異世界ボイコット(4日目〜5日目)
『山田太郎?』
「ええ。最近うちの会社に中途採用で入社してきたんだけど、なんだか以前はそっちの世界にいたことがあるみたいなのよね。広世は何か知ってる?」
『うーん、聞いたことないなぁ。あ、でも前の神様からもらった引き継ぎ資料にそんな名前があったね。そっちの世界からこっちに来た、最初の神様。もしかして同じ人?』
「さあ。分からないから聞いてるんじゃない」
『えー、俺も知らないし』
火曜日の終業後。女子トイレの個室で弟からの電話を受けた。ついでに山田太郎についても聞いてみたら、なんとも頼りにならない答えが返ってきた。
『ところで姉ちゃん、今日はこっちに来るの?』
「今日はさっき話した山田太郎さんの歓迎会があるから無理」
本当は今日の歓迎会は不参加のつもりだったのだけれど、断る口実にもちょうどいいから参加を決めた。都合よくキャンセルも出たみたいだったし。
それに、今はまだ異世界に行く勇気はない。
「そういうわけだから、じゃあね」
『あ、ちょっと待って』
山田太郎のことも分からないし、早々に電話を切ろうとしたら弟が待ったをかける。
『今度、そっちの世界に帰るから』
「……帰ってこられるの?」
『まあ、長期間は無理だけど、一時的なら。だから、その時はサポートよろしくね』
「サポート?」
『うん。姉ちゃんの助けが必要になると思うから。そっち行く時はまた電話するよ』
弟はそれだけ言うと、じゃあね、と電話を切る。スマートフォンからは終話を告げる電子音だけが流れてくる。
私はスマートフォンを目の前まで持ってくると画面を睨む。
まだこっちからは電話はかけられないし、弟に連絡する手立てはない。これについてもそのうちどうにかしてほしいと要望を出してはいるものの、進みは芳しくないようだ。
大きくため息をつく。女子トイレを出た。
「あ、神束さん、そこにいたんだね。山田くんの歓迎会のお店まで一緒に行こう」
廊下に出たところで、隣席の同僚に声をかけられる。
その後は同僚と、執務室から出てきた数人の社員と一緒に歓迎会の会場まで向かう。
山田太郎にとって異世界ネタは鉄板なのか、それに皆も興味はあるのか、歓迎会中も異世界談義は続いた。ただ多少なりとも関わったことのある私としては非常に反応に困る。山田太郎の話に肯定も否定も出来ず、なんとも気まずくて気疲れだけが残る夜だった。
やっぱり、慣れないことはするものじゃないわね。
弟から帰宅時のサポートを依頼されたのは、本来だったら異世界に行く予定の木曜日のことだった。いつもと同じように終業後の女子トイレで連絡を受ける。
「それで、サポートって何をすればいいのよ」
『こっちの世界からそっちに行くのに座標の指定が必要なんだけど、姉ちゃんのスマートフォンを起点に使わせてほしいんだ。だから、俺が急に出てきても平気そうな場所を探しておいてよ。それじゃ、五分後にまた、電話するね』
弟はそれだけ言うと、ぶつっと通話を切る。この一方的なやり取りに文句の一つも言いたいけれど、今は弟がこっちに来る場所? を探さないと。でも、そもそもこれ、五分って難易度高くない?
「どこがいいかしら……」
まず、オフィスフロアは無理だ。入館に必要なセキュリティーカードを弟は持っていないし、見つかった時の説明も難しい。そんなことを考えながら、ひとまずエレベーターで下に降りる。
非常階段は意外と人が来るし、室内だと不測の事態が起きた時に釈明するのも面倒ね。
結局は悩んだ末に、ビルとビルの合間の裏路地に入る。ここならば街灯も少ないし、滅多に人も通らない、はず。
少しして、弟から電話がかかってくる。二、三言交わすと、通話のままスマートフォンを水平に持つ。画面から白い幾何学的な文様と光が弾け出て、急速に収束する。
「よ、と」
とん、と目の前に現れた弟はTシャツとジーンズ姿のラフな格好をしていた。その両手にはたくさんの荷物を抱えている。その中の一つ、銀のゲージに目がいった。
「もしかして、りっくん?」
「……神束、さん?」
その時、背後から男性の声がした。驚いて振り向けば、路地の入り口に山田太郎が立っている。
「山田さん、どうしてここに?」
「こちらから、見覚えのある光が見えたので」
「姉ちゃん、誰? その人」
路地に入ってきた山田太郎を見て弟が聞いてくる。
「えっと、この人は私が勤めている会社に最近入社してきた、山田太郎さん。山田さん、こっちは」
「どうも、弟の広世です。今は異世界で神様やってます」
「ああ、なるほど。道理で。異世界の話をする時の神束さんの反応が気になっていたんですが、身近に関係者がいたんですね」
……そんなにバレバレだったかしら。
人好きのする笑顔で自己紹介をする弟に突っ込む隙もなく、山田太郎に返されて言葉に詰まる。その視線が、ふと、弟の持つゲージに注がれていることに気付く。
「そこにいるのって、リースースクワラルですよね。こっちに連れてきて大丈夫なんですか?」
「ああ、このゲージの中なら問題ないっす。向こうの世界と一部繋げてるんで。それにしても、リースースクワラルとか、知ってるんですね」
「まあ、異世界で神様業をしていた時に自分が名付けたので」
「あ、じゃあ、やっぱりもしかして、初代神様の山田太郎さんですか?」
「原初の神様もいたので、厳密には初代ではないですが……。こっちの世界から異世界に行った、と言う意味では最初でしたね」
「やっぱり! 姉ちゃんの話聞いて、そうじゃないかとは思ってたんすよ」
「……すみません。ちょっと色々と待ってもらえますか」
そのまま弟と山田太郎二人の会話が続きそうになるのを慌てて止める。もはや情報過多すぎて、どこから聞いていけばいいかも分からない。
「えーと、まず、そのゲージはどうしたの?」
「作った」
「それから、山田さん、神様だったんですか?」
「そうですね、一応。元からいた神様が作るだけ作って放置していた世界の管理を丸投げされた形ではありますが」
まあ、この際弟のことは気にしないでおこう。ただ、私が山田太郎に投げた質問もどうかと思うけれど、戻ってきた回答もいかがなものかと思う。なんだか頭が痛くなってきた。
「そうだ。弟さんも神様なら、今度の日曜日にある神様会に参加しますか? よければ神束さんも」
「面白そうですね。ぜひ!」
山田太郎の誘いに弟は即座に了承する。質問を挟む余地もなかった。
何故か私も参加することになったその謎の会合は、私から弟に後日詳細を伝えることになった。その後少しやりとりをした後、山田太郎とはそこで別れる。
何だか就業時間中ずっと、ひたすらマニュアルを読み込むだけの研修を受けていたみたいに頭の中がぱんぱんで、もはや何も考えられない。
言い知れぬ疲労感を覚えつつ、私は弟を連れて家まで帰った。
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