7日目(3) 異世界の夜と現地民との食事会

 ピピピピ、というタイマーの音にスマートフォンをタップする。メスティンをコンロから下ろして、タイマーをまたセットする。隙間からはふんわりと、あさりの潮っぽい香りとガーリックの匂いが漂ってくる。これであと十分蒸らせば完成ね。


「そっちはどう?」


 隣から漏れてきた野いちごの甘い匂いに弟に声をかける。


「たぶん、もう少しじゃないかな」

「……さっきも、そんなこと言ってなかった? あと何分くらい?」

「五、六分……七、八分? まあ多分、それくらいじゃない?」


 不安になって聞いてみたら、アバウトな数字が返ってきた。


「ちゃんと測ってないの?」

「だって、三十分くらいでしょ? くらいだから大体でいいんじゃないの?」


 ……それは、どういう理屈だろう。私はこめかみに手を当てて首を傾げる。


 えーと、確かジャムを作り始めたのが、十九時十分過ぎからだったはず、よね。ネットのレシピの通りだと、あと十分ないくらいかしら。……意外と近い数値ね。


 それならば、こっちのタイマーが鳴ったら、火を止めればいいか。


「わかったわ。ありがとう。じゃあ、こっちと代わってくれる? タイマーが鳴ったら、適当なお皿に盛り付けてくれればいいから」

「わかった」


 ポジションを交代して、野いちごを煮込んでいる鍋を覗き込む。少し、灰汁が出てきているみたい。


「お箸ってどこにあるの?」

「はい」


 弟は後ろを向くと食器棚の引き出しからお箸を出して手渡してくれる。


「ありがとう」


 受け取ると、調理台の端に置いたキッチンペーパーを取る。


「何やるの?」

「これで灰汁取りが出来るらしいわ」


 キッチンペーパーを一枚、野いちごに被せる。お箸でつついて、密着させてからそっと取る。表面に浮いていたピンク混じりの白濁が消えて、紅赤色がより際立つ。じゅくじゅくと煮詰まる鍋の中、熟した野いちごはほとんど元の形を残していない。


「こっちは終わったよ!」


 鍋の様子を見守っていると、ニーナの声が聞こえる。顔を上げれば、アイランドキッチンの向かい側、しゅた、と駆け寄ってくる。


 リピングのテーブルの上には、アルミホイルに包まれたきのことりんごが並べられている。その隣で、満足気にちろちろと毛繕いをするりっくんの姿も見えた。何あれ、可愛い。なでなでしたい。

 まあ、それは後でたっぷり堪能するとして……。


「ありがとうございます」

「他に何か、手伝うことってある?」

「それでは、申し訳ないんですが、洗いものをしてもらえますか?」

「わかった!」


 ニーナは快諾すると、アリアさんのところに戻っていく。その時、ピピピピ、とタイマーの鳴る音がした。


 弟はタイマーを止めると、メスティンの中のパエリアをお皿に盛り付けていく。私は火を消すとその隣に鍋を置く。


「ちなみに、やかんとかトースターってある?」

「やかんはそこにあるよ。そっか。トースターもあったほうがよかったね。今度設置しておくよ」

「え、あるの?」


 やかんはともかく、トースターまであるとは思わなかった。いや、聞いたのは私だけれど。


「電子レンジは流石にまだ開発中だけど」

「開発してるの?」

「三代目の神様が家電関係に強くてさ。その時に色々と基盤を作ったらしいよ」

「……ああ、そう……」


 私は眉間に寄りかけた皺をほぐすと、やかんを取り出す。……本当になんなのだろう、この世界。たまに元の世界とは違う場所だというのを忘れそうになる。それだけ弟の前にもいたらしい歴代の神様? たちが頑張ったってことなのかしら。


 釈然としないものを感じつつもシンクに向かう。それなりに溜まっていた洗い物がいつの間にか消えていた。


「ありがとうございます。ずいぶん早いですね」


 シンクの前に立つアリアさんに声をかける。アリアさんは向かいに立つニーナにフライパンを手渡しながら、にこりと笑う。


「魔法でやれば、一瞬ですから」


 リビング側のカウンターにはニーナの手によって、フライパンやまな板、洗った道具が並べられている。そのどれもが洗い残しもなく、隅々まできれいになっている。


「すごいですね。こんなことも出来るんですね」


 そういえば以前、弟も同じようなことをやっていたような気もする。やっぱり、ちゃんと攻略本を読み込んでおくべきかしら。……まあ、それはおいおい考えていく事案ね。


 私はやかんに水と注ぐとコンロの上にセットする。かちり、と火を付けた。お湯が沸くまでにはまだ少し、時間があるわよね。


 ふと視線を上げると、弟がパエリアを盛り付けたお皿をテーブルに置くところだった。お皿にはドーム状の幕も張られている。私はジャムを入れるビンを取りに、テーブルに向かう。


