7日目(4) 現地民と弟と焚き火の夜

 そよりと夏の余韻を残した緩い風が吹き、頬を撫でる。水辺の涼やかさと相俟って、ひやりと冷たい空気がカーディガン越しの肌を包む。ログハウスの周囲に広がる森が暗緑色の輪郭だけを夜闇に映し、紺藍の空には無数の星が瞬く。その視界の隅にちらちらと火の粉が舞い上がる。


「もうすぐ出来そう?」


 料理を取り分けたお皿を持ったまま、ウッドデッキの柵に寄りかかる。少し離れた場所で焚き火をする弟に聞く。


「うーん、もう少しかかるかなぁ」


 弟はちびちびとジンジャーエールを飲みながら答える。焚き火にはアルミホイルで包んだきのこやりんご、レンコンが放り込まれている。その様子をトングで突き、確認する。向かい側ではアンバーの目をわくわくと輝かせたニーナが焚き火の様子を見守っている。


「レイニーロータスが、こんな風に食べられるなんて」


 ほう、と満足気に溢れた吐息に顔を横に向ける。アリアさんがフォークに刺したレンコンを興味深そうに観察していた。ぱくり、とまた一口食む。


 アリアさんとニーナが持ってきた料理がイタリアン系が多かったから、ちょっと合わないかとも思っていたけれど、どうやら気に入ってもらえたらしい。私も取り分けたレンコンをしゃく、と齧る。にんにくの風味と仄かなオリーブオイルの香りが鼻先を擽り、さく、と歯切れの良い食感が楽しい。……うん。我ながらいい出来。


 一緒にお皿に装っていたペペロンチーノを食べようとしていたら、ふと視線を感じた。じーっとこちらを見るニーナと目が合う。


「えっと、何か食べる?」


 視線に耐えきれず聞いてみれば、ニーナの顔がぱっと華やぐ。


「カミツカと同じやつ! あとあと、リンゴーアップルのパイも!」


 はいはい、と手を挙げて食い気味に返す。その様子に思わず、ふふ、と小さく笑みが溢れる。


「わかったわ。ちょっと待ってて」

「あ、俺にもなんか美味しそうなのよろしく」


 柵から身を起こして後ろを向いた私の背中に、弟からざっくりした注文が届く。


「具体的には?」

「姉ちゃんのセンスに任せる」


 振り返って詳細を尋ねてみたけれど、難易度の高い答えが返ってきた。じとっと弟に視線を送ってみるものの、それ以上の回答を得られそうにない。諦めてため息をつくと、ウッドデッキの中心にある、木で組まれたテーブルに向かう。


 テーブルの上ではりっくんがワンディッシュにまとめられた料理を食べ終えて、寝そべっている。うたた寝しそうなりっくんを愛でたい衝動を抑えつつ、持っていたお皿と箸を置く。代わりに小皿とフォークを手に取った。まずはニーナの分を用意しよう。


「お手伝いしますよ」


 そこにアリアさんもやってくる。


「ありがとうございます。では、ニーナの分をお願いできますか? ペペロンチーノと、パエリアにレンコンを添えていただければ」


 お皿とフォークをアリアさんに渡すと、別の一枚を取る。八等分に切り分けられたアップルパイを一切れ乗せる。


 さっくりと何層にも重なるパイは艶やかで、網目模様の下には角切りやくし形切りのりんごが覗く。香ばしいパイとじっくり煮込んだりんごの甘い匂いがふんわりと香ってくる。……私も一切れ、貰っておこう。違うお皿に一つ取り分けて、机の上に置いておく。


「あとは広世の分ね」


 お皿を手に、並べられた料理を眺める。

 テーブルの上には、ペペロンチーノの他にも、カルボナーラとミートソースのパスタが二種類、クワトロフォルマッジやマルゲリータのピザもある。他にもチーズのリゾットやトマトのカプレーゼ、ポテトフライもある。それに加えて、私がざっと作ったレンコンのステーキやパエリア、弟が採ってきた果物が入ったカゴもあるから、なかなかの密集具合だ。


「……何がいいかしら」


 美味しいそうなもの、とのお達しだけど、どの料理も美味しそうだ。ちょっと野菜が少ないのは、ニーナの好みだろうか。ああ、でも弟もそれほど野菜は好きじゃなかったわね。


 少し考えてから、ピザ二種にポテトとレンコンを添える。弟には今焚き火を見てもらっているし、ワンハンドで食べられるものの方がいいだろう。レンコンは他のみんなも食べるからついでだけど。


