにした。これは版築と呼ばれる方式で、古代中国や奈良時代の日本でも城壁を作る時におこなわれていた方式である。これは土を突き固めて作るので大規模な人員を動員する必要になるのが問題だ。しかも手持ちの労働人口は0である。メイドと獣人は数に入らない。そのためあらかじめ用意しておいた建築用ゴーレムを導入し壁を作らせることにした。壁に必要な土は大地を掘れば手に入る。掘ったところは濠にする。この濠に水を流しこめば生活用水を汲みに行く必要がない。そこでアヒルを放し飼いすることも可能だし、水車小屋を建てて動力源として使う事も出来る。一石二鳥ならぬ三鳥、四鳥だ。


 モットの上には木造の屋敷を、城壁はゴーレムを行使して版築で築きあげ、水車小屋を建てることにした。水車小屋は魔法収納ストレージから部品を取り出し組み立てるだけで動くになっている。それより、川から水を引き込む方が手間がかかる傾斜を計算しながらゴーレムに溝を掘らせ、それから水門を作る必要があるのだ。城壁と濠との平行作業を行いながら間も無く水車小屋は完成した。


 アルフォードにとって水車小屋は故郷であり、その構造を熟知していた。アルフォードはとある村の水車小屋管理人の元で育てられた。その管理人は法王国で冤罪で国を追われて、この国で縁のあった領主に匿われた父親で水車小屋の管理を任されていたのだ。その出自は錬金術師であり、大賢者の使う錬金術は父親から学んだものだった。その上アルフォードは、前世からメカニカルなものに目が無かった。狐に油揚げ状態で、しつこく水車の原理を聞きまくり父親をうんざりさせたものだ。


 しかし、村の水車小屋管理人は村民から嫌われる職業だ。村民は文字も読めないし、計算もまともに出来ない。それゆえ粉を挽くと分量が減ると言うことが理解できないのだ。計算が出来ないから適正な手数料しか取っていなくても俺の大切な麦をネコババしていると思いこむのである。同様の理由でパン焼き小屋や酒場も嫌われている。しかも水車小屋があるのは村の外れの森との境界にあり、一生外の世界を見ることも無い多くの村民に取ってみれば異界だ。そもそもとして水車は悪魔が動しているなどと考えていそうだ。


 一通り城塞が出来ると空間属性超級の転送魔法で、大賢者は菜園を丸ごと元の屋敷から転送するのだった。


 空間属性超級魔法転送。それは、指定した空間をまとめて転送する大魔法だ。転送させる体積と距離に応じて消費する魔力は幾何級数的に増加する。魔法を使用するとアルフォードは魔力がごっそり持って行かれるのを感じた。


 そして目の前に菜園が現れた。ひとまずホッとするアルフォードだった。


 後日、王都の封印が解かれた元アルフォードの屋敷に入ったら菜園のあった場所に巨大な穴が出来ていて監査官がびっくりしたのはまた別の話である。

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