3-1 『君のご主人様を見失ってしまったがどうしたものかな』


 心春とのお泊まり会の約束に柄にもなく浮かれていたのはあると思う。だから注意散漫になっていて、周りのことなんてあまりちゃんと見ていなかった。気分良く鼻歌を刻みながら下校の道を歩いていると、人とぶつかってしまった。

 それほど広いとは言えない歩道だ、そういうこともたまにはあるけれど、まさか前を歩く人にそのままぶつかりに行くなんて思わなかった。

 ぶつかったその少女は身長が低く、まるで子供のように見える。ただ猫耳フードのついたパーカーの下から見える制服は同じ高校のものだから少なくとも年下ではないのだろう。それに顔つきこそ幼いけど、その表情は随分と大人びているようだった。


「なに、なんか用事?」


 ヘッドホンを首に掛けて少女はこちらに振り返るので、私は慌てて返事をする。


「ああ、いやそういうわけじゃなくて。ごめんなさい、ちょっとぼうっとしててぶつかっちゃっただけなんだ」

「だろうね、とても楽しそうな様子だったから。いいよ別に。スマホやヘッドホンを落としたわけでもないから」

「いや、物よりもほら、怪我とかなかったかなって」

「大丈夫。ちょっとぶつかられたくらいで折れるほど弱くない」


 つまらない冗談を聞いたみたいに笑って、「それだけなら、じゃあ」、とそのまま手を上げて少女は立ち去っていく。

 ……しかし楽しそうな様子だったって、聞かれていたのか、鼻歌。いや、ぶつかる距離まで近づいていたんだ。聞かれていてもなにもおかしくはないけれど、めちゃくちゃ恥ずかしい……。

 あーあーあーと叫びたくなるけれど、町中で突然叫び出す奴なんてなおのこと恥ずかしいからとグッと堪える。


「って、これ……」


 歩き出そうと思った途端、地面に視線を向けると独特な顔をした黒猫の小さなぬいぐるみが落ちていた。ボールチェーンがついているけれど、肝心の繋ぎ止めるボールが外れてしまっている。

 確かにスマホやヘッドホンは落としていない──だけどきっちり落とし物はしているじゃないか。あの子が着ていたパーカーの袖に強く主張されていた黒猫と同じデザインのぬいぐるみだった。

 顔を上げると人の群れに紛れてか、それとも歩く速度が速いのか、さっさと角で曲がってしまったのか。とにかくあの子はもう私の視界からはいなくなっていた。

 ボールチェーンを止めてから黒猫と見つめ合う。黒猫なのにたぬきのようにまんまるとした目をしていて愛嬌がある。じーっと見ているとだんだんクセになってくる可愛さだ。


 さて、君のご主人様を見失ってしまったがどうしたものかな。


「……まあ、同じ学校みたいだから探せば見つけられるかな」


 また明日、学校で渡せばいいかな。

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