「まあ、これでいいか」


 アリアさんを見れば、お皿の上に几帳面に料理を盛り付けていた。


「そちらはどうですか?」

「はい。これで……大丈夫だと思います」

「じゃあ、持っていっちゃいましょう」


 アップルパイの乗ったお皿も持つと、ウッドデッキの柵の前まで移動する。アリアさんはわざわざ下に降りて届けに行っている。


「はい、これ」

「ありがとう」


 ウッドデッキの上から声をかけると、弟がトングを置いて取りに来る。


「こっちのアップルパイはニーナの分ね」

「えー、俺の分は?」

「え、食べるの?」

「だって美味しそうじゃん」


 真っ直ぐ見上げてくる弟にそっと息をつく。テーブルまで戻り、自分用に取り分けていたアップルパイを弟に渡す。


「ありがとう」


 弟は笑顔で受け取ると、三枚のお皿を器用に持って焚き火の側まで戻っていく。

 焚き火の前ではニーナがアリアさんから受け取った料理を勢いよく食べ始めている。戻ってきた弟から手渡されたアップルパイに少し離れていてもわかるくらいに顔が輝く。


 弟は焚き火を挟んで向かいに座ると、料理を乗せていたお皿を地面の上に置く。アップルパイを手に取って齧り付く。


「うまっ」


 思わず溢れた呟きがここまで届く。


「でしょでしょ!」


 声を弾ませたニーナはそう言うと、自分もアップルパイを掴み、はむ、と齧る。


「やっぱり、おいしー!」


 満足そうに顔を綻ばせた。……うん。やっぱり私も取ってこよう。

 テーブルまで行くとアップルパイをお皿に取り分ける。テーブルの隅に置いてあった箸で一口大にカットして口に運ぶ。


 さっくりとしたパイがほろほろと崩れ、食感の違うりんごがじゅるりと蕩けてパイと絡み合う。すぐに飲み込むのがもったいなくて、ゆっくりと咀嚼する。


 パイの香りと甘く煮詰めたりんごの風味が余韻を残して静かに喉元を落ちていく。香ばしい甘さに一口、二口とさらにアップルパイを崩して食べ進める。なんだか紅茶を飲みたくなってきた。


 そこまで食べて、ふと思い出す。食べかけのアップルパイを置いて、ウッドデッキを囲う柵まで戻る。


「そういえば、そろそろ焚き火の中のきのこやりんごも大丈夫なんじゃない?」

「あ、忘れてた」


 食事に夢中になっていたらしい弟は慌ててトングを掴むと火の中のアルミホイルを取り出す。少し捲って中の様子を確かめる。


「……うん。もう、大丈夫なんじゃないかな」


 そう言うとアルミホイルに包んだ残りのきのことりんご、レンコンを取り出す。


「それはそれは? どうやって食べるの?」


 ニーナがうきうきと弟の手元を覗き込みながら聞いてくる。


「うーん、そのままでもいいと思うけど……」

「きのこには醤油をかけても美味しいと思うわ。りんごにはバニラアイスね」

「バニラアイス!」

「きのこと醤油も美味しそうですね」


 弟からの視線を受けて言葉を繋ぐとはしゃぐ声が聞こえる。ニーナの隣ではアリアさんが興味深そうにホイル焼きを見る。


 思えば、こっちに来て初めて作ったのが、このきのことりんごのホイル焼きだった。あの時は出来なかったことが、今日は出来る。そう考えるとなんだか少し、感慨深い。それに今回はこの二つだけじゃなくて、レンコンのホイル焼きもある。


 ぱちん、と指を鳴らす音に焚き火の方に意識を戻す。

 弟はお皿を用意すると取り出したホイル焼きを乗せていく。


「そういや姉ちゃん、パン焼くとか言ってなかった?」

「魔石? の使い方が分からないから、広世が終わるの待ってたの」

「そうなの?」


 弟はまた何度か指を鳴らすと、ニーナの空いたお皿にはりんごのホイル焼きにアイスを添えて、アリアさんには新しいお皿を用意してきのこのホイル焼きに醤油をかけて、二人に渡す。残ったホイル焼きとファミリーサイズのバニラアイスのパックを抱えて柵の側まで来る。


「とりあえず、これ。そっちに置いておいて」

「わかったわ」


 柵の下から掛けられた声に、差し出されたお皿とバニラアイスを受け取る。


「これ、アイスは溶けないの?」

「大丈夫。外側に空気の層を作って冷却魔法を発動させてるから」

「そんなことも出来るの?」


 弟の言葉にアイスのパックをまじまじと観察する。元々冷たいものだから、全く気付かなかった。いつの間にやっていたのだろう。


「じゃあ、そっちに行くね。ニーナにアリア、大丈夫だと思うけどちょっと焚き火の様子見ててくれる?」

「わかりました」

「任せて!」


 弟は二人に声を掛けると回り込んで、水道脇の階段からウッドデッキに上がってくる。私は受け取ったお皿とアイスを持ってテーブルまで戻る。


 イスの座面を持ち上げて、中から焚き火台を出す。それをテーブルの中央にある窪みに設置する。弟は別のイスにあった収納スペースから魔石を取ると、焚き火台の薪を置くスペースにセットする。


