大賢者と商人
大賢者は意気揚々と王城を後にした。大賢者に担ぎあげられた所為で本来やりたい錬金術の研究が大幅に出遅れている。あるツテによる情報によれば、どうやら同時期に同じ世界から転生してきたモノが少なくとも数名は居るらしく、北の公国で突然ジャガイモの作付けが始められたり、西の共和国では輪作の方式が変わって収穫量が大幅に増えたりしているらしい。石鹸でチートしようとして破産しているバカも居るようだ。どうやら石鹸造りが連邦の海辺の農家の副業になっているのを知らないで価格競争で負けたらしい。他には複式簿記を持ち込もうとして門前払いされたり、唐揚げをやろうとして油代と肉代で破産したヤツもいる。そもそもこの世界にもあるものでチート出来るわけがないのだ。無意味にチート能力があるので元手がタダだと勘違いしたのも大きいだろう。要するに人件費の概念を無視していたのだ。能力が高ければ人件費は高くなる。自分の価値の計算が出来ないチート使いにまともな商売など出来るわけがない。大半はリサーチ能力に欠如しているのだろう。しかし大賢者アルフォードは前世と違う物理法則、物質の成り立ち、生命体に興味を持ちそれらがどのように作られていると言う方向に興味があった。そして元素魔法も神聖魔法そこそこに錬金術にのめりこんでいたのである。
ファーランドは王国の西、魔王領の東にある無人地帯。北は山がちの荒れ地で川が台地をすり抜ける様に走っている。南には沼地広がり、海に面しているモノ浅瀬が果てしなく続いており港に適した土地がなく、気候は温暖というより暑く雨量は少ない。そのため天水だよりの従来の農業が難しい。少なくとも潅漑水車を作らないと駄目だろう。西は王国、東は魔族領に隣接した緩衝地帯で魔獣がうろうろしている。王国と魔族領の間にある捨てられた荒野の事である。ここに住んでいる人間がいるとすれば冒険者かお尋ねものか逃亡者ぐらいだろう。なにせこの世界は中世さながらの身分社会である。土地に縛りつけられている農奴は、魔法の素質がなければ一生農地に縛りつけられる。仮に魔法の素質があったとしても魔術師として戦争に借り出される運命がまっている。
アルフォードは元素魔法、神聖魔法、錬金術の3つを極めてしまったばかりに不本意にも大賢者の称号を押しつけられ、数年もの間、王国魔法省に借りだされていたのだ。しかし、その枷は先程解かれた。不要になると疑心暗鬼に捕らわれ処刑したり、追い出したりする偏狭な国王の下で良かったかも知れない。あながち有能な王だった場合、そのまま体制に取り込まれてこき使われていた未来が想定された。
「じゃあ、行きますか」
大賢者アルフォードは腕まくりをして屋敷に戻ろうとした。王命により屋敷を引き渡さなければならない。要らないモノは処分し、使用人に暇をあたえ、屋敷を現状に復さなければならないのである。特に魔改造した研究室は痕跡もなく元に戻さなければならない。例え罷免されたとは言えしなければならないことはまだあるのである。
「おまちください」
屋敷に戻ろうとすると大賢者を呼び止める声がする。振り返るとそこにいたのは王都有数の商人だった。
「どうした?」
「大賢者アルフォード様が罷免されたと聞きつけまして、そのまま王都からいなくなられると商品の入荷が滞ってしまいますので……」
この商人、情報を得る速度がやたら速いな。アルフォードは思った。恐らく王宮のツテを使って俺より先に罷免の話をつかんだのだろう。情報と信用は商人にとって命である。迅速な情報網と確かな信頼、この二つでこの商人は一代でなりあがったのだったな。大賢者は思い出した。
この商人にはスタミナ・ポーションを融通していたのである。魔法省に使える傍ら実益と趣味を兼ねて薬師の仕事もしていたのである。この薬にはちょっとした知識チートを混ぜ込んでいる。現状は、特殊な加工が必要になるため賢者レベルの錬金術師にしか作れないと言ってあるが、実は薬師見習いでも作れる様に落とし込んだ方法を既に確立している。実際のところスタミナ・ポーションの中身は魔力を込めたブドウ糖液に過ぎない。それに天然色素で色を付けたのがスタミナ・ポーションの正体に過ぎない。なお、スタミナ・ポーションは砂糖より安く買えるのだが甘味料に使う人はさすがに居ないようだ。