「この後はどうするの?」


 椅子に立てかけてあったリュックの中を探っていると、不意に弟が聞いてきた。


「そうねぇ、ビンにジャムを入れて、フライパンでパンを焼いて、きのことりんごをホイル焼きするのに焚き火の準備をして……。あ、料理や食器のセッティングもしないとね」


 百円ショップで購入したビンを底の方から引っ張り出す。


「そうだ、広世。外で焚き火をして、アルミホイルで包んだきのこやりんごをホイル焼きにしてきてくれる?」

「えー……」

「何よ。どうせ暇でしょ?」

「いや、まあ暇と言えば暇だけど」


 珍しく渋る弟を不思議に思って顔を上げれば、不満気な表情で見下ろしてくる。


「だけど?」

「だって……」

「じゃあさ、じゃあさ、みんなで外で食べようよ!」


 弟に続きを促したはずが、背後から別の声が返ってくる。振り向けば、はいはいっ、と元気よく手を挙げてニーナが立っていた。大きなアンバーの瞳はうきうきと輝いている。


「たき火、するんでしょ! あたしもあたしも、一緒にやりたい!」

「それ、いいかも。今日は天気もいいし」

「ね、ね、いいよね! 外でご飯とか、絶対楽しいよ!」


 ニーナの提案に弟もノリノリで賛同する。盛り上がる二人に口を挟む隙間もない。


「これは外に運べばよいのでしょうか?」


 アリアさんに至っては、持ってきたバスケットを一つ、すでに抱えている。


「アリアさん?!」


 まさかアリアさんまでそう言うとは思わなくて、驚いて顔を向ける。私の視線に気付いたのか、アリアさんはそっと目を伏せて小さく首を横に振った。……もう、何を言っても無駄ってことね。楽しそうに話す弟とニーナに目を細める。大きく、ため息を吐いた。


「ありがとうございます。ウッドデッキにもテーブルがあるので、そちらにお願いします。外に出るならば靴も持ってこないとですよね」

「あ、それなら大丈夫。任せて」


 諦めて返した私の言葉に、弟はぱちんと右手の指を鳴らす。ウッドデッキに続く窓越しに、ぽしゅんとニーナとアリアさんの靴が出現するのが見えた。


 そういえば、こういうのはよくやっていたわね、この子。……あれ? それなら、それで料理も運べるんじゃないかしら。


 ニーナがバスケットを持ち上げる横で、弟もいくつか料理を手に取る。


「それで、焚き火の準備もしておくんだっけ?」


 ……まあ、弟が楽しそうだから、いいか。


「ええ。枯れ枝でもあればいいんだけど用意してないから、適当に葉っぱを集めて、落ち葉焚きみたいな感じで。そこにあるきのこやりんご、レンコンも一緒に火に焼べてホイル焼きにしたいから、魔石を使わないでライターを使って火をつけてね」

「わかったー」


 弟はそう言うと、がらら、と窓を開けたアリアさんに続いて外に出る。

 その時、キッチンの方から、しゅんしゅんと音が聞こえた。いけない。お湯を沸かしている最中だったわ。


 慌ててコンロの前まで戻って、火を止める。ビンをざっと洗うと、やかんの熱湯を満遍なくかける。そこに弟がウッドデッキから戻ってくる。


「ちょうど良かった。このビン、乾かしてくれる?」

「はい」


 食器棚に向かう弟にお願いすれば、ぱちんと右手の指を鳴らす。途端にビンの水気がからっと消えた。やっぱり便利かもしれないわね、魔法って。


「ありがとう」


 お礼を伝えると粗熱の取れた野いちごのジャムを詰めていく。ビンは一旦、キッチンの隅にある冷蔵庫にしまっておく。代わりにペットボトルを数本取り出す。


「それも持っていくの?」

「ええ、お願い」


 弟は後からやってきたニーナとアリアさんに食器類の運搬を任せると、ペットボトルを抱え込む。私は食器棚から紅茶のティーバッグを持っていくとカウンターに並べられていたメスティンを取る。テーブルに行き、リュックから六枚切りの食パンを出す。


 もともと、フライパンでトーストするつもりだったけれど、焚き火台でも焼けるかしら。まあ、出来ないことはないとは思うけれど。

 そんなことを考えながら、ウッドデッキに向かった。

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