 テーブルでがちゃがちゃする音に気が付いたのか、りっくんがのそりと起き上がる。カゴの中のりんごを転がして取り出す。自分の体の半分はあるりんごを抱え込み、うとうとしながらもしゃくしゃくと器用に食べ始める。とりあえず背中を撫でておいた。りっくんはきゅるーといつもより間伸びした鳴き声をあげる。何この子、可愛い。


「……そっちは任せていい?」


 りっくんとずっと戯れていたい気持ちを抑えて、弟に声をかける。


「うん。普通に網に乗せて焼けばいいんだよね」

「まあ、多分それで大丈夫だと思う」


 私の返答に弟は食パンを乗せようとしていた手を止める。


「……多分なの?」

「本来ならばフライパンで焼く予定だったから。焚き火台使うのは想定外だし、流石に調べてきてないわ」

「うーん、じゃあ、スキレットでもあったほうがいいかな」


 そう言うとぱちんと指を鳴らす。ぽん、と弟の前に小ぶりのスキレットが出現した。


「ちなみに、それで野いちごのジャムもこっちに持ってこられる? そろそろ冷えた頃だろうから取ってきたいのよね」

「ビンの形覚えてないから無理」


 ふと思い立って聞いてみたら、弟はスキレットに食パンを乗せながら答える。


「そうなの?」

「うん。うまくイメージ出来ないから、最悪ジャムの中身だけ指定外の場所に出てくる」

「それは困るわね」


 そんな制約があるとは。やっぱり自分で取りに行くほかないようだ。


「じゃあ、そっちはよろしく」

「おっけー」


 食パンを焼くのを弟に任せると、私は野いちごのジャムを取りにキッチンに向かった。



 ジャムとついでにバターを取ってウッドデッキに戻ると、ふわりとパンの焼ける香りが漂ってくる。弟の隣にはいつの間にかニーナがいて、パンが焼けるのをじっと見ていた。焚き火の方に視線を向ければ、アリアさんが一人で火の番をしてくれている。


「あ、姉ちゃん戻ってきた。ニーナがパン、食べたいって」

「わかったわ。ざっと作るから、アリアさんにも持っていってあげて」


 焼きたてのパンを二つ、別のお皿に取る。バターを塗ると、その上にバニラアイス、野いちごのジャムを乗せる。少し溶けたバニラアイスがじゅわりとパンに染み込んでいく。


「はい、これ」

「わー、おいしそー。ありがとう!」


 ニーナはお皿を受け取ると、そのままウッドデッキの端まで行く。それからどうするのか見守っていると、ぴょん、と柵を飛び越えた。焚き火の側にいたアリアさんに駆け寄っていく。トーストの乗ったお皿を手渡すと、待ち切れずにトーストに齧り付く。


「これもおいしーね!」

「バターとバニラアイスってこんなに合うのね。クーマーベリーのジャムも美味しい」


 二人を眺めていると、横から視線を感じた。顔を向けると弟がじっと見つめている。


「何?」

「俺も食べたい」

「パンは?」

「全部焼いた」


 お皿の上には、四枚のトーストが重ねられている。


「仕方ないわね」


 まあ、元々作るつもりだったし、私も食べたいし。

 私は上から二枚を別のお皿に移すと、ニーナに作ったものと同じものを作る。弟に渡して、私も一口食べる。


 程よく焦げたパンにバターとバニラアイスがじゅわーと染み込む。そこに甘酸っぱい野いちごのジャムが絡み合う。塩味と甘味、温かさと冷たさのバランスが絶妙で、さく、ふわ、としたトーストによく馴染む。


「うま」


 弟も満足そうにトーストに齧り付く。

 りっくんはりんごを食べ終えると、ぴょん、と弟の頭に飛び乗る。大きく伸びをして寛ぎ始める。


「ヒロセとカミツカも終わったなら、こっちで食べようよ!」


 かけられた声に顔を向ければ、ニーナが笑顔で大きく手招いている。

 弟と私はトーストを食べると、料理をいくつかチョイスしてお皿に盛り付ける。飲み物も持ってニーナとアリアさんの元に向かった。


 月のない夜空に星が瞬く。少しずつ勢いを弱めていく焚き火に水辺の涼やかな空気が心地よい。ログハウスから漏れる光が存外明るく周囲を照らす中、四人と一匹の賑やかな夜が過ぎていく。


 焚き火が燃え尽きても話は尽きず、結局帰る直前までニーナとアリアさんとの食事会は続いた。途中からは食事会というよりもバーベキューやキャンプといった方が適切だった気もするけれど。


 そして、いつもより少し遅くなった二十三時過ぎ。後片付けを弟に任せて、慌てて異世界から帰還した。

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