そのブドウ糖はでんぷんを分解すれば作れるため市場で入手した穀物で十分作れるのだ。安いときに大量に買い込んででんぷんにしておけば在庫はかなり持つものだ。
でんぷんを直接、錬金術でブドウ糖まで分解すると高位の錬金術師が必要になるが、実は水飴からなら初級錬金術師でも作れる事は確認済みだ。そもそも錬金術なしでも水飴は麦芽や大根の力で作れる。なんなら唾液でも可能だ。錬金術なしで作れないのは純度の高いブドウ糖液を作る事だ。この方法だと今のままよりは量産しにくいし時間もかかる。とは言え、硫酸で加水分解するのは取り扱いが難しいし中和工程も面倒だ。そもそもブドウ糖より硫酸の量産プラントや中和するアルカリ物質を作る方が遙かに困難である。錬金術ででんぷんを直接分解するより麦芽糖や水飴からブドウ糖を錬金術で製造するのは実のところさほど難しくないのだ。この方法を下位の錬金術に教えればよりスタミナ・ポーションの大量の供給が可能になるのは確実である。ただしここからスタミナ・ポーションを作るには精製したブドウ糖を水に溶かしに魔力を付与する必要がある。この作業には付与魔術を得意とする魔法使いと癒やしの魔法を得意とする神聖魔法使いが必要だ。大賢者アルフォードはこれら全ての魔法に精通していたので全ての作業を一人でおこなう事が出来たが、レシピが公開されるとそうも行かないだろう。そのため冒険者に用途を秘匿して加工実験したところ初級冒険者でも作成可能なことは既に確認している。
しかし、ここまでやるなら普通に甘味料として売った方が儲かる気もするな。錬金術でブドウ糖を果糖に転換する事もできるし、更に合成すれば砂糖も出来る——大賢者は逡巡した。
「まぁ、レシピは譲ろう。それなりの人員を用意する必要があるが、実際に作るのはそれほど難しくは無いからな。魔法使いさえそろえば品質はともかく製造は可能だ」
「——ではそのレシピを金貨百枚で買い取らせては貰えないでしょうか?」
商人は皮算用しながら言う。しかし、相変わらずだなとアルフォードは思った。金貨百枚としか言わない。どの金貨で支払うか言っていない。ペニルと呼ばれている豆金貨は1gにも満たない金貨で、日本円に直すと5000円程度の価値しかない。一方、協商金貨は10g近くあり10万円ぐらいの価値がある。つまり実際に支払う金貨の種類で受け取る金額は大きく変わらない。しかも嘘はついていないと言い張れば、たしかにそうなのだからタチが悪い。完全に優良誤認の案件だが、この国にそのようなものを取り締まる法は無いのだ。
「それほど難しくないからレシピが公開されたら一年ぐらいでマネされると思うぞ。そうなれば大損ではないかな?」
残念ながらこの国には特許制度も整備されていないのだ。そもそも中央集権国家の特許制度は国家の集金方法の一つに過ぎない。所謂、座やギルドと言われる組織に専売権を与えて、変わりにみかじめ料を貰う収税の延長上にある。発明した製品の専売権を与える変わりにみかじめ料を貰う国王の商売に過ぎない。そのため仮に特許制度があったとしても、認められる基準は国王が儲かるか儲からないかで恣意的に決められるだろう。いくら新規性があっても国王や大貴族の利害に反するものは特許として認められないのだ。実際イギリスの特許制度がそうだった。
「いや、これは先行投資でもありますので。新しいレシピが出来ましたら優先的に譲ってくだされば問題ありません。それに大賢者様のお墨付きがあれば元祖スタミナポーションとしてプレミアも付けられます」
アルフォードは相変わらず、この商人は口だけは達者だと思った。
「せめてレシピを見てから決めた方が良いとおもうのだが、それにお前の商会にレシピを独占して卸す気は無いぞ」
「いえ、それを見越しての先行投資なのですが、いかがでしょうか?」
「——まぁ、考えておこう」
アルフォードはそういうと商人のもとを後にした。
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