10-2 『迎えに来ましたよ』


 心春が柔軟運動や基礎的な筋力トレーニングを行っている間、私は咲良に音楽を教わる。そして東雲さんが一歩引いた場所で私たちの姿を見守りながら小説を読んでいる。


 最近の旧視聴覚室ではよくある光景だ。


 同好会設立後を見据えて、私たちはとにかく基礎を積み上げるしかない。それでなくても基礎は大事なんだけど、目の前にぶら下がっている現実が余計に意識させるのかもしれない。

 特に心春は、パフォーマンスをするにあたって体力トレーニングは必須ですから、とストイックに行っている。流れる汗すら花の香りがするんじゃないだろうか、なんてのは言い過ぎかな。

 しかし、体操服に着替えて運動部のようにトレーニングをこなす姿を見ていると、私も何かしなければと気持ちを逸らせてしまう。慌てても仕方ないとは言え、心春が頑張っているのに何もできていない現実に、どうしても気持ちを持て余してしまう。

 衣装作成、振り付け、作詞、動画の撮影や編集。どれもこれも、何もかもが私には足りていない。心春の夢を叶えるために、私はもっとできることを増やしていかないといけないのに。


「……まったく、鷺沢に見惚れて話を聞かないとはいい度胸をしている」


 咲良はコツンと私のおデコを人差し指で小突くと、パソコンに視線を戻す。し、しまった、考え事に頭を割きすぎた。しかも心春を見たあと、そのまま考え事の沼にどっぷりと浸かったせいで心春に見惚れていたと思われてしまった。

 う、うん、まあ半分くらいはトレーニングする心春に見惚れていたのもあるかもしれないけれど。弾ける汗すらも光り輝いているし、きっとフローラルな香りがするんだろうな。

 じゃない。そんな変態的に見ていたわけじゃなくて、どちらかというと見たことによる副次的な考え事というか。なんて言い訳をしたものか一瞬だけ考えてから諦めた。

 そもそも言い訳するものでもない。

 咲良がわざわざ時間を割いてくれているのにぼうっと考え事をしていたんだ。言い訳なんてしていいはずがない。


「ごめん、考え事をしてたけどもうしない。咲良の話に集中するよ、一語一句だって聞き逃さないくらい、咲良のことを見てる」

「いや、そこまでは別にしなくてもいいけど……うわ、鷺沢が凄い頬を膨らましてこっち見てる。怖くはないけど。今日はもういいからお姫様の機嫌取ってきたら? 私は恨まれたくない」

「う、でも今は咲良との時間だし、立ち止まってる時間なんて」


 ない、と言いかけたところで咲良がまたしても咲良は人差し指で私のおデコを小突く。


「大丈夫だよ、真宙は飲み込みが早い。あなた自身が思うよりも成長している。だからそろそろ次のステップに進めようと考えてたところ。プランの練り直しをするためにも今日はもういいから、お姫様のほうに行ってきなさい」 


 そらいけいけ、とおデコを押される形で放り出される。


 困惑しながらも、私は少し嬉しくなる。咲良は自分の音楽に自信を持っている。だからこそ、音楽のことでおためごかしのために適当なことを言う人間ではないし、けっして嘘をついたりはしない。つまり本当に短期間で成長できているということだ。

 もちろん、咲良という先生がいるからだからだ。すんなりと頭に入る教え方をしてくれているからこそ、素直に吸収できているんだ。……まあ、まだ楽器にも触っていないから本当におためごかしではないのか、という疑問はあるけれど。


 何せ放り出された先で私は心春に捕まっている。包まれるように抱きつかれているから、いつにもまして心春から発せられる花の香りが脳を溶かそうとしてくる。


「あの、心春、どうして私は抱きつかれているの?」

「充電です。トレーニングで少し疲れましたので」

「あはは、充電かぁ」


 こっちも充電されている気がする。心春がくっついていると妙な安心感を感じられて、精神的に元気になってくる。

 相互に需要があっていいな、今後も取り入れてみようかな──


「迎えに来ましたよ、姉さん──……うわ」

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