10-3 『変わってしまいましたね』


 心の底から引いたときにしか出てこないだろう、小さな「うわ……」という声は、とても聞き馴染みのある声だった。

 小柄な体躯に気だるげな垂れ目、それから特徴的なお団子ヘアーと何から何まで三年前からほとんど変わっていない。着ているセーラー服が部屋の入口で立ち尽くすあの子の成長を伺わせるけれど、裾はダボッとしている。きっとまだ大きくなると思って叔母・・さんが大きめのサイズを買ったんだろう。


「え、ゆ、由芽ちゃん、どうしてここに!?」


 萌葉由芽もえはゆめちゃん、ここにいるはずがない私の従姉妹がなぜかそこに立っていた。あまりにも昔と変わっていないから見間違えるはずもない。何より私のことを姉さんと呼ぶ子はあの子以外にはいない。

 だけどここは学校だ。本来なら由芽ちゃんがいるはずない。ましてやこの旧視聴覚室にたどり着けるなんて。三年前に別れたときに発信機でも埋め込まれていたのか。そんなわけないでしょ。自分の思考力が大変取り乱していることがよくわかる。


「姉さんを迎えに来たんですよ。高空のお家に向かう通り道でしたし、帰りすがらおやつを買ってもらおうと思っていたのですが連絡をしても出ないので、押しかけさせてもらいました。この場所については生徒会の方が案内をしてくれました」

「へ、へえ、そうだったんだ!」


 最寄りの駅から家に行こうと思えば学校を通過するルートも確かにある。最短ルートではないけれど、久しぶりにこの町に来た由芽ちゃんにとっては学校という目印を通過したほうがわかりやすかったのかもしれない。それとも単純に早く私に会いたかったからわざわざ選択したのか、だとすればとても可愛い。

 まあ、そうすれば私におやつを買ってもらえるという打算が本音なんだろうけど。そこのあたりは昔からちゃっかりとした考え方をしていた。何度駄菓子屋でおやつを買ってあげたっけ。由芽ちゃんよりも年上で、もらえるお小遣いも多かったから当然のことだと思っていたけれど、しかしまったく遠慮することもなかったな。

 別に遠慮なんていらないからいいんだけどさ。


「……まあ、まさか姉さんが美女を侍らせて楽しんでいるとは思いませんでしたが。変わってしまいましたね」

「それは誤解──うん、誤解だよっ!」

「一瞬考えましたね?」

 

 いや、うん。別に心春のことを侍らせているわけではないけれど、だからって抱きつかれているという現状が嬉しくないのかと言えばそれは嘘になるわけだし。

 いい匂いがするから気持ちが安らぐように落ち着くし。

 それと同時に推しとピッタリくっついていることで心拍数が上がっているようにも感じられる。

 ドクンドクンと鼓動が鳴っていて奇妙な高揚感があって全身が熱くなっている気がする。

 感情が混ぜ込まれているけれど、むしろ気分は良い。


 ……そうだ、心春だ。心春はどうしたんだろう。いや、どうしたも何も抱きつかれたままなことに変わりはないんだけど、変わりがないからこそわからない。普通、この状況なら離れるんじゃないだろうか。なのに心春は相変わらず私を捕まえたまま動く様子がない。

 背中側から抱きつかれていて心春の表情が見えない。いったい心春は今、どんな状態なんだ。

 ぺしぺしと手の甲を軽くはたいてみるけれど反応がないから、腕を振りほどこうとすると驚くほど固くなっていて抜け出せない。包み方は優しいのに、抜け出そうとすると途端に組んだ腕がびくりとも動かない。まるで硬直したまま時間が止まったようになっている。

 あれ、もしかして心春、テンパりすぎて固まってない!?

 じゃあ由芽ちゃんの前でしばらくこのまま!?


「こ、心春! しっかりして心春!」


「違う違います違うんですそうじゃなくてこれはその真宙さんがいけないんです確かにちょっとお友達にしても距離が近すぎるかなぁ、抱きつくのはやりすぎかなぁ、とは思ったんですけどでもでも真宙さんはこうでもしないとすぐに宮園さんとばかりお話してそれから私のこと置いてけぼりにして一人にしちゃいますしそう言えばユメガクでも西亜ちゃんが雛姫ちゃんに抱き着きながら嫉妬するシーンがあってこれだと思ったんですつまりお友達としてもっと私もかまってほしい頼ってほしいというサインを出していただけでけっして真宙さんいい匂いだなぁ、とかちっちゃくて可愛いなぁ、とか思っていたわけではなくてですね!」


「………………………」


 あはは、心春は独占欲が強いなぁ。

 ところで死ぬほど恥ずかしいんだけど、どうしよう。